おれ、検問を突破して、偽名と髪色を乗り換える
◇ ◇ ◇
港町サザンテの入り口には、立派な門があった。
白い石造りの門に、出入りする人と荷馬車の長い列。潮の匂いと、かもめっぽい鳥の声。おお、港町。テンションが上がる――上がりかけた足が、止まった。
門の脇に、衛兵が立っている。それは、いい。門なんだから衛兵くらいいる。問題はその隣だ。
掲示板。そこに貼られた、真新しい一枚の紙。遠目にも分かる。人相書きだ。
「アルー? 何ぼーっとしてんの、列進んでるよ」
「あ、ああ、ごめん」
荷車を押しながら、おれは目だけで人相書きを確認した。列が進むにつれ、文字が読めてくる。
『尋ね人。十代半ばから後半の男。黒髪、黒目、細身。「アル」と名乗る可能性あり。心当たりのある者は衛兵詰め所まで。褒賞金あり』
…………。
早い早い早い。なんで先回りされてるんだ。おれ、徒歩五日で来たんだぞ。あ、そうか、早馬。馬は速い。徒歩の逃亡者より通達の方が速い。当たり前のことに、おれは今気づいた。逃亡計画、根本から見直しが必要だった。
まずいのは人相書きだけじゃない。この列の先、門では衛兵が入城者に聞き取りをしている。名前と、入城の目的。
名前。
「アル」と名乗ったら、終わりだ。
だが待て。隣にはミレがいる。五日間「アル」と呼ばれ続けた。ここで急に別の名前を名乗ったら、ミレが「え? アルでしょ?」と言う。天然で言う。あの子は絶対に言う。
詰んだ……いや、まだだ。考えろ佐野晶。おれの脳みそは、前世でラノベを千冊読んできた脳みそだぞ。逃亡と潜伏の展開なら千パターン見てきた。使え。あの無駄な読書量を、今こそ。
「なあ、ミレ」
「ん?」
「サザンテで商売始めるならさ、商会に届けとか出すんだろ? そのとき、店主のミレと、従業員の名前も書いたりする?」
「するわよー。何、アルも正式にうちの従業員になってくれる気になった?」
「その前にひとつ告白がある。……アルってのは、旅の間だけの通り名なんだ」
「え、そうなの!?」
「便利屋稼業は、たちの悪い客に本名を知られると厄介だから。目的地に着いたら本名に戻すことにしてる。……本名は、サノっていうんだ」
我ながら、するする嘘が出てきた。この五日でおれの中の「訳あり便利屋アル」の設定が練り上がっていたおかげだ。設定を作り込むのは、ラノベオタクの得意分野である。
「サノ……へえ! 変わった響きね。どこの訛り?」
「東の、すっごい田舎の方」
「ふーん! 了解、じゃあ町に入ったらサノね! 訳ありは旅人の基本!」
ミレはあっさり受け入れた。いい子だ。そして少し疑ってほしい、護衛対象として心配になるから。
かくして、おれたちの順番が来た。
「次。名前と、入城の目的を」
衛兵のおっちゃんが、面倒くさそうに帳面を開く。先にミレが元気よく名乗った。
「ミレ! 行商人です! サザンテで店を開くために来ました!」
「はいよ。そっちの兄ちゃんは」
「サノです。彼女の店の、雇われ人で」
心臓の音がうるさい。衛兵の視線が、おれの黒髪をかすめた――気がした。頼む。黒髪の若者なんて、他にもいるだろ。港町なんだから、いろんな人種が来るだろ。
「……荷は? 検めるぞ」
「どうぞどうぞ! 雑貨と布です!」
衛兵は荷車の木箱を二つ三つ開けて、中の雑貨をざっと見ると、顎で門の先をしゃくった。
「よし、通れ。商会への届け出は三日以内にな」
「「ありがとうございます」」
――通った。
門をくぐって、雑踏に紛れて、おれはようやく息を吐いた。膝が笑いそうだった。検問突破。逃亡生活初の大関門、クリアだ。
ちなみに後で気づいたのだが、衛兵が興味を示したのは、おれの顔より荷車の中身だった。密輸の取り締まりが本業で、人相書きの確認は片手間らしい。役人の面倒くさがり、万国共通。今回ばかりは感謝する。
◇ ◇ ◇
サザンテの町は、うるさくて、雑多で、最高だった。
大通りには市場がひしめき、魚を焼く煙と香辛料の匂い。船乗り、商人、旅人、獣人(!)、いろんな見た目の人々が行き交って、誰も他人をじろじろ見ない。黒髪のおれも、ただの通行人Aだ。
やはり都会だ。都会は人を自由にする。前世で東京に憧れてた田舎の高校生の勘は、異世界でも正しかった。
「サノ! あたし、商会に届け出してくるから、市場の様子見といて! 何がいくらで売ってるか、ざっとでいいから!」
「了解」
ミレと別れて、おれは市場をぶらついた。もちろん相場チェックだけが目的じゃない。おれにはおれの買い物がある。
まず、古着屋でフード付きの外套。銅貨八枚。人相書き対策の基本装備だ。ただしフードを常時かぶるのは逆に怪しいので、ここぞという場面用。
それから、おれは薬屋兼雑貨屋みたいな店で、目当てのものを見つけた。
染め粉だ。
「すみません、これって髪にも使えます?」
「ああ、髪染めならこっちの棚だよ。船乗りの兄ちゃんたちがよく買ってくね。茶と、赤茶と、金がある」
あるんだ、髪染め。文明に感謝。おれは一番自然な「茶」を選んだ。銅貨十枚。痛い出費だが、命の値段と思えば安い。
これで「黒髪黒目、細身、アル」の人相書きから、「黒髪」と「アル」が消える。残るは「黒目、細身の若い男」。そんなの町に五百人はいる。完璧だ。
その夜。ミレが借りた安宿の部屋の水場で、おれは人生初の髪染めに挑んだ。説明書き(この世界、ちゃんと商品に説明が付いてる。文字が読めてよかった)どおりに粉を湯で溶いて、髪に塗り込んで、しばらく待って、流す。
鏡代わりの磨いた銅板を覗き込むと、そこには茶髪の若者がいた。
「……誰だお前」
悪くない。我ながら、どこにでもいる茶髪の町人Bだ。個性がない。最高だ。個性のなさが命を守る。
部屋に戻ると、ミレが「ぶふっ」と噴き出した。
「サノ、あんた髪! どうしたの!?」
「心機一転ってやつ。新しい町だし」
「似合わな……くはないけど! 何その徹底した心機一転!? あ、分かった。あんたの『色々』って、女ね? 元カノから逃げてるんでしょ」
「…………まあ、そんな感じ」
「やっぱり! 隠居みたいなこと言ってたのそういう!」
ミレの中で、おれは「怖い元カノから逃げて田舎の隠居を目指す力持ち」になったらしい。訂正はしない。真実(勇者判定から逃げて王国騎士団に追われている)よりよっぽど健全な設定だ。
……いや待て。怖い女性から逃げてるという一点においては、あながち間違ってもいないな? あの赤毛の騎士さまの鷹の目を思い出して、おれは一人で背筋を震わせた。
◇ ◇ ◇
翌日から、新生活の準備が始まった。
ミレは商会への届け出を済ませ、市場の外れに小さな露店の場所を借りた。おれは正式に「従業員サノ」として登録された。日当銅貨六枚、昼飯付き。仕事は荷運びと店番と、ミレの無茶ぶり対応。
荷運びは、加減の特訓の成果が出た。木箱を「よいしょ」と言いながら、一般人の速度で運べるようになった。パンも砕かない。握手も潰さない。おれは着実に「普通」を習得しつつある。普通って、努力で獲得するものだったんだな。
夕方、店じまいをしながら、おれは海を眺めた。
夕日で赤く染まる海。帆船のシルエット。飯の匂い。日当銅貨六枚のつつましい生活。
……いいじゃないか。これだよ、これ。おれが求めてた第二の人生。魔王も四天王も出てこない、平和で退屈な毎日。このまま「町人サノ」として溶け込んで、ほとぼりが冷めるのを待つ。勇者捜しなんて、どうせ一ヶ月もすれば下火になる。王国だって暇じゃないんだ。
逃亡生活、早くも安定期に入ったな。
――なお、このときのおれは知らなかった。
同じ日の夕方、サザンテの港に一隻の高速船が入港していたことを。船から降り立った赤毛の騎士は、迎えの衛兵にこう尋ねた。
「入城記録を見せろ。ここ三日の、若い男の分をすべてだ」
リーゼロッテ・クロイツ。徒歩の獲物を、彼女は船で追い越すつもりが――どうやら、ぎりぎり先を越されたらしい。
帳面をめくる指が、ある一行で止まる。
『サノ。行商人ミレの雇われ人』
「……サノ。ふ、変わった響きの名だ」
鷹の目が、面白そうに細められた。




