おれ、夜逃げを決行して、思わぬ助っ人を得る
◇ ◇ ◇
店じまいの後、おれとミレは安宿の部屋で向かい合っていた。
窓の外はもう暗い。ろうそく一本の明かりが、部屋にゆらゆらと影を落としている。ミレは、いつもの元気な顔じゃなくて、真面目な顔でおれを見ていた。
「それで? 話したいことって」
「……今夜、この町を出る」
単刀直入に言った。ミレは目を見開いて、それから、静かに息を吐いた。
「やっぱり。今日の騎士さまのこと、関係あるんでしょ」
「……勘いいな」
「これでも商人の端くれよ。空気読むのは商売の基本」
ミレは膝を抱えて、おれをじっと見た。
「ねえ、サノ。ひとつだけ聞いていい? ……あんた、本当に元カノから逃げてるだけ?」
心臓が、跳ねた。
全部を話す気は、ない。それはミレを守るためだ。だが、この子は、五日間一緒に旅をして、店番をして、くだらない話をして――おれのことを、少しは分かってくれている。その子に、真っ赤な嘘だけをついたまま、去るのは。
――駄目だ、な。少しくらいは。
「……本当のことは、言えない。言ったら、多分ミレに迷惑がかかる。だから、詳しくは聞かないでほしい」
「迷惑って」
「ただ……ひとつだけ言えるのは」
おれは、深呼吸をした。
「おれ、悪いことしたわけじゃない。誰かを傷つけたわけでもない。ただ、望んでない役目を押し付けられそうになって、それが嫌で、逃げてる。それだけなんだ」
ミレは、しばらく黙って、おれを見つめていた。それから、ふっと表情を緩めた。
「……分かった。それだけ聞けりゃ十分よ」
「いいのか、それで」
「いいの。あんたと五日一緒にいて分かったもん。サノは、悪いことする人間じゃない。それだけで、あたしには十分」
その言葉に、鼻の奥が、ちょっとだけつんとした。前世含めて、こんなにあっさり信じてもらったの、初めてかもしれない。
「それに」ミレはにっと笑った。「訳あり同士、深くは聞かない。それが旅の礼儀でしょ?」
「……ありがとう、ミレ」
「お礼はいいから、さっさと逃げる算段立てるわよ! で、どうやって町を出るつもり? 門はもう閉まってるし、朝まで待つ気?」
「そこなんだよな……」
サザンテの城門は、夜間は完全封鎖される。朝を待てば、リーゼロッテさんの部下が待ち構えてる可能性が高い。かといって、夜のうちに城壁をよじ登るのは……いや、実は加減を間違えなければワンチャンいけそうな気もするが、目撃されたら一発でアウトだ。
「船は?」ミレが言った。
「船?」
「港には夜でも出る漁師の船があるのよ。仕入れの関係で、あたし何人か顔見知りがいるの。お金払えば、隣町くらいまでなら夜のうちに送ってもらえるはず」
「マジか」
「マジよ。ちょっと待ってて、聞いてくる!」
ミレは立ち上がると、すぐさま部屋を飛び出していった。おれは慌てて荷物をまとめながら、その背中を見送った。
――こういうところなんだよな。この子。
深くは聞かない。でも、困ってたら全力で動く。前世でも、異世界でも、こういう人には、なかなか出会えない。
◇ ◇ ◇
一時間後。ミレは息を切らして戻ってきた。
「話つけてきた! 顔見知りの漁師のおじさん、今夜これから隣の漁村まで魚を運ぶんだって! 便乗させてもらえることになったわ!」
「金は」
「銅貨十五枚で手を打ってくれた。あたしが半分出すから」
「いや、それは悪いって」
「いいのいいの! 護衛代の前払いってことで! それに――」
ミレは、少しだけ目を伏せた。
「あたしも、あんたには世話になったし。荷車、助けてもらったし。ここまで一緒に来てもらったし」
「ミレ……」
「それに、正直に言うとね」
ミレは顔を上げて、いつもの元気な笑顔を作った。無理してる笑顔だと、五日一緒にいたおれには、分かった。
「寂しいのよ、急にいなくなるの。だから、せめて『行ってらっしゃい』くらい、ちゃんと言わせてよ」
その一言に、おれは何も言えなくなった。
ラノベを千冊読んで、いろんな別れのシーンを知ってるつもりだった。でも、実際に自分がその場に立つと、知ってたはずの言葉が、全部出てこなくなる。
「……ありがとう、ミレ。本当に」
「うん」
「店、うまくいくといいな」
「当たり前でしょ、あたしを誰だと思ってるの。三年後には港町一番の大商人よ」
「大きく出たな」
「大きく出るのが商人よ!」
ミレは笑って、それから、荷物をまとめ終えたおれに、小さな布袋を差し出した。
「これ、持ってって」
「なに」
「非常用のお金。それと、干し肉と、パン」
「いいって、これ以上は」
「いいから受け取りなさい! これは護衛への退職金! 断ったら怒るからね!」
有無を言わさぬ勢いに、おれは苦笑しながら布袋を受け取った。ずしりと重い。この子、絶対自分の取り分削って入れただろ。
「……絶対返すから。いつか」
「約束よ。あたしの店が有名になったら、絶対食べに来てよね。そのときは本当の名前、こっそり教えてくれてもいいから」
その言葉に、おれは一瞬詰まって、それから、頷いた。
「……分かった。約束する」
◇ ◇ ◇
深夜、人気のない裏路地を通って、おれとミレは港の外れにたどり着いた。
小さな漁船が一艘、闇の中に停泊している。船の上で、日に焼けた初老の漁師が手招きしていた。
「兄ちゃんかい、乗せてくれって話は。急いで乗りな、潮が変わる前に出るぞ」
「お世話になります」
おれは船に乗り込み、それから、桟橋に立つミレを振り返った。
「じゃあ、行く」
「うん」
「元気で」
「そっちこそ。元カノに捕まらないようにね」
くだらない冗談に、二人で少し笑った。船が桟橋を離れていく。暗い海の上に、ミレのシルエットが、小さくなっていく。
「サノ!」
少し離れたところで、ミレの声が響いた。
「あんたの本当の目的、いつか教えてよね! ……その日まで、無事でいなさいよ、馬鹿!」
おれは、大きく手を振った。声は返さなかった。返したら、なんか泣きそうだった。
前世で死んで、異世界に来て、勇者だって言われて、逃げ出して。そこで出会った、たった五日間の相棒。短い付き合いだったけど、間違いなく――友達、だったんだと思う。
◇ ◇ ◇
船は静かに、夜の海を進んでいった。
漁師のおっちゃんは無口な人で、余計な詮索は一切してこなかった。ありがたい。おれは船の縁に座って、遠ざかっていくサザンテの明かりを、いつまでも眺めていた。
「兄ちゃん、隣村までは半刻ってとこだ。着いたら、そこから先はどうする気だ」
「……まだ、決めてないです」
本当に、決めていなかった。北の王都方面は論外。南のサザンテは今夜で終わり。となると――
「あんた、西には行ったことあるか」
「西、ですか」
「ああ。この海沿いをずっと西に行くと、国境を越えて、隣国に入る。ラファール共和国っつってな。王国とは仲があんまり良くない国だ」
おれの頭に、稲妻が走った。
隣国。王国の追っ手が届きにくい場所。それに、仲が悪い国同士なら、王国からの手配書だって、そう簡単には出回らない。
「その国境の町まで、船で行けたりします?」
「まあ、金次第だな」
おれはミレの布袋を、そっと握りしめた。
「行けるところまで、お願いします」
漁師のおっちゃんは、にやりと笑って、舵を切った。
逃亡生活八日目の夜、おれの旅は、新たな方角へと進み始めた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
翌朝、サザンテの露店にリーゼロッテが部下を率いて踏み込んだとき、そこにはミレしかいなかったことを。
「サノという男は」
「昨日の夜、店を辞めるって言って、いなくなりました。次の仕事があるとかで」
ミレは、涙目になりながらも、堂々と嘘をついた。
そしてリーゼロッテは、港の記録から、一艘の漁船が深夜に出港していたという証言を、間もなく手に入れることになる。
鷹の追跡は、これで終わりではなかった。




