おれ、国境を越えて、勇者嫌いの国に流れ着く
◇ ◇ ◇
漁船の上で迎えた朝は、やけに眩しかった。そして、やけに全身が痛かった。
「いてて……」
板張りの床で一夜を明かした結果、おれの体は「木の板の形」に沿ってバキバキに固まっていた。勇者の素養、頑丈さは付与してくれなかったらしい。理不尽である。せめて寝心地くらいチートしてほしかった。
「兄ちゃん、そろそろ国境の見張り塔が見えてくるぞ」
漁師のおっちゃんが舵を握りながら言った。おれは船首でぐぎぎと背中を伸ばしながら、前方を見た。
やがて、海沿いの崖の上に、古びた石造りの塔が見えてきた。王国のものとは明らかに造りが違う。装飾ゼロの、無骨を通り越して「これ罰ゲームで建てた?」ってレベルの塔だ。
「あれが、国境の町ケルシュだ。ここから先はラファール共和国の領域になる」
「共和国……王様がいない国、でしたっけ」
「ああ。選挙とかいうやつで、代表を選ぶんだと」
選挙。異世界にもあるのか。おれの前世の公民の授業、こんなところで役に立つとは。単位ぎりぎりだった過去の自分に「お前の勉強、いつか異世界で活きるぞ」と教えてやりたい。信じないだろうけど。
「ま、王国の手配書もそうそう出回らんだろ。頑張りな、元カノから逃げる兄ちゃん」
「それ、ミレの受け売りですよね」
「港で女の子がそう言って泣きながら手ぇ振ってたからよ。てっきりそうかと」
「訂正する気力もないです」
元カノ設定、船乗りにまで伝播していた。おれの逃亡の裏設定、逃亡そのものより先に一人歩きを始めている。
◇ ◇ ◇
ケルシュの港に降り立って、まず感じたのは――バキバキの背中の痛みと、空気のぴりつき方だった。
王国の街とは、何かが違う。行き交う人々はみんな早足で、目が合うと逸らされる。おまけに、武装した男女がやたら巡回している。あれは絶対、普通の街並みじゃない。
「あれ、衛兵……にしては物々しいな」
「衛兵じゃなくて、自警団だよ。ここは国境の町だからね」
独り言に反応したのは、露店で干物を並べていた老婆だった。うわ、独り言リアクションされるの久しぶりだ。前世の教室でもなかったやつだ。
「あんた、旅人かい? その格好、王国から来たね」
「あ、はい。まあ」
「気をつけな。この国は、王国のことあんまり好きじゃない者が多いから」
「そうなんですか?」
「昔、王国と小競り合いがあってね。それ以来、王国の『勇者』ってのを、この国じゃ胡散臭いもんだと思ってる人が多いのさ」
おれは、干物を握りしめそうになった手を、慌てて止めた。危ない、動揺のあまり干物を握力で粉砕するところだった。この国に来て一時間で「怪力な旅人」の噂を立てるわけにはいかない。
「胡散臭い、って……」
「そうさ。王国は昔から、都合が悪くなると『勇者さまの御力で』って何でもかんでも英雄に押し付けて、実際に苦労するのは前線の兵士や、巻き込まれる国境の民さ。あたしらから見りゃ、勇者ってのは王国の都合のいい旗印に過ぎないよ」
おれは、内心でめちゃくちゃ拍手していた。
(それだよ! それ! おれが言いたかったこと、全部言ってくれた!)
テーブルがあったら叩いていたところだ。あったら壊してた可能性が高いので、なくてよかった。
「あんた、なんか嬉しそうだね」
「い、いえ! そんなことは! ただの旅人が同意しただけです、はい」
「変な兄ちゃんだね。まあいいや、宿は西通りが安いよ」
老婆は干物商売に戻っていった。おれはその場で、こっそりガッツポーズを決めた。異国のおばあちゃんが、まさかおれの一番言いたいことを代弁してくれるとは。ラファール共和国、初日から株が爆上がりである。
◇ ◇ ◇
王国では、「勇者」は希望の象徴として扱われていた。ドーラばあちゃんも「勇者さまなら魔王軍をどうにかしてくれる」と、期待たっぷりに話していた。
でも、ここでは違う。「都合のいい旗印」。ギルドで水晶が光った瞬間、おれの「嫌だ」なんて誰も聞いてなかった。周りは勝手に盛り上がって、勝手に持ち上げて、勝手に王国へ報告した。
「……そうだよな。逃げて正解だ。うん」
おれは自分にしっかり言い聞かせた。誰も聞いてないのに、なぜか胸を張って歩いた。
◇ ◇ ◇
西通りの安宿は、ミレと泊まったサザンテの宿よりさらに簡素だった。壁が薄い。薄すぎる。隣の部屋のいびきが、耳元で吹かれてるみたいに聞こえる。快適な逃亡ライフとは何だったのか。
部屋に荷物を置いて、おれはベッド(という名の板)に寝転がった。
ここまでの旅を振り返る。ラスタの街で勇者判定を受けて逃亡開始。メルクの町で怪力バレ未遂。街道でリーゼロッテさんに尋問。ミレと出会って荷車を暴走させる。サザンテで検問突破、髪染め、腕相撲で「非力なのに絶対動かない壁」という謎の生物になりかける。そして昨夜、漁船で夜逃げ。
「転生して、まだ九日……」
前世の九日間なんて、文化祭の準備すら終わらない期間だ。それが異世界だと、国境をひとつ越えて新章突入してしまう。時間の密度がおかしい。異世界、時給換算したらどうなるんだろう。考えるのはやめておこう、多分ろくな数字にならない。
「この国でなら、少しは落ち着けるかな……」
フラグだ。今、思いっきりフラグを立てた自覚はあった。あった上で、口に出してしまった。人間、疲れると学習能力が落ちる生き物らしい。
◇ ◇ ◇
夕方、腹ごしらえに宿の食堂へ降りると、そこで妙な光景に出くわした。
食堂の隅、酒場然としたカウンターで、フードを目深に被った人物が、店主と押し問答をしていた。
「だから、金は必ず払う。今は持ち合わせがないだけだ」
「客人、それ何度目だい。ツケはもう効かないよ」
「困った……本当に困った……」
このやり取り、既視感がすごい。前世でよく見た「お会計のときに限って財布忘れた人」の動きだ。異世界でもやることは変わらないんだな。人類、財布問題からは逃げられない。
声のトーンからして、若い女性のようだった。フードの隙間から覗く髪は、見たこともない淡い銀色をしている。
関わらない方がいい。逃亡者としての本能が、そう告げていた。目立つ揉め事には近寄らない。それが鉄則だ。掟その五。ちゃんと覚えてる。覚えてるのに。
「あの、大将、いくら足りないんです?」
気づいたら、口を挟んでいた。
いや、おかしいだろ。おれ、五分前に「掟その五」を脳内で復唱したばかりだぞ。なのに口が勝手に動いた。この体、力の加減だけじゃなく、お節介の加減もバグってるらしい。ミレのときと完全に同じ流れである。おれは学習しない生き物図鑑に自分の名前を刻む勢いだった。
フードの人物が、ばっとこちらを振り向いた。フードの奥から覗く瞳は、目の覚めるような紫色だった。
「……お前、何者だ」
「い、いや、通りすがりの旅人ですけど」
「そうか。……ならば好都合だ」
紫の瞳が、すっと細められる。
「お前、この国に来たばかりだな。所持金にも余裕がありそうだ。――少し、手を貸してもらおうか」
「……はい?」
おれの脳内で、警告音が鳴った。ただし、警告音の音量が、なぜかいつもよりちょっと小さい。ミレのときと同じ、あの「面倒事の匂い」なのに、なぜかそんなに嫌じゃない自分がいる。
(おれ、面倒事に耐性ついてきてないか……?)
逃亡生活、九日でこの適応力。人間、環境に慣れる生き物らしい。慣れてほしくない方向に慣れているのが、われながら心配だった。
「その、手を貸すって、具体的には」
「まずは、この店のツケを払え。話はそれからだ」
「初手それ!?」
「初手が肝心だ。腹が減っては話もできぬ」
「あなたの腹の話じゃないですか」
銀髪の女は、悪びれる様子もなく、堂々と胸を張った。堂々としすぎている。この間のおれの「堂々とする作戦」を彷彿とさせる堂々っぷりだ。同族の匂いがする。危険な同族の匂いが。
◇ ◇ ◇
結局、おれは銀貨換算いくらかのツケを肩代わりする羽目になった。ミレがくれた餞別が、もう他人の飲み代に消えていく。ミレ、ごめん。護衛代の前払い、初日でこんな使われ方するとは想定してなかったよな。
「ふむ、助かった。礼を言おう」
「あの、で、結局あなた何者なんですか。名前くらいは」
「名か。……そうだな」
銀髪の女は、少し考えて、フードの奥でにやりと笑った気配がした。
「今は、名乗るほどの者ではない。そちらこそ名は」
「サノです」
「サノか。良い名だ。……お前、匂うな」
「にお……くさいですか、おれ」
「そうではない。逃げている者の匂いだ」
その一言に、おれは危うく口の中のパンを吹き出しそうになった。
(ば、バレた!? 一日目で!?)
「な、なにを、おれはただの旅の便利屋で」
「隠さずともよい。私も似たようなものだ。厄介事から逃げてきた身の上、というやつでな」
銀髪の女は、そう言って、干物を勝手につまみ食いした。おれの奢りの干物を。
「お前と私、似た者同士かもしれんな。よろしく頼む、サノ」
おれは、頭を抱えたくなった。
逃亡者同士、傷の舐め合いをする流れ――なのか? 何だこの展開。ラノベでもあんまり見ないパターンだぞ。しかもこの人、絶対ろくでもない厄介事を抱えている顔をしている。第六感が告げている。逃亡者の第六感が。
「あの、よろしくって、これから何かあるんですか」
「安心しろ。すぐには面倒事に巻き込まん」
「今、『すぐには』って言いましたよね」
「聞き間違いだろう」
聞き間違いじゃない。はっきり聞こえた。
おれはこの日、逃亡生活初の「面倒事の匂いがする相手を、財布ごと味方につけてしまう」という新しいスキルを獲得した。習得したくなかったスキルランキング、上位進出である。
――なお、このときのおれは知らなかった。
目の前の銀髪の女――ラファール共和国内で、とある筋から本気で追われる身の上である彼女が、実は「厄介事の規模」において、王国から追われるおれなど比較にならないレベルの案件を抱えていたことを。
逃亡者は、逃亡者を嗅ぎ分ける。だが今回、嗅ぎ分けた相手が「格上」だったことに、おれはまだ気づいていなかった。




