おれ、聖女(自称)に振り回されて、同じ穴の狢だと知る
◇ ◇ ◇
翌朝。おれは食堂の隅の席で、銀髪の女と向かい合って朝食を食べていた。
いや、正確には「食べさせられていた」だ。
「サノ、これも食え」
「いや、もうお腹いっぱいで」
「食え。育ち盛りだろう」
「十六なんで育ち盛りっちゃ育ち盛りですけど、あなた誰なんですか」
昨夜のツケ肩代わり以来、この人はなぜかおれの朝食に無限にパンを追加してくる。しかも全部おれの財布から。ミレの餞別、二日目にして残高がじわじわ怪しい。
「名は、まだ言えん」
「昨日から一貫してますね、それ」
「一貫性は美徳だ」
「都合の悪いことへの一貫性はただの頑固です」
銀髪の女――便宜上、頭の中で「銀さん」と呼ぶことにした――は、フードを目深に被ったまま、優雅にパンをちぎって口に運んだ。所作だけは妙に上品だ。中身はツケを踏み倒す常習犯なのに。
「して、サノ。お前、これからどうする気だ」
「どうするって、この町でしばらく身を潜めて……」
「暇なら付き合え。少し人を捜す用がある」
「聞いてないですよそれ」
「今言った」
会話のキャッチボールが常に一方通行だ。この人、たぶん人の話を聞くという概念を国に置いてきている。
◇ ◇ ◇
結局、おれは押し切られる形で、銀さんの「人捜し」とやらに同行させられることになった。理由は単純、「案内役が金を持ってる方がいい」という、身も蓋もない銀さんの一言だった。
正直、断る選択肢もあった。あった、が。
(この人、ほっといたらまたツケ踏み倒して、次はもっとまずい相手と揉めそうな気がする……)
なんというか、放っておけない気配がある。ミレとはまた違うタイプの「危なっかしさ」だ。ミレが「元気にすっ転ぶタイプ」なら、銀さんは「堂々と崖を歩いて平然としてるタイプ」。見てるこっちの寿命が縮む。
港町ケルシュの裏通りを、銀さんはずんずん進んでいく。
「銀さん、それで、誰を捜してるんですか」
「銀さんとはなんだ」
「あなたが名乗らないから、勝手につけました。銀髪だから銀さん」
「安直だな」
「あなたの一貫性より安直じゃないと思います」
銀さんは、ふん、と鼻を鳴らして、それから足を止めた。目の前には、これまた無骨な作りの建物――どうやら情報屋らしき店だった。
「ここで、ある人物の足取りを追う。金を出せ」
「またおれの財布!?」
「お前、財布の心配ばかりだな。私と一緒にいれば、いずれ元は取れる」
「その『いずれ』のビジョンが一切見えないんですけど」
押し問答の末、おれはまたしても銅貨を数枚失うことになった。情報屋の店主に金を渡し、銀さんが何やら耳打ちで話を聞いている間、おれは店の隅で干からびていた。
(ミレ、ごめん。護衛代の前払い、二日でほぼ溶けた……)
心の中で、遠く離れた元雇い主に土下座した。
◇ ◇ ◇
情報屋を出たところで、銀さんが小さく舌打ちした。
「……足取りが掴めん。神殿の追手、思ったより慎重に動いているようだ」
「神殿? 追手?」
聞き捨てならない単語が出てきた。おれの逃亡者センサーが、ぴこぴこ反応する。
「銀さん、それ、詳しく聞いてもいいですか」
「……お前には関係ない」
「いや、あなたに巻き込まれてる時点で結構関係あるんですけど」
銀さんは、しばらく黙り込んだ。フードの奥の紫の瞳が、ちらりとおれを見る。値踏みするような視線。この間のリーゼロッテさんと似た、値踏みの視線だ。異世界、値踏みしてくる女性が多すぎる。
「……お前、逃げている、と言ったな」
「言ってはないですけど、まあ、はい。その通りです」
「何から」
「……こっちも、言えないんですよ、それは」
「そうか」
銀さんは、意外にも、それ以上詮索してこなかった。しばらく無言で歩いて、それから、ぽつりと言った。
「私はな、サノ。神殿から〈聖女〉に選ばれた」
「せ、聖女!?」
声が裏返った。周りの通行人がちらっとこっちを見て、慌てておれは声のボリュームを絞った。
「せ、聖女って、あの、清らかで、みんなから崇められて、大聖堂で祈りを捧げたりする、あの」
「そうだ。よく知っているな」
「ラノベで、じゃなくて、噂で聞いたことがあるくらいで」
危ない、危ない。ラノベ知識が口から出かけた。
「聖女に選ばれた者は、生涯を神殿に捧げ、国家間の争いの調停や、疫病の浄化、諸々の神事に従事する義務を負う。……私は、それが、心底、嫌だった」
銀さんの声が、初めて少しだけ、揺れた。
「生涯を捧げる、だと? 冗談ではない。私にはまだ、見てみたい景色も、食べてみたい飯も、行ってみたい酒場も山ほどあるというのに。それを全部、神殿の奥に閉じ込められて終われというのか」
おれは、その言葉に、思いっきり親近感を覚えていた。
(それ、完全におれと同じ理屈だ……!)
勇者になれと言われて、命懸けの戦いに一生を捧げろと言われて、逃げた自分と、聖女になれと言われて、神殿に一生を捧げろと言われて、逃げた銀さん。
役職は違う。でも、構造は完全に同じだ。
「だから、私は逃げた。聖別の儀の直前、神殿を抜け出してな。以来、神殿の追手から逃げ続けている。……お前と、同じだろう」
「お、同じ、っす」
おれは、思わず、認めてしまった。
「やはりな。お前の匂い、私と同じ匂いだと思っていた」
「にお、匂いって、そんなに逃亡者って匂うもんなんですか?」
「分かる者には分かる」
銀さんはそう言って、フードの下でにやりと笑った気配がした。
◇ ◇ ◇
通りの端の、小さな噴水の縁に座って、おれたちはしばらく黙っていた。
「……あなたも、大変だったんですね」
「お前もだろう」
「まあ、はい」
沈黙。だが、気まずい沈黙じゃなかった。同じ立場の人間同士の、変な安心感のある沈黙だった。
「なあ、サノ」
「はい」
「お前の逃げてきた事情、話さなくていい。だが、ひとつだけ言わせろ」
「なんです」
「――逃げるのは、悪いことではない」
その一言に、おれは、目を見開いた。
「押し付けられた運命を、唯々諾々と受け入れるのが正しいなんて、誰が決めた。自分の人生だ。自分で選んで、何が悪い」
銀さんの声は、静かだったが、確かな芯があった。
「私はまだ、正解が何かは分からん。神殿からは、今頃『聖女の義務を放棄した大罪人』とでも言われているだろうな。……だが、後悔はしていない」
「銀さん……」
「だから、サノ。お前も、堂々と逃げろ。誰に何を言われようとな」
おれは、しばらく言葉が出なかった。
この九日間、ずっと後ろめたさが、心のどこかにあった。ドーラばあちゃんの「勇者さまなら魔王軍をどうにかしてくれる」という期待の声。それを裏切って逃げているという、うっすらとした罪悪感。
それが今、少しだけ、軽くなった気がした。
「……ありがとうございます、銀さん」
「礼はいらん。それより、腹が減った。何か奢れ」
「結局それ!?」
空気、台無し。台無しだけど、なんか、これはこれで、この人らしいなと思った。
◇ ◇ ◇
夕方。屋台の串焼きを二人でつつきながら(もちろんおれの財布から)、銀さんが唐突に言った。
「サノ、お前、これからどうする」
「まだ決めてないです。この国のどこかで、静かに暮らせる場所を探そうかと」
「ふむ。……なら、しばらく私に同行しろ」
「え」
「私も、神殿の追手を撒きつつ、この国の内陸部へ向かうつもりだ。お前と行動が被る。ならば、共に動く方が効率がいい」
「いや、それ、おれにとってはむしろ危険が二倍になる気が」
「安心しろ。護衛としては、お前は悪くない腕をしていそうだ」
銀さんの目が、すっと細くなった。
「昨夜、店主とのやり取りで見えたぞ。お前、あの木箱の椅子、片手で軽々持ち上げていただろう。並みの旅の便利屋の腕ではないな」
心臓が、跳ねた。
「あ、あれは、その、坂に……いや、椅子に坂は関係ない、えーと」
「隠さずともよい。私も似たような『不自然に規格外な事情』を抱えている身だ。詮索はせん。ただ、頼もしい道連れができたとは思っている」
銀さんは、串焼きをかじりながら、あっさりと言った。
おれは、脱力した。バレていた。バレていたが、それを別に責めるでもなく、「頼もしい」の一言で流されてしまった。この人、大物なのか、単に人の話をちゃんと聞いてないだけなのか、判断がつかない。
「……分かりました。しばらく、同行します」
「決まりだな。よろしく頼む、サノ」
かくして、逃亡生活十日目、おれの旅の道連れが、また一人増えた。
ミレのときとは違う。今度の道連れは、おれと同じ「運命から逃げてきた」者同士だ。似た者同士の逃避行が、これからどうなるのか、正直まったく予想がつかない。
――なお、このときのおれは知らなかった。
銀さんの本当の名が、〈聖女リリアーヌ・フォン・エルステット〉であり、ラファール共和国のみならず、王国側からも密かにその行方を注視されている、大陸規模の「探し人」であることを。
逃亡者と逃亡者が手を組んだ結果、王国の捜索網に、思わぬ形で二重に引っかかることになるとは――このときのおれは、まだ知る由もなかった。




