おれ、聖女と旅を始めて、早々に神殿の手先と遭遇する
◇ ◇ ◇
逃亡生活十一日目。おれは荷馬車の荷台に揺られながら、隣に座る銀さん――もとい、聖女リリアーヌ・フォン・エルステット(仮の呼び名は継続中)を、じとっと見つめていた。
「銀さん、これ以上おれの財布に手を出したら、さすがに怒りますよ」
「何を大袈裟な。屋台の飴玉ひとつだろう」
「昨日は串焼き十本、一昨日は宿代とツケ肩代わり、今朝は謎の壺、そして今、飴玉です。積み重なってるんですよ、それ」
「壺は投資だ」
「何に対する投資なんですか、あの壺」
「私の審美眼への投資だ。いずれ価値が上がる」
「聖女様の審美眼、当てにならなすぎませんか」
銀さんは飴玉を口に放り込みながら、悪びれる様子もなく荷台の縁にもたれかかった。ケルシュの町を出て、内陸部の街道を進む荷馬車の旅は、二日目に突入していた。
御者は無口な行商のおっちゃんで、多少の金を払って便乗させてもらっている。もちろん金は――言うまでもない。
「なあサノ、私を見損なうな。聖女というのは、金銭感覚が浮世離れしているものと相場が決まっている」
「その相場、誰が決めたんですか」
「私が今決めた」
「一貫性、都合よく使いますね」
とはいえ、憎めない人ではある。ミレとはまた違う「危なっかしさ」だが、根っこの部分に嫌な感じがない。ただ財布に厳しいだけだ。厳しすぎるだけだ。
◇ ◇ ◇
荷馬車が街道沿いの小さな中継地――「馬の水飲み場」程度の設備しかない休憩所――に差し掛かったところで、御者が休憩を告げた。
おれと銀さんは荷台から降りて、伸びをした。
「いてて……荷馬車の旅、地味に体にくる」
「私は平気だ」
「聖女って体力あるんですか」
「聖女である以前に、私は鍛えている。神殿の修行、伊達ではない」
意外な情報だった。この人、見た目は優雅で頼りなさげなのに、中身は体育会系らしい。人は見た目によらないという、異世界でも通用する真理を、おれは今日また一つ学んだ。
水を飲みながら休んでいると、休憩所の反対側に、白い装束の一団が馬を止めるのが見えた。
白い装束。清潔感のある、宗教関係者っぽい格好。おれは特に気にしなかったが、隣の銀さんの空気が、一瞬でぴりっと張り詰めた。
「……サノ、フードを深く被れ。今すぐだ」
「え、なんです急に」
「神殿の巡察隊だ。動くな、目立つな、喋るな」
有無を言わさぬ声色に、おれは慌てて手持ちの外套のフードを被った。ケルシュで買った、人相書き対策の万能フードだ。まさかこんなに早く出番が来るとは。
「あの、銀さんも顔隠さなくていいんですか」
「私はもう被っている」
「あ、そういえば」
銀さんは元からフードを目深に被っていたので、一見しただけでは変化がない。この人、いつも顔を隠しているのに、今さら緊張してるのが逆に伝わってきて、おれの緊張も余計に高まった。
白装束の一団は、休憩所の御者や旅人に、何やら聞き込みをしている様子だった。声は届かないが、身振りから察するに、誰かを捜しているらしい。
(あれが、噂の神殿の追手……)
リーゼロッテさんとはまた違う種類の緊張感がある。騎士団は「国家権力」の圧だったが、こっちは「宗教組織」の圧だ。得体の知れなさが増している気がする。
「サノ、荷馬車の陰に」
「あ、はい」
おれたちはさりげなく荷馬車の陰に移動した。心臓がばくばく言っている。この感覚、久しぶりだ。リーゼロッテさんとの腕相撲以来の、命の危機感。
白装束の一人が、こちらに近づいてくる足音がした。
「そこの、荷馬車の連れの方々」
声をかけられた。逃げられない距離だ。おれと銀さんは、覚悟を決めて振り返った。
「はい、なんでしょう」
声が震えないよう、精一杯平静を装う。この間の「堂々とする作戦」だ。ただし、腕相撲の教訓を活かして、「堂々としすぎない」ラインを狙う。塩梅、大事。
「この辺りで、銀髪の若い女性を見なかっただろうか。神殿より、大切な神具を紛失した件で捜索している」
「かみぐ?」
おれは思わず聞き返した。神具の紛失? 聖女の逃亡じゃなくて?
「え、あの、聖女さまが逃げたとかじゃなくて」
言った瞬間、隣の銀さんの肘が、おれの脇腹に容赦なくめり込んだ。
「ぐふっ」
「この者は物知らずでな、失礼した」白装束の顔色を窺いながら、銀さんが早口で割って入る。「神具の紛失、初耳だ。我々は見ていない」
「そうか……いや、実はな」
白装束の男は、声を潜めた。
「聖女さまご本人が神殿を出奔された件は、対外的には『療養のため地方へ静養に出られた』と発表しておる。……民の動揺を避けるためにな。だから、あまり大声で言うでない」
「はあ……」
「本当の捜索理由は他にもある。何、いずれ分かることだ。とにかく、銀髪の女を見たら、最寄りの神殿詰め所へ報告を頼む」
白装束の男は、そう言って一団に戻っていった。
おれと銀さんは、しばらく無言で立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
一団が去った後、荷馬車の陰で、おれは脇腹をさすりながら銀さんに詰め寄った。
「今の、めちゃくちゃ痛かったんですけど」
「お前が余計なことを口走るからだ。危うく私だとバレるところだった」
「いや、でも今の会話、なんか変じゃないですか? 『聖女さまが逃げた』ことは隠してて、対外的には静養扱いって」
「……ああ」
「それに『本当の捜索理由は他にもある』って、何なんですか、それ」
銀さんの表情が、フードの下で少し曇った。
「……体裁の問題だ。聖女が自らの意思で逃げ出した、などという醜聞は、神殿としても公にはしたくない。信仰の権威に関わるからな」
「じゃあ、他の理由って」
「……今は言えん」
また、これだ。この人、都合が悪くなると口をつぐむ癖がある。ミレのときのおれと同じパターンだ。逃亡者、みんなこうなるものなのかもしれない。
でも、さっきの白装束の男の口ぶり。あれは、単なる「逃げた聖女を連れ戻す」という話にしては、妙に含みがあった。
「銀さん」
「なんだ」
「深くは聞きません。でも――」
おれは、少し考えて、言葉を選んだ。
「一人で抱えるのがしんどくなったら、言ってください。おれ、あなたに財布を吸われすぎて、もう今さら巻き込まれる量が増えても誤差なんで」
銀さんは、目を丸くした。それから、ふっと、フードの下で小さく笑った気配がした。
「……変な奴だな、お前は」
「よく言われます」
「だが、悪い気はしない。……礼を言う」
珍しく、素直な言葉だった。おれは何だか照れくさくなって、頬をかいた。
◇ ◇ ◇
荷馬車が再び走り出してから、おれは荷台の隅で、こっそり考え込んでいた。
聖女の失踪。神殿が隠したがる、本当の捜索理由。単なる「聖女様、戻ってきて」以上の何か。
王国から逃げるおれ。神殿から逃げる銀さん。似た者同士だと思っていたが、もしかしたら、銀さんの抱えている事情は、おれの想像以上に大きいものなのかもしれない。
「銀さん、次の町までどのくらいです?」
「御者いわく、あと二日だそうだ。町の名は――」
「オーレンス、だ」御者のおっちゃんが横から口を挟んだ。「この国じゃそこそこ大きい商業都市だぞ」
「オーレンス、か」
銀さんが、その名前を聞いて、少しだけ、遠い目をした。
「あそこには、少し、因縁のある知人がいてな」
「因縁?」
「まあ、行けば分かる」
また、はぐらかされた。だが、今日のところは、これ以上聞かないでおくことにした。
逃亡生活十一日目、財布は悲鳴を上げ続け、新たな謎が一つ増えた。それでも、荷馬車に揺られる二人分の体温は、なんとなく、悪くない旅の空気を作っていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
神殿の巡察隊が去り際、隊長格の男がこう部下に呟いていたことを。
「今の荷馬車、少し引っかかるな。……銀髪の連れはいなかったが、若い男の方、随分と体つきがしっかりしていた。まるで、聖女さまの護衛でも務まりそうな」
「考えすぎでは」
「そうかもしれん。だが念のため、オーレンスの詰め所にも報せておけ」
逃亡者たちの道は、静かに、二重の追跡網の中へと進んでいた。




