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異世界和菓子職人の甘味無双~家畜の餌と呼ばれる赤い豆を「あんこ」にしたら、お貴族様も大絶賛で大繁盛商会になりました~  作者: 黒崎 隼人


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第2話「閑古鳥の鳴く店と赤い豆の魔力」

 レンガの表面が所々崩れ落ちた小さな建物の前で、ルミナは止まった。

 色褪せた木製の看板には、文字とも記号ともつかない紋様がかすれた塗料で描かれている。

 扉を押し開ける。

 乾燥した木材と熱気に焙られた空気の交じり合う匂いが、穏やかに鼻腔を満たした。

 店内には簡素な作りの四角い木の机が二つ置かれている。

 奥にはカウンター越しに黒く煤けた石のオーブンが口を開けていた。

 だが、温かな雰囲気とは裏腹に、陳列棚に並べられているべき商品はまばらで、客の姿は一人もいない。


「汚い場所でごめんなさい。座って。すぐに残り物のスープだけでも温めるから」


 ルミナはエプロンをはためかせながら厨房の奥へ入り、火が落とされかけているかまどへ薪を数本くべた。

 木の椅子に腰を下ろしたタクミは、改めて自分の手などを見つめ直し、視線を店内へと向ける。

 壁には無数の傷がつき、使い込まれた調理器具は丁寧に磨かれているもののどれも古びている。

 それでも、磨かれたカウンターの表面から、この店が持ち主からどれほど愛されているかが痛いほど伝わってきた。

 数分の後、土鍋から取り分けられた湯気を立てているスープがタクミの目の前に置かれた。

 くすんだ緑色の野菜と、細切れにされた黒い干し肉が煮込まれた質素なものだ。

 口を付けると、微かな塩味と肉の脂が舌の奥へじわりと染み込んでいく。


「こんな場所じゃ満足に恩返しもできないけれど。……少しは落ち着いた?」


 カウンターの対面に座るルミナへ向かって、タクミはスプーンを置くと姿勢を正した。


「本当に何から何まで、恩に着ます。俺はタクミ。……俺も、料理というか、菓子を作る仕事をしていました。お願いですが、何か手伝えるご恩返しをさせてくれませんか」


 ルミナはその申し出に対して、柔和な笑みを浮かべて首を横に振った。


「気持ちは嬉しいけれど、うちは見ての通りよ。両親が残してくれたこの店も、近頃は小麦や砂糖の値段が上がってしまって、売るための菓子を焼く事さえ一苦労なの」


 彼女の寂しげな視線の先には、ガラスの瓶の中に数個だけ残っている固焼きの菓子があった。

 先ほどタクミに分け与えてくれたものと同じ無骨な姿をしている。


「雇うための余裕はもちろんないし、手伝いをお願いするほどの作業もないわ。ゆっくり休んだら、どこか当てを探したほうがいい」


 静かな拒絶。

 しかし、自身の命を救ってくれた相手に対して、何もしないまま背を向けて立ち去るという選択肢はタクミの中に存在しなかった。

 和菓子職人としての長年の鍛錬は、失われたものではない。

 若返った肉体だとしても、頭蓋の奥に刻み込まれた温度や湿度の感覚、豆の具合を見極める技術は確固として根を張っている。

 もし小麦や砂糖が高いのであれば、別の形での解決策があるはずだった。


「雇ってほしいわけじゃありません。寝床すら今はないので、ここで雑用でも仕込みの準備でも何でもします。ただの居候で構いません。……俺の知る技術で、必ずルミナさんの店の力になります」


 真っ直ぐに見据えるタクミの鋭い瞳に、ルミナは驚いたように息を呑むと、ふっと視線をそらした。

 短く空いた沈黙のあとで、彼女はどうしようもなさそうに小さくうなずく。


「そこまで言うなら……午後の市場の買い出しだけ、荷物持ちを頼んでもいい?お金がなくて買えるものは少ないのだけど」


 その言葉を引き出したタクミは、感謝を込めて深く頭を下げた。

 それが、彼にとって異世界における菓子作りへの最初の一歩となる行動だった。


◆ ◆ ◆


 騒がしい雑踏と、むっとするような獣臭。

 様々な香辛料と生鮮食品が混沌と入り混じる市場の中心は、石造りの広場を埋め尽くすほどの露店で活気に満ち溢れていた。

 タクミはルミナの後ろを付いて歩きながら、市場に並ぶ珍しい植物や見たこともない魔獣に近いような肉の塊を観察していた。

 木箱を担いで歩くルミナだったが、彼女が立ち寄るのは大通りの賑わう区画ではない。

 廃棄品の集まる薄暗い市場の裏側のどん詰まりだ。

 安価で取引される根菜の欠け端や、質の落ちた雑穀を選ぶルミナを後目に、タクミの視線がある一点でぴたりと固定された。

 麻袋の中に大量に入っている、赤黒くて小石のような小さな粒状の物体だ。

 一つをつまみ上げると、硬く乾燥した外皮に走る一筋の白い模様がある。

 大きさや形は変われど、かつて何万回と目にしてきたそれと特徴が酷く似通っている。


「ルミナさん、これは何ですか?」


 タクミの声に足を止めたルミナは、タクミの手元を見て顔をしかめた。


「それは紅魔豆よ。家畜の飼料にしたり、貧しい人が冬の保存食にしたりするものよ」


「食べられないんですか?」


「食べると言ってもね……。岩みたいに固いし、茹でても酷い渋みと舌を刺すえぐみがひどいから、何日も水に晒して味の濃いスープに誤魔化して混ぜるしかないのよ。普通のお店で菓子やお料理の材料にする人は誰もいないわ」


 ルミナのその言葉で、タクミの中で散らばっていたピースが音を立てて組み合わさった。

 紅魔豆。

 悪魔のようなえぐみを持つ赤い豆。

 それがタクミの知る小豆に近いものだとするならば、この世界の人間はただ単にアク抜きの正しい手順を知らないだけだ。

 小豆は灰汁が非常に強い豆であり、適切に渋切りを行わなければ、食べられたものではなくなる。

 逆に言えば、職人の技術によってその渋を抜き去り、丁寧に糖分と結びつけることで奇跡のような味わいを生み出すことができる。

 しかも市場での扱いは底辺付近であるため、今あるルミナの乏しい所持金でも大量に仕入れることが可能だった。


「ルミナさん。お願いです、あの豆と……少しの砂糖だけあればいい。残ったお金でそれだけ買わせてください」


「どうして?そんなもの買っても、食べられたものじゃないのよ」


「必ず結果を出します。それで美味くなかったら買い出しの金は……どうにかして後からでも全額返します」


 タクミの熱を帯びた眼差しと言葉に圧されたのか、ルミナは戸惑いながらも、最後にはため息をついた。

 紅魔豆の安い麻袋を丸ごとひと袋購入してくれた。


 店へ戻り、裏口の井戸水で手と身体の汚れを入念に洗い流してから、タクミはさっそく準備に取り掛かった。

 紅魔豆を古い木のボウルへ広げ、何度も水を換えながら表面に付着した埃や汚れを丁寧にこすり落としていく。

 そして、その日の夕食後、薄赤い豆を水に浸したまま一晩の静かな時間を厨房で共有して過ごした。


 翌朝、日の出前の白みかけた光が厨房を微かに包む時間帯。

 十分な水を吸って丸くふくれた紅魔豆が、タクミの手によって大きめの鉄鍋の中へと移された。

 ルミナは厨房の入り口から、怪訝そうな様子でその作業をじっと見つめている。

 かまどに張られた強い火に向かって、タクミの集中力はすでに職人のそれへと変わっていた。


「一からしっかりと渋切りをしないと、この豆は食べられない」


 鍋から泡が溢れかける直前で薪を減らし、熱の入り方を均等にする。

 やがて湯が赤茶色に濁り、不快な青臭さが厨房へと立ち上り始めた。

 沸騰してから数分。

 タクミは思い切りよくその湯をザルへあけ、もう一度清潔な冷水を鍋へ張って豆を戻す。

 これを、えぐみの具合を鼻と手の感覚で確認しながら三度繰り返した。

 少しでも皮が破れればそこから豆がべちゃべちゃに溶けてしまう。

 かといって煮立てなければ渋は抜けない。

 熱の扱いへの微細な直感が、火と水の境界で静かに輝きを放つ。

 渋が完全に抜け切ったことを確認すると、タクミは一度火から下ろし、ルミナが買ってきた大事な砂糖の白い粉を数回に分けて投入していく。


(温度だ。糖が浸透するギリギリの温度で、優しく豆を抱え込むように火を入れる)


 水分が飛び、飴色のような光沢を放つ薄紫色の液体が一気に絡み合っていく。

 焦げ付かせることなく、重みと手ごたえを木のヘラを通して肌で感じる。

 そこから発せられる香りは、これまでの不愉快な青臭さとはまったく違っていた。

 ねっとりとした甘さと、豆特有の奥深い馥郁たる香りが開花する。

 厨房の隅々にまで甘露のような湯気を連れて広がり始めた。

 後ろで見ていたルミナが、はっと息を呑む音が聞こえた。


 鍋の中の水分が最適な重さになる。

 艶やかな紫がかった粒がつぶれることなく整った状態を維持している。

 火から下ろし、手早く表面を冷ます風を送る。

 鍋の中には、奇跡のように輝く一杯のつぶあんが完成していた。


「これがあなたの言っていた、結果なの?」


 信じられないというような表情を浮かべたルミナが、おそるおそる近づいてくる。


「少し冷ましました。毒じゃありませんから、一口、そのまま食べてみてください」


 タクミは小さな木の匙で、照りが光るあんこをすくってルミナへと差し出した。

 かまどの炎を反射して揺らめく、深い蜜色の双眸が揺れ、ごくりと喉が鳴る音が鳴る。

 彼女は震える手でそれを口元へ運び、唇に当ててそっと含んだ。


 甘露。

 舌の熱に触れた瞬間、薄紫の餡がふわりとほどけた。

 尖ったところのまるでない、ひたすらに丸く、奥深い甘みだ。

 砂糖の直接的なえぐみではなく、なめらかに煮崩された豆の細胞が糖分を深く抱き込んだ一体感を持ったまろやかさ。

 皮膜が絶妙な柔らかさで弾け、ねっとりとした液体が喉の奥へと滑り落ちていく。

 あれほど酷いと信じて疑わなかった紅魔豆の存在が、魔法をかけられたかのようにまったく新しい生命を与えられている。

 ルミナは眼を見開いたまま動きを止めた。

 瞬きが二度、三度と落ちる。


「……なに、これ」


 微かなその声は、感動とともに潤いを増した彼女の瞳から溢れる熱を、包み込むようにして厨房に溶けていった。

 彼女は自分の両手でその口元を覆う。

 呆然としたまま、タクミとなめらかな紫の粒が輝く鍋を交互に見つめていた。

 それは、誰も見向きもしなかった最下層の豆が、最高の菓子に生まれ変わった瞬間だった。

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