第8話「完璧なるシトラの輝きをつないで」
仕入れの目処を力技で立て、太陽が西へ大きく傾く頃に街の店へと帰還した。
タクミは手押し車から荷を下ろす間も惜しみ、すぐに厨房のかまどへ太い薪を数本放り入れて激しい熱の源を立ち上げる。
新しい素材を使った未知の餡の試作が始まる。
ギルドから砂糖を絶たれた今、この甘みを抽出しなければ店の明日は無いことと同じだった。
ルミナは手際良くシトラの実と呼ばれるツタを解く。
中から小ぶりで黄色くしわがれた果肉を次々とボウルへ剥き集めていく。
表皮から放たれるのは、柑橘系の青臭さに少しだけ土の匂いが混じったような野暮ったい香りだ。
「タクミ。本当にこの渋い木の実から、あの雪のように白いお砂糖と同じ甘みが引き出せるの?生で一つ舐めてみたけれど、渋柿みたいな舌触りだったわよ」
「ええ。糖の結晶というのは少し熱すると暴れるんですが、温度を急上昇させてある限界点を超えれば、不快な分子だけが飛んで驚くほど丸くふくよかな蜜が残ります。問題はその限界点を、俺の知っている和三盆の抽出手順とどこまで同じにできるかです」
言葉を途切らせるとともに、タクミは果肉を大鍋に入れてひたひたの水を張り、かまどの直火で一撃で煮出しに入った。
水面に大量のアクがぶくぶくと泡立ってくる。
すかさず木べらを用い、えぐみを液中に戻すまいと正確に泡のみをすくい捨てていく。
(違う。まだ甘みの角が取れていない。日本の和糖はもっと粘りが出てゆっくり深まっていくのに、これは急激に重くなる)
規格外品はゴミではない。
成分と糖度さえ見極めれば、歩留まりの悪い高級品を凌駕するほどの最適化を生み出せる。
前世の日本で、原価高騰に苦しみながらも知恵と技術で生き残ってきた老舗の血反吐を吐くような最適化の歴史を、この世界の連中はまだ知らない。
木べらを通じて伝わってくる溶液の負荷を、独自の温度のサインとして掌から腕、そして職人の思考回路へと浸透させる。
次第に水分が飛んで液面がとろりと黄色みを帯びてきた時、急激に強い焦げた匂いが混ざり始めた。
「焦げそう! 火から下ろす?」
焦燥を含むルミナの叫びだったが、タクミは彼女の言葉を手で制し、さらに数秒だけ鍋底を熱で責め続けた。
(ここだ。糖が焼き切れる寸前の、この瞬間の香り)
熱の一線を超越したと判断した直後、彼は一切の遅滞なく鍋を火床から引きずり下ろした。
冷水の張られた別の大たらいの中へ一瞬にして鍋底を漬け込み急速冷却する。
ジューッという激しい水蒸気が上がり、焦げ臭さは瞬時に吹き飛ぶ。
そのかわりに胸の奥底の郷愁をかき立てるような、上品な鼈甲糖のような芳しい香りが厨房いっぱいに満ち満ちていく。
中を覗き込むと、しわがれていたシトラの実は完全に融解し、金色に透き通るドロリとした飴の水たまりに変わっていた。
「できた。これが今日からの新しい甘さになります」
木べらに絡みついた冷えた金色の蜜を、タクミは静かにルミナの唇へ差し出した。
彼女は熱がないことを確認してからそれを薄くかじる。
瞬間。
彼女の瞳が揺れ、まぶたの形が丸みを帯びふにゃりと崩れた。
「……すごいやわらかい。市場の白いお砂糖の真っ直ぐな甘さじゃなくて、何ていうか……優しくて少しだけ果物の爽やかな余韻が鼻を抜けていくの。おいしい」
「これで壁の一つは越えました」
間髪入れず、タクミは並行して洗いを繰り返していた紅魔豆をついに鍋へと入れる。
今回は欠けのない一級品ではなく、皮の破れたクズ豆の寄せ集めだ。
普通であれば煮崩れて泥になってしまうところを、逆にその崩れやすさを逆手にとった手法へ舵を切る。
こしあんを作る。
渋切りの回数を増やし、徹底的に豆のざらつきとカスを細かく叩き壊しながら水に通し続ける手法。
力仕事と繊細な火加減の持続が要求され、彼の額からはみるみるうちに光る汗が流れ落ちる。
目の焦点は煮えたつ小豆色の水面から一切ぶれることがなかった。
数時間後、深夜の帳がすっかりと降り切った。
ようやく練り上げられ、黄金のシトラの蜜と融合して生み出されたそれは、紫よりも黒に近い、深い漆黒の照りを持った美しいペーストであった。
粒あんの持つゴツゴツとした力強さとは逆の位置にある、どこまでなめらかでシルクのような口当たりのシトラ入りこしあん。
二人は疲れ切った顔を見合わせ、夜の厨房の中で深く充実した長いため息を交換した。
「これで、市場へ屈することなく明日の生地を作れる。材料の流通そのものを奪われても、職人の引き出しがある限り新しい商品は生まれるんです」
新しい武器が誕生した。
ギルドと対抗するための盤面が揃い、新しい形の風が吹く夜明けを、彼らは肩を並べて静かに確信していたのだった。




