おれ、日常に戻って、白い空間からの呼び出しを受ける
◇ ◇ ◇
逃亡生活百十五日目。おれたちは、魔王領を発ち、王国へと戻る道を歩いていた。
「結局、門の話、進展なしでしたね」
「ザガル殿も、確証がない以上、動きようがないのだろう」
リーゼロッテさんが、馬上で答えた。
「調査は続けてくれるそうだ。……我々も、日常に戻りつつ、備えるしかない」
「日常、か」
銀さんが、少し、遠い目をした。
「私は、神殿に戻る。……これから、忙しくなるだろうな」
「大丈夫ですか、一人で」
「一人ではない。……協力してくれる者も、増えてきた」
◇ ◇ ◇
王都に戻ったおれたちは、そこで、一旦、別れることになった。
「では、私は神殿へ」
「おれは、特別部隊の拠点ですかね」
「私も同行する。……隊長として、書類仕事が山積みだ」
リーゼロッテさんが、げんなりした顔で言った。
「書類、また溜まってるんですか」
「三ヶ月、ほとんど不在だったのだ。……想像したくもない」
「そういえば、おれの分もありますよね」
「当然だ。……覚悟しておけ」
おれは、思わず、遠い目をした。魔王と戦うより、書類の方が、よほど手強い気がする。
◇ ◇ ◇
「サノ」
別れ際、銀さんが、おれを呼び止めた。
「なんですか」
「……これから、しばらく、会う機会は減るだろう」
「そうですね」
「だが」
銀さんは、少し、言葉を選ぶような素振りを見せた。
「もし、何かあれば。……いや、何もなくとも、構わん。顔を見せに来い」
「銀さん……」
「一人で抱え込むな、と言ったのは、お前だろう」
銀さんは、少し、照れくさそうに、そう言った。
「……はい。必ず、行きます」
◇ ◇ ◇
それから、数週間。
おれの生活は、驚くほど、平穏になった。
特別部隊の拠点で、書類仕事に追われ、時折、凶暴化した魔物への対処に出動し、そして、戻ってきては、また書類を書く。
「魔物の出現、また減りましたね」
「魔素調整の効果だな。……この分なら、来年には、ほとんど落ち着くだろう」
リーゼロッテさんが、報告書を読みながら答えた。
「そうなったら、特別部隊、解散ですかね」
「かもしれん。……その時は、どうする」
「うーん」
おれは、少し考えた。
「魔王領との連絡役、とかですかね。ザガルさんとも、顔見知りですし」
「良い案だ。……上に、進言しておこう」
◇ ◇ ◇
そんな、穏やかな日々が続いた、ある夜。
おれは、寝台に横になり、いつも通り、眠りに落ちた。
――そして、気づくと。
「……あれ?」
おれは、真っ白な空間に、立っていた。
上下左右、どこまでも白。壁も床も天井も見当たらないのに、なぜか、立っている。
三ヶ月半前、この世界に来る前に、通った場所だ。
「これ、夢……じゃ、ないですよね」
◇ ◇ ◇
『お久しぶりです、佐野晶さん』
声が、響いた。透き通るような、それでいて事務的な、あの声。
「女神さま!」
『はい。……いえ、正確には、管理官、と申し上げるべきでしょうか』
「管理官」
『わたくしの正式な役職名です。……以前は、分かりやすさを優先して、女神と名乗りました』
相変わらず、夢のない説明だった。
「あの、なんで、おれ、ここに」
『召喚いたしました。……あなたに、確認したいことがございます』
◇ ◇ ◇
「確認、ですか」
『はい。……佐野晶さん。あなたは、転生後三ヶ月で、当該世界の情勢を、大きく変動させました』
「まあ、いろいろありまして」
『いろいろ、で済ませられる規模ではございません』
管理官の声には、微かに、困惑が滲んでいた。
『二百年続いた種族間の対立を、和平に導く。……これは、標準的な勇者の行動範囲を、大きく逸脱しています』
「逸脱、って。……悪いことしましたか」
『いえ。……ただ、想定外なのです』
◇ ◇ ◇
「想定外って、どういうことですか」
『当管理局は、各世界の安定を維持するため、定期的に、勇者素養を持つ魂を、転送しています』
管理官は、淡々と説明を続けた。
『歴代の勇者は、皆、魔王軍と戦い、一定の均衡を保った上で、生涯を終えました。……それが、想定された役割です』
「均衡を、保つ」
『はい。……つまり、和平は、想定されていませんでした』
その言葉に、おれは、思わず、眉をひそめた。
「……ちょっと待ってください」
◇ ◇ ◇
「それって、あなたたちは、あの世界が、二百年、争い続けることを、知ってて放置してたってことですか」
『放置ではありません。均衡の維持です』
「同じでしょ、それ」
おれの声が、思わず、強くなった。
「魔王領の人たち、二百年、飢えてたんですよ。人間側も、魔物に襲われ続けてた。……それを、均衡だって言って、見てただけなんですか」
『介入は、規定により、制限されています』
「規定」
『はい。……当管理局は、各世界の自律性を尊重する方針です』
◇ ◇ ◇
おれは、しばらく、言葉が出なかった。
怒りが、湧いてきた。だが、それをぶつけたところで、この事務的な声には、届かない気もした。
「……分かりました」
おれは、深呼吸をひとつして、静かに答えた。
「規定は、規定なんでしょうね。あなたたちにも、事情はあるんだと思います」
『ご理解、感謝いたします』
「でも」
おれは、はっきりと言った。
「おれは、規定に従うために、あの世界にいるわけじゃないです」
『と、申しますと』
「おれは、あそこで生きてる人間です。……勝手に転生させられて、勝手に勇者にされて、逃げ回って、いろんな人に出会って」
おれは、まっすぐ、声のする方を見つめた。
「あそこは、もう、おれの世界なんです。……規定より、そっちを優先します」
◇ ◇ ◇
長い沈黙が、白い空間に落ちた。
やがて、管理官の声が、静かに響いた。
『……記録いたします』
「記録?」
『はい。……上位管理者への報告に、あなたの言葉を、そのまま添付いたします』
「怒られたりしませんか、それ」
『分かりません。……ですが、これが、正確な記録です』
管理官の声に、初めて、微かな、感情のようなものが滲んだ気がした。
『佐野晶さん。……一つ、個人的な感想を申し上げても、よろしいでしょうか』
「どうぞ」
『あなたのような転生者は、初めてです』
◇ ◇ ◇
「褒めてます?」
『判断しかねます。……ですが、興味深いとは、思っております』
「それ、褒め言葉として受け取っておきます」
『では、そのように』
白い空間が、次第に、ぼやけ始めた。
『時間です。……お戻りください』
「あの、最後に一つ」
『はい』
「〈大陸の鍵〉の、門のこと。……何か、教えてもらえませんか」
管理官は、しばらく、沈黙した。
『……規定により、お答えできません』
「ですよね」
『ですが』
声が、静かに、続いた。
『備えておくことを、推奨いたします』
◇ ◇ ◇
目が覚めた時、おれは、特別部隊の拠点の寝台にいた。
窓の外は、まだ、夜明け前だった。
「……夢、じゃないよな」
おれは、しばらく、天井を見つめていた。
管理局。上位管理者。そして、備えておけという、最後の言葉。
「……銀さんと、リーゼロッテさんに、報告しないと」
逃亡生活百四十日目。
平穏な日常の裏で、新たな物語の歯車が、静かに、回り始めていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
白い空間で、管理官が、報告書を提出した先。
そこに佇む、より上位の存在が、静かに、こう呟いていたことを。
『……面白い。介入なしで、世界の構造そのものを変えた個体か』
『いかがいたしましょう』
『放置せよ。……観測を続ける』
その存在は、静かに、続けた。
『あの世界が、どこまで変わるか。……見届けるとしよう』




