おれ、商業都市オーレンスに到着して、因縁の相手と鉢合わせる
◇ ◇ ◇
逃亡生活十三日目。荷馬車は、商業都市オーレンスの門をくぐった。
サザンテが「港町の活気」なら、オーレンスは「金の匂いがする活気」だった。大通りには両替商、商会、宝飾品店がずらりと並び、行き交う人々の服装も心なしか上等だ。
「すごい町ですね」
「金の匂いのする場所は、大抵ろくでもない者も集まる。気を抜くなよ」
銀さんが、フードの奥から鋭い目で辺りを見渡しながら言った。神殿の巡察隊と遭遇して以来、この人の警戒心は明らかに一段上がっている。
御者のおっちゃんに礼を言って別れ、おれたちは大通りの雑踏に紛れた。人が多い町は、それだけで隠れ蓑になる。この二日間で学んだ逃亡者の知恵だ。
「まず宿を取るぞ。それから――」
「それから?」
「例の知人に、会いに行く」
銀さんの声が、心なしか固くなった。
◇ ◇ ◇
宿を取った後、銀さんに連れられて向かった先は、大通りから少し外れた場所にある、瀟洒な仕立て屋だった。
「仕立て屋、ですか」
「知人は、ここの店主だ」
銀さんは、店の前で一度、深呼吸をした。それから、意を決したように扉を開けた。
「――ごめん」
「はいはい、いらっしゃ……」
応対に出てきた店主が、銀さんの顔――正確にはフードの奥の紫の瞳を見て、固まった。
三十代くらいの、恰幅のいい女性だった。仕立て屋らしく、針山を腕に巻いている。
「……リリアーヌ、様?」
「久しいな、マーサ」
店主――マーサさんは、しばらく口をぱくぱくさせた後、大声を張り上げた。
「なんでここにいるんですかあああああ!! 神殿中がひっくり返るくらい捜してるんですよ、あなた様を!!」
「静かにしろマーサ、声が大きい」
「大きくもなりますよ! 聖女様が神殿から蒸発して、対外的には静養扱いなのに実際は大捜索、って知ってます!? 知ってて逃げてますよね!?」
「知っている。私が逃げた本人だからな」
「開き直った!」
マーサさんは頭を抱えてしゃがみこんだ。おれはその横で、なんとも言えない気持ちで立ち尽くしていた。
(この人、行く先々で修羅場作ってないか……?)
ミレとの出会い方も割と唐突だったが、銀さんの知人関係、もっと激しい。
◇ ◇ ◇
ひとしきり騒いだ後、マーサさんは店を臨時休業にして、おれたちを奥の作業部屋に通してくれた。
「それで、リリアーヌ様。神殿抜け出して、こんなところで何してるんです」
「逃げている」
「それは見れば分かります! なんで!」
「生涯を神殿に捧げるなど、まっぴらごめんだからだ」
「はあ……相変わらずですね、あなたって人は」
マーサさんは、深いため息をついた。それから、ようやくおれの存在に気づいたように、じろりとこちらを見た。
「で、そちらの坊やは? もしかして、逃避行のお供ですか?」
「サノだ。旅の途中で拾った」
「拾ったって言い方」
「事実だろう」
「事実ですけど!」
マーサさんは、おれとリリアーヌさんを交互に見て、何かを察したように、にやりと笑った。
「へえ……坊や、リリアーヌ様と、その」
「変な想像はやめてください」
察したものが、たぶんおれの想像と同じ方向だったので、先回りして否定した。マーサさんは残念そうな顔をした。残念がる要素、どこにもないと思うんだが。
「まあいいわ。それで、リリアーヌ様。何しにここへ? まさか世間話しに来たわけじゃないでしょう」
銀さんの表情が、すっと真剣になった。
「マーサ、お前に頼みがある」
「はい」
「この国の裏の情報網――お前が昔、使っていたあれを、まだ使えるか」
マーサさんの顔が、一瞬で険しくなった。
「……リリアーヌ様。あれは、もう堅気の仕事じゃありません。あたしはもう足を洗って」
「分かっている。だが、頼めるのはお前しかいない」
「何を、調べたいんです」
銀さんは、しばらく沈黙した。それから、ぽつりと言った。
「〈聖遺物の在り処〉だ」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
◇ ◇ ◇
「せ、聖遺物?」
おれは思わず声を上げた。マーサさんも、明らかに顔色を変えている。
「リリアーヌ様、それを本気で言ってるんですか」
「本気だ」
「それこそ、神殿があなたを本気で追いかけてる理由そのものじゃないですか! 単なる『逃げた聖女』じゃなくて!」
マーサさんの言葉に、おれは息を呑んだ。
(本当の捜索理由って、これのことか……)
巡察隊の男が言っていた「他にもある」理由。それが今、輪郭を持ち始めていた。
「銀さん、聖遺物って、何なんですか」
おれの問いに、銀さんは少し逡巡した後、静かに口を開いた。
「……大陸の均衡を保つとされる、神代の遺物だ。神殿の最奥に安置されているはずのそれが、私が逃げ出す少し前に、何者かによって持ち出された」
「持ち出された……って、まさか」
「私ではない。だが、神殿は、私がその件に関与していると疑っている。……いや、正確には」
銀さんは、フードの下で、初めて苦しげな表情を見せた。
「私は、聖遺物が持ち出される瞬間を、見てしまった。犯人の顔も、知っている。だから、消される前に逃げた」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
おれは、目の前の状況を、必死で頭の中で整理しようとした。
銀さんは、単に「役目が嫌で逃げた聖女」なんかじゃなかった。神代の遺物の盗難という、大陸規模の大事件の目撃者であり、口封じの標的だった。
(これ、おれの「勇者になりたくない」レベルの話と、規模が違いすぎる……!)
「マーサ。だから、聖遺物の行方と、犯人の足取りを追う必要がある。神殿に戻って、事の真相を訴えるにしても、証拠がなければ、私が犯人扱いされて終わりだ」
「……分かりました。あたしのツテ、まだ多少は生きてるはずです。少し時間をください」
マーサさんは、深いため息をつきながらも、頷いた。
「その代わり、リリアーヌ様。危ないことは、あたしのツテに任せてくださいよ。あなたは目立ちすぎる」
「善処する」
「絶対しないやつの返事だ、それ」
◇ ◇ ◇
仕立て屋を出て、宿への帰り道。おれは隣を歩く銀さんに、そっと声をかけた。
「銀さん、大丈夫ですか」
「何がだ」
「その、聖遺物の件。おれが思ってた以上に、ヤバい話だったんで」
銀さんは、少し黙ってから、ふっと息を吐いた。
「今さら怖気づいたか」
「いや、そうじゃなくて」
おれは、少し考えて、言葉を選んだ。
「その事情、最初から言ってくれてよかったのに、と思って」
「……言えば、お前は離れていっただろう。財布目当てで多少は繋ぎ止めていたが、命の危険まで背負わせるのは、さすがに気が引けた」
「財布目当ての自覚あったんですね」
「否定はせん」
意外と正直な人だ。おれは苦笑した。
「まあ、今さら離れないですけどね。ここまで来たら」
「……そうか」
銀さんは、そう言って、少しだけ、フードの下で表情を緩めた気がした。
「勇者から逃げるお前と、聖遺物の秘密を抱える私。とんだ道連れだな」
「え」
おれは、心臓が跳ねるのを感じた。
「今、勇者って」
「言ったな。前々から、薄々気づいていた。お前の力、只者ではない。それに――サノという名、随分と『取ってつけた』響きがする」
銀さんは、フードの奥で、にやりと笑った。
「隠さずともよい。私も似たようなものだと、前に言っただろう」
おれは、しばらく呆然と立ち尽くした後、深いため息をついた。
「……いつから、気づいてたんですか」
「初日からだ」
「初日!?」
「逃亡者は、逃亡者を嗅ぎ分けるものだと、言ったろう」
銀さんは、悪びれる様子もなく、堂々と胸を張った。
おれは、頭を抱えたくなった。正体、財布担当にされてる間に、とっくにバレていたらしい。
――なお、このときのおれは知らなかった。
仕立て屋の奥、マーサが早速こっそり手紙をしたためていたことを。
宛先は、旧知の情報屋。文面には、聖遺物の行方についての依頼と共に、こう添えられていた。
『リリアーヌ様のお供に、王国が捜す黒髪の勇者らしき男が加わっている。この情報、高く売れるだろうか』
逃亡者たちの秘密は、思わぬところから、じわりと漏れ出し始めていた。




