おれ、露店で接客して、鷹とすれ違う
◇ ◇ ◇
逃亡生活七日目。おれの生活は、順調に「普通」へと近づいていた。
朝は市場の露店で店番。ミレの仕入れた雑貨や布を並べて、道行く人に声をかける。昼は交代でミレと飯を食い、夕方まで店番。仕事終わりは安宿でごろ寝。銅貨六枚の日当が、着実に貯まっていく。
平和だ。平和すぎて涙が出そうだ。魔王も四天王も出てこない。出てくるのは値切り交渉のおばちゃんくらいのものである。
「にいちゃん、この布、もうちょっとまけてくれないかい」
「うーん、これ以上は厳しいですね……あ、でもこっちの端切れとセットなら、ちょっとだけおまけできますよ」
「おや、いいねえ。それで手を打とう」
商談成立。おばちゃんは満足げに去っていった。おれは内心でガッツポーズをした。この五日で、接客スキルがめきめき育っている。前世の帰宅部人生では絶対に得られなかった能力だ。異世界、意外と人を成長させる。
「サノ、うまくなったわねー、接客」
隣の露店番のミレが感心したように言った。
「まあ、慣れって怖いもんだな」
「あんた、ほんと便利屋の才能あるわ。うちに骨埋めてくれてもいいのよ?」
「骨は東の田舎に埋める予定なんで」
「いつか帰るんだ? 元カノのいる田舎に?」
「話がずれてる」
ミレの中の「サノ=元カノから逃げる男」設定は、日に日に補強されているらしい。もう訂正する気も起きない。むしろ好都合ですらある。逃亡の本当の理由から、話をそらしてくれる優秀な誤解だ。
それに、この生活。悪くない。いや、正直に言おう。
楽しい。
前世、おれは特に目立つタイプでもなかった。友達はそこそこいたが、クラスの中心ってわけでもない。可もなく不可もない高校生活。それが今、異世界で店番して、値切り交渉して、同い年の女の子とくだらない話をして――前世よりよっぽど「青春」してる気がする。命の危機と隣り合わせという点を除けば。
除けたら駄目な点だが。
◇ ◇ ◇
昼休み、おれは屋台で買った焼き魚の串を片手に、市場の外れの噴水の縁に座っていた。ミレは商会の知り合いに挨拶回りに行っていて、今は一人だ。
潮風が心地いい。かもめが鳴く。異世界って感じの、のどかな昼下がりだった。
「――失礼、少し尋ねたいのだが」
声をかけられて、おれは顔を上げた。
そして、串の魚を落としそうになった。
銀色の鎧、燃えるような赤毛。そして切れ長の青い目。
リーゼロッテ・クロイツだった。しかも、私服っぽい軽装じゃなくて、鎧姿。私用でぶらついてる感じではない。仕事中だ。おれを捜す仕事中だ。
「は、はい、なんでしょう」
声が上ずらなかったのは、我ながら奇跡だった。おれは平静を装って串の魚を口に運んだ。心臓は口から出そうだった。
「この辺りで、ミレという行商人の露店を知らないか。届け出の確認で少し話を聞きたい」
「……ミレ、ですか」
え、待って。それ、思いっきりおれの雇い主だよ。というか届け出の確認って、絶対おれの本当の名前を照合しに来てるやつだよ。
「さあ、この辺りは露店が多くて。どんな店です?」
「雑貨と布を扱っているそうだ。三日前に入城の届け出をしたばかりの、新参の商人だとか」
「うーん、心当たりないですね。すみません」
我ながら、平然と嘘をついた自分に驚いている。前世のおれ、嘘つくの下手だったのに。逃亡生活が人を鍛える。鍛えてほしくない部分だが。
リーゼロッテさんは、じっとおれを見た。この間と同じ、鷹の目。三秒。おれは魚の串を見つめて、目を合わせないようにした。挙動不審だと思われないぎりぎりのラインを、頭の中で計算しながら。
「……お前、以前どこかで会ったか?」
心臓が止まるかと思った。
「ど、どうでしょう。あんまり印象に残るタイプじゃないんで」
「そうか。……いや、失礼した。似たような黒目の男を最近よく見かけるものでな」
黒目、と言った。黒髪、とは言わなかった。
髪染め、効いてる。
「気にしないでください。お捜し人、見つかるといいですね」
「感謝する。良い昼を」
リーゼロッテさんは踵を返し、市場の雑踏に消えていった。
おれはしばらく、串を持ったまま固まっていた。それから、詰めていた息を、長く、長く吐き出した。
心臓、まだばくばく言ってる。マジで、マジで死ぬかと思った。あの人、絶対怪しんでた。「以前どこかで会ったか」って、街道での尋問のときのおれを、うっすら覚えてたんじゃないか?
いや、待て。落ち着け。もし完全に確信してたら、あの場で捕縛されてる。「似たような黒目の男」で流したってことは、髪色と、あと――そうだ、態度だ。堂々としてたのがよかったのかもしれない。挙動不審に見えなければ、印象は薄れる。
ラノベで読んだ知識が、また一つ実戦投入された。「怪しまれたら、堂々とする」。今度からこれも掟に加えよう。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。店じまいをしていると、ミレが青い顔で戻ってきた。
「サノ、大変! さっき商会の詰め所で、王国騎士団の人に呼び止められて、あたしの露店のこと聞かれたのよ!」
「……そう、なんだ」
おれの心臓が、二度目のばくばくを開始した。ミレ、それ、おれが今日話した相手と同一人物だぞ。
「なんか勇者さま捜しの一環で、最近サザンテに来た商人を片っ端から確認してるんだって! あたし、めちゃくちゃ緊張して、変なこと言っちゃったかも!」
「な、なに言ったの」
「『雇われの子いますけど、何もやましいことしてない普通の子です』って、聞かれてもないのに言っちゃった!」
「それ絶対怪しまれるやつじゃん」
「言われて気づいた!!」
ミレが頭を抱えてしゃがみこんだ。おれは苦笑いを浮かべながら、内心で冷や汗をだらだら流していた。
まずい。じわじわ、確実に距離が詰まってきている。
髪染めと堂々とした態度で、今日は乗り切った。だが、リーゼロッテさんはおそらくまだこの町にいる。ミレの露店も知られた。次会ったとき、同じ言い訳が通じる保証はない。
「……ミレ、聞いていいか」
「なに?」
「もし、おれが急にこの町を出るって言ったら、どうする」
ミレは、きょとんとした顔でおれを見た。それから、少し考えて、真面目な声で言った。
「元カノがそんなに怖いの?」
「……まあ、うん、そんな感じ」
「ふーん。……なら仕方ないわね。でも、行くならちゃんと『行く』って言ってよね。急にいなくなるのは、なしだから」
その言葉に、少しだけ、胸のあたりがちくりとした。
訳あり同士だから深く聞かない。でも、いなくなるなら一言くれ。ミレなりの、優しさなんだと思う。
「……分かった。約束する」
おれはそう言って、噴水の水面に映る自分の茶髪を見つめた。
逃亡生活、安定期は、思ったより短かったらしい。
――なお、このときのおれは知らなかった。
その夜、宿の食堂でリーゼロッテが部下に地図を広げさせ、こう告げていたことを。
「ミレという行商人の露店、明日改めて訪ねる。……そこの雇われの男、名は『サノ』。黒目、細身。年恰好も一致する。髪は茶と報告があったが、染料の匂いを我々の鼻は誤魔化せぬぞ」
鷹は、獲物の匂いをすでに嗅ぎつけていた。




