おれ、四天王に歓迎されて、魔王領の食卓を囲む
◇ ◇ ◇
逃亡生活百九日目。おれたちは、魔王領の中心、ザガルの居城に招かれていた。
城は、想像していたような禍々しい魔王城ではなく、岩山を削り出して造られた、質実剛健な建物だった。装飾は少なく、実用本位。ザガルの人柄が、そのまま形になったような造りだ。
「今夜、ささやかな宴を用意した」
ザガルの言葉に、おれは、少し驚いた。
「宴、ですか」
「和平の締結を、我らの側でも、正式に祝いたい。……それに、お前たちに、会わせたい者たちがいる」
◇ ◇ ◇
夕刻。城の大広間に通されたおれたちを待っていたのは、見覚えのある顔ぶれだった。
「よく来たな、勇者」
全身を黒い甲冑で覆った、巨躯の魔族。〈鉄壁のバルガス〉。
「その節は、世話になった」
白銀の鎧を纏った、青白い髪の女性。〈氷姫のセレナ〉。
「お会いできて、光栄です」
黒いローブの、痩身の男。〈静謐のヴェルナー〉。
四天王のうち、三人が、揃って出迎えてくれた。
「……なんか、複雑な気分ですね」
おれは、正直な感想を漏らした。
「二ヶ月前、全力で殴り合ってた相手と、宴を囲むって」
◇ ◇ ◇
「その点は、こちらも同じだ」
バルガスが、豪快に笑った。
「あの時、貴様の拳を受けた腕、しばらく痺れが取れなかったぞ」
「すみません」
「謝るな。……あれは、良い一撃だった」
バルガスは、そう言って、おれの肩を、ばしんと叩いた。
「いてっ」
「おっと、すまん。……力加減が、まだ苦手でな」
「あー、分かります、それ」
おれは、思わず、深く頷いてしまった。
「おれも、それで、ずっと苦労してきたんで」
「ほう。……勇者殿も、同じ悩みを」
意外なところで、共感が生まれた。
◇ ◇ ◇
「サノ殿」
セレナが、静かに歩み寄ってきた。
「ラーベンの村の件、改めて、詫びたい」
「村の人たち、無事でしたから」
「それでも、だ。……あの時、私は、人を道具として扱った。恥ずべきことだった」
セレナは、深く、頭を下げた。
「あの後、あなた方の絆を見て、考えを改めた。……力による支配が、我らの理だと思っていたが、それだけではないのだと」
「セレナさん」
「今は、部下たちとの関係を、少しずつ、変えようとしている。……難しいがな」
セレナは、少しだけ、口元を緩めた。初めて見る、彼女の柔らかい表情だった。
◇ ◇ ◇
宴が始まると、広間は、思いのほか賑やかになった。
魔族の料理が、次々と運ばれてくる。見た目は独特だが、味は悪くない。むしろ、香辛料の使い方が絶妙で、おれの口には、かなり合った。
「これ、うまいですね」
「気に入ったか」
ザガルが、満足そうに頷いた。
「魔素の乱れで、香辛料の栽培も、長らく難しかった。……これも、今年から、また作れるようになったものだ」
「そうなんですか」
「二百年ぶりの、本来の味だ。……我らも、久々に口にする」
その言葉に、おれは、料理を口に運ぶ手を、思わず止めた。
◇ ◇ ◇
「……ザガルさん」
「なんだ」
「二百年って、長いですね」
「長い」
ザガルは、静かに答えた。
「私が生まれた時には、既に、この状況だった。……父も、祖父も、豊かな土地を知らずに死んだ」
「そんなに」
「魔族の寿命は、人間より長い。……だが、それでも、二百年は、三世代分だ」
ザガルは、広間で笑い合う魔族たちを見渡した。
「ここにいる者たちも、皆、飢えを知って育った。……今夜のような食卓は、彼らにとって、初めての経験だ」
◇ ◇ ◇
おれは、改めて、広間を見渡した。
談笑する魔族たち。料理を運ぶ給仕。隅で、初めて見る料理に目を輝かせている、若い兵士。
その光景が、妙に、胸に迫った。
「なあ、サノ」
隣に座っていた銀さんが、静かに口を開いた。
「私は、聖女として、長く神殿にいた。……そこでは、魔族は、人間の敵であり、討伐すべき存在だと、教えられていた」
「はい」
「だが、こうして、同じ食卓を囲むと。……あの教えは、何だったのかと、思わずにいられん」
銀さんの声には、深い、複雑な感情が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
「聖女殿」
声をかけてきたのは、ヴェルナーだった。
「その葛藤、我らも、同じです」
「同じ、とは」
「我らもまた、人間は、貪欲で、話の通じぬ生き物だと、教えられて育ちました」
ヴェルナーは、静かに続けた。
「二百年、使者を送っては、殺され続けた。……その経験が、我らの中に、深い不信を刻みました」
「……そうか」
「双方が、相手を、化け物だと思い込んでいた。……そこに、この方が、現れた」
ヴェルナーは、おれを見た。
「話を、聞いてくれる人間が、初めて、現れたのです」
◇ ◇ ◇
宴も終盤に差し掛かった頃、ザガルが、静かに立ち上がった。
「皆に、伝えておきたいことがある」
広間が、静まり返った。
「和平は、成った。だが、これは、始まりに過ぎん」
ザガルの声が、広間に響く。
「二百年の断絶は、一夜では埋まらぬ。人間の中にも、我らを憎む者はいる。我らの中にも、人間を許せぬ者はいる」
ザガルは、おれたちを見た。
「だが、道は、開かれた。……その第一歩を、共に歩んでくれた者たちが、今夜、ここにいる」
広間の魔族たちが、一斉に、こちらを見た。
◇ ◇ ◇
「勇者サノ殿。聖女リリアーヌ殿。騎士リーゼロッテ殿」
ザガルは、深く、頭を下げた。
「感謝する」
その瞬間、広間の魔族たちが、一斉に、立ち上がって、頭を下げた。
かつての敵。二百年、殺し合ってきた者たち。
その全員が、今、おれたちに、頭を下げている。
「……なんか、こういうの、慣れないんですけど」
おれは、照れくささを誤魔化すように、呟いた。
「慣れておけ、勇者殿」
バルガスが、笑いながら言った。
「これから、何度でも、こういう場面はあるぞ」
◇ ◇ ◇
逃亡生活百九日目の夜。
おれは、魔王領の食卓を囲みながら、静かに、幸せを噛みしめていた。
三ヶ月前、逃げ出した勇者。
その逃亡が、こんな夜に、辿り着くとは、誰が想像しただろうか。
――なお、このときのおれは知らなかった。
宴の喧騒の中、ザガルが、ヴェルナーに、静かに囁いていたことを。
「例の件、進んでいるか」
「はい。……ですが、まだ、彼らに伝えるべきか、判断がつきかねます」
「そうだな。……せめて、今夜くらいは、何も知らずに、楽しんでもらおう」
ザガルの目には、微かな、憂いが宿っていた。
「あれが、本当に、〈大陸の鍵〉の力の全てではないとしたら。……この平和も、いつまで続くか」
新たな謎の影が、静かに、宴の裏で、蠢いていた。




