蓮華の先生
朝の鍛錬を終え、朝食を済ませた蓮華は軽く身支度をして買ってきたお土産を用意する。
「蓮華くん。今日どこか出かけるの?」
お尻の後ろで手を組み、前かがみで覗き込むようにエリカがそう尋ねる。偶然見えたエリカの胸を一瞬だけ目に入ったが特に顔色を変えずに蓮華は立ち上がり財布と携帯をポケットに入れた。
フィールのほうが少しでかい?
「蓮華くん?」
うん。でかいな。
「蓮華くん!」
「え!? なに!?」
「何考えてるの?」
「いや……別に何も……」
「あやしい……」
目を細めてエリカは蓮華のことを見つめた。少しやましいことを考えていた蓮華の内心は居心地が悪い。
「別に、あやしくなんか……ねーし!?」
「なんで疑問形?」
「えっと、その……あれだよ! 流行ってんだよ! 語尾を少し上げる特徴的な話し方!?」
「ふーん……まあ別にいっか」
エリカがそう言うと蓮華が胸をなでおろす。そのせいか蓮華は思わず「ほっ」と息をこぼしてしまっていた。
「それよりどこ行くの?」
「ああ、知り合いの人の家に」
「そっか。私、行かない方がいいかな」
「別に行ってもいいと思うけど……」
エリカが嬉しそうに笑った。蓮華は何がそんなにうれしいのかよくわからないという顔をしている。
「じゃあ、私も行く!」
「わかった。俺、外でバイクの準備してるからお前もそのパジャマから着替えてこい」
「はーい」
エリカはそんな風に軽く返事をして客間に向かって行った。蓮華も引き出しの中からバイクのカギを取り出しそれをクルクル振り回しながら部屋を出た。
そんな二人の様子をを聡明と川島は隣の部屋で聞き耳を立ててうかがっていた。
「霧ヶ谷さんのお孫さんはすごいですね」
「そうですかな?」
「はい。エリカが同年代の子とあんなに楽しそうに笑ってるの初めて見ました」
川島は自分のことのように嬉しそうに語る。
「せっかくアリオース学園の学園島に行ってもみんな敬語使ってきてつまらないと言っていたので心配だったんです」
「わしの孫はああ見えてコミュ力? というものがありますからな」
「ええ。男しかいない屋敷に寝泊まりするのはどうかと思っていましたが。ここに来てよかったです。エリカもそう思っていると思います」
「満足していただけたのならわしも本望というものじゃ」
「お待たせー」
昨日と同じようにメガネに帽子をつけているがそれ以外は意外と露出の多い格好をしたエリカが小走りで蓮華に近づいてくる。
「準備できた?」
「ああ。それにしてもメガネかけるだけでほんとにイメージ変わるな」
「そうかな? 蓮華くんはメガネをかけた私とかけないわたし、どっちがいい?」
少し上目遣いで蓮華を見るエリカ。それを見て蓮華は空に一瞬視線を向けて考えた。
「どっちでもいいんじゃね?」
「なにそれ?」
エリカは拗ねたように頬を膨らませた。蓮華はそんなエリカに、
なんかめんどくさいな、こいつ。
「別にいいだろそんなこと。外見なんか気にすんな。どう変えたって俺の中のお前のイメージはそうは変わらねーよ」
蓮華はそう言いながらエリカの帽子を取りヘルメットをかぶせた。
「私は外見はけっこう大事だと思うな」
「はあ、そうですか」
「もし蓮華くんに彼女がいてその人がいつもデートの時ジャージで来たらどう思う?」
「極端だな」
「極端だね」
そこには数秒の沈黙があった。その間エリカはずっと蓮華のことを凝視している。蓮華はしだいにその圧力に耐えきれなくなった。
「そ、そりゃあかわいい服を着てくれるんならそれに越したことはないけど」
「そうでしょ。そういうことだよ。じゃあどっち?」
またさっきと同じように見られ、蓮華はだまることを許されなかった。
「そうだな。俺はメガネをかけない方がいいかな」
「へー。なんでなんで?」
「だって、お前……なんかアホっぽいもん」
「え?」
私ってそんなイメージだったの? うそでよしょ。だって、私のミュージックビデオとかあんなに落ち着いていて、クールな感じじゃん。あれ、『落ち着く』と『クール』って同じような意味なんじゃ…………私、アホかも。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫」
「そうか、ならいいけど。あと、外見のことはあんま気にすんなよ。すげーかわいく決まってるから」
「……」
「おい。何だよ。そんなに驚いたのか?」
「あ、いや、その……ありがと」
「ああ」
さすがじいちゃん。女には優しい言葉かけるか褒めとけばいいって本当だったんだな。フィールのときはうまくいかなかったけど、あいつは例外だな。うん。
「よし早く乗れ」
そう言って蓮華はエリカの帽子をバイクの横についているパニアケースに入れ自分もヘルメットをかぶった。そのまま慣れた感じでバイクにまたがる。
「ほら、置いてくぞ」
蓮華にそう言われやっと我に返ったのかあわてたようにバイクに乗ろうとする。
「待ってよ。バイクに乗るの初めてなんだから」
◆
「車、全然通らないね」
「まあ、この島じゃこんなの当たり前だ。田舎だからな。でも、悪くないだろ」
「まあね。こういう空気私は嫌いじゃない」
相手に聞こえるように少し大きめの声で話しながら進んでいると海がが見えてきた。透き通ったきれいな青が広がり、浜辺にはこれからエリカが歌うであろうステージが用意されている最中であった。
「あそこで歌うんだな」
「うん」
エリカはそう力強く答えた。やる気に満ち溢れた声だ。それが行動にも表れているのか自分が立つステージを見つめている。
「ねえ、蓮華くん。もっとスピード上げて」
「なんで?」
「だって車もほとんど通ってないし見た感じ直線だし良いでしょ?」
蓮華の肩の横から顔を出してエリかはそう言った。蓮華は一度ため息をついて、
「よし! しっかり捕まってろよ!」
「うん!」
蓮華は腰に巻かれたエリカの腕の力が強くなったのを感じてから一気に加速する。
「気持ちいい!」
エリカがそう叫んでいる内にあんなにあった直線の道はすぐに終わってしまった。だがエリカは満足そうだ。
「よし! ここからは安全運転だな」
「変なとこで現実的だね」
着いたのは一軒の家。田舎であるせいか家と家の間の距離は長い。その家の表札には『高瀬』と書いてあった。
「ここ?」
「ああ」
「知り合いのおうち? てゆうかそのぬいぐるみ何?」
「それは今にわかる」
蓮華は話しながらその家のインターフォンを押す。
「はーい」
中から女性の声が聞こえてきてそれからすぐにドアが開けられた。出迎えてくれたのはエプロン姿の女性だった。
「あら、蓮華くんじゃない。久しぶりね」
そう言う彼女のメガネの奥からのぞかせる瞳は今で見た誰よりも優し気な目をしていた。
「このえ先生、お久しぶりです」
「もう、そう改まらなくていいわよ。ほら上がって上がって」
そう言ってこのえは中に手招きする。蓮華とエリカの二人はそのまま流れるように靴を脱いで入って行った。
「それにしても蓮華くん、少し大きくなった?」
「そうですか?」
蓮華は自分の身長を確かめるように頭上に手を置いた。
「ってそうじゃなくて」
蓮華は何か思い出したように言う。
「このえ先生、出産おめでとうございます」
蓮華はそう言って持っていたぬいぐるみを差し出した。するとこのえは少し驚いた後、ニコッと笑ってそのぬいぐるみを受け取る。
「かなり遅れたので今さら花束はなんか今さら感があったので、ぬいぐるみにしたんですけど……」
「うれしいわ。ありがとう蓮華くん」
「大丈夫ですかね。まだ赤ちゃんには早いかもと思ったんですけど……俺、こいうのよくわかんなくて……」
心配そうにする蓮華。そんな蓮華の内心を励ますかのようにこのえの顔は穏やかだ。
「大丈夫よ。女の子だもの、きっと喜ぶわ」
「ならよかったです」
そんな二人の話を蓮華の横で黙って聞いていたエリカはうらやましそうな顔をしていた。
「あのー、その子見せてもらってもいいですか?」
「いいけど、どちら様? もしかして蓮華くんのこれ?」
目を見開いてどこかで見たことのあるしぐさをするこのえ。少しだけわざとらしい。
「何でですか!? それ、帰ってきて二度目です」
「女の子はいつも他人の色恋沙汰に興味津々だもの」
「そうなんですか。でも先生はもう『女の子』って年でもないですよね」
「先生、これでも奥さんお若いですねーて言われるのよ。この前の町内会でやった演劇でセーラー服着たのよ」
このえのこの発言に驚きを隠せない二人。蓮華だけでなくエリカまでも思わず、
「「え?」」
と、言ってしまっていた。
「冗談よ」
「「ですよねー」」
「あ、私の可愛い娘を見たいんだっけ」
「「はい。お願いします」」
「そっちにいるわ」
そう言ってこのえは蓮華たちのほうに移動しそのまま通り過ぎた。だが、
「あれ、いない。どこ行ったのかしら」
「え?」
「さっきまで二人の後ろのソファで寝てたはずなんだけど」
このえは特にあわてずにきょろきょろしている。
「そんな悠長にしてる場合じゃないですよ!」
「大丈夫よ。きっと散歩でもしてるのよ。夕方になったらバブバブーって言いながら帰ってくるわよ。あの子、バカじゃないから」
「あんたは生後数か月の赤ん坊に何を求めてんだ!」
「ナイスツッコミ。冴えてるー」
「『グッ!』じゃねーよ! おい、エリカ手伝え。探しに行くぞ! ってどうしたお前?」
蓮華がエリカに視線を移すとエリカがある一点を凝視してぽかんと口を開けていた。蓮華はそんなエリカを見て何してんだこいつと思ったがこうなる気持ちもわかってしまう。
「いや、その……蓮華くん……後ろ」
「はあ!? 後ろ?」
蓮華はぐるっと後ろを向きソファのある方から最初に目に入っていたテーブルや台所の方に視界が変わった。だが、特に変化はない。
「なんだよ! 何もねえじゃねーか!」
「あ、いや背中」
「ん?」
『あ………………いた』
三人はいや四人はテーブルの周りを囲んでいる。三人はテーブルに置いてあるお茶を一口飲んで湯呑を置いた。
「ぷっ。あははははは!」
一番最初に蓮華が吹き出した。それにつられるようにエリカとこのえも笑い出す。
「いや、まさか俺の背中にくっついてるとは思わなかった」
「私も初めにそれを見つけて、なんて言えばいいかわかんなかったよ」
「さすが私の娘ね。生まれながらにユーモアの才能があるとは」
しばらくはそんなにぎやかな笑いが家中を包んでいた。
「それにしても相変わらず先生はゆるいですね。マイペースというか天然というか」
「そう? でもそれが先生の個性だもの。祐介さんもそこが好きだって言ってたわ」
そんな二人を見てエリカはすっと聞き損なっていたことを聞いた。
「そう言えば、なんで先生なんですか?」
「なんで先生なのってそのままの意味だよ」
「教師と生徒ってことですか?」
「うん近いかな。私はね蓮華くんの家庭教師だったのよ。今はもう教えてないけどね」
懐かしそに……でもどこか寂しそうに話しながらこのえは自分の娘のことを優しくなでる。その気持ちは蓮華も同じようで何か思い出したように笑みをこぼしていた。
「それよりエリカも先生もちゃんと自己紹介してないですよ」
それを聞いて二人はそうだったと言わんばかりに「あ」とこぼした。
「じゃあ、私から行きます。エリカ・リートリーです」
「エリカちゃんね。ってあれ、まさか……」
このえは何かに気づいたらしい。説明を要求しますと言わんばかりの表情を蓮華に向けた。蓮華はなんとなくこうなることは予想で来ていたので簡単に説明を済ます。「実は、かくかくしかじかで」、と。
「私は高瀬このえよ。蓮華くんとの関係はさっき言ったからいいわよね。あとこの子は高瀬華蓮。蓮華くんから名前もらっちゃった」
「いい名前ですね。蓮華くんの字を逆にしたんですね」
「そうでしょ。きっと、蓮華くんが立派になってこの島を出て行ったから寂しくなったのね。女の子ですよって言われて思わず『華蓮!』って叫んじゃったの。最初から蓮華くんの名前から取ろうと思ってたしね」
「なんか、そういうのいいですね」
そんな話を聞いていると蓮華はどうも居心地が悪くなる。うれしいのだが恥ずかしい、どうしようもなくて思わず顔をそむけてしまいたくなる。そんな蓮華にさらに追い打ちをかけるようにこのえは言う。
「どう、蓮華くん? 初めて名前言ったもんね。そう言われるとなんか感慨深いでしょ?」
「まあ」
「もうちょっとおもしろい反応期待してたんだけど……先生ちょっと残念」
「別にいいじゃないですか」
そこまでいろいろ裏話を聞いているとさらにその華蓮にさわってみたくなるのが心情だろう。エリカはそんな視線をこのえに送るとこのえは「いいわよ」と笑って言ってくれた。
「わあ、ぷにぷに。手もちっちゃくてかわいい」
「そうでしょ。抱っこしてみる?」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。この子、蓮華くんに似て全然泣かないから」
そう言ってこのえは慣れた手つきで軽々と華蓮を抱き上げた。次にエリカの腕の中にゆっくりと入れてやる。
エリカは嬉しそうに笑った。初めて抱いた赤ん坊のぬくもりを肌で味わったせいか心が温かくなっているのを感じた。
「蓮華くんも抱っこしてみなよ」
「ああ、うん」
「はい」
先ほどのこのえを真似て華蓮をゆっくりと蓮華に差し出す。
「これで、いいのか? 大丈夫か? 落ちたりしないよな」
「蓮華くんビビりすぎでしょ」
「そうか?」
「どう? かわいいでしょ?」
「……ああ。すげーかわいいな。俺はこれから華蓮みたいな子たちを守って行くんだな」
「もしかしたら、華蓮ちゃんの先生になってるかもよ」
「たしかに。ありえる」
なんだかこの二人、夫婦みたいね。
このえは密かにそう思った。




