おれ、休暇に出て、久々の再会に泣きそうになる
◇ ◇ ◇
逃亡生活九十三日目。おれたちは、王都を出発した。
三ヶ月ぶりの、目的のない旅路。追われるわけでも、追うわけでもない。ただ、休むための旅だった。
「にしても、行き先、本当にサザンテでいいんですか」
馬上で、おれは二人に問いかけた。
「お前が行きたいのだろう」
銀さんが、当然のように答えた。
「ミレの店にも、マーサにも、会いに行きたいと言っていたではないか」
「覚えてたんですね」
「聖女の記憶力を、舐めるな」
「火起こしは三日かかったのに」
「その話は、いい加減、やめろ」
◇ ◇ ◇
街道は、以前とは、明らかに空気が違っていた。
「魔物の話、聞かなくなりましたね」
「北方の魔素調整が、進んでいるからだろう」
リーゼロッテさんが、周囲を見渡しながら答えた。
「ザガル殿の指導のもと、着実に成果が出ている。……凶暴化していた魔物も、次第に、落ち着きを取り戻しているそうだ」
「良かった」
おれは、心底、そう思った。
二百年、乱れ続けていた大陸の流れが、少しずつ、元に戻っていく。それは、目に見えて劇的な変化ではない。だが、確かに、人々の日常を、変えていた。
◇ ◇ ◇
旅の途中、おれたちは、メルクの町に立ち寄った。
「ここ、覚えてますか。……いや、二人は知らないですね」
「お前の逃亡初期の町か」
「はい。ドーラばあちゃんっていう人に、お世話になったんです」
おれは、記憶を頼りに、町外れの農家を訪ねた。
「はいはい、どちらさん……あら?」
出てきたのは、間違いなく、あのドーラばあちゃんだった。三ヶ月前より、少しだけ、背中が丸くなったように見えた。
「ドーラさん、お久しぶりです。……アルです」
「アル? ……ああ! あの、力持ちの!」
◇ ◇ ◇
ばあちゃんは、おれの顔を、しげしげと眺めた。
「髪の色、変わったねえ。それに、なんだか、顔つきも」
「いろいろありまして」
「そうかいそうかい。……ああ、そういえば、あんたが出て行った後、大変だったんだよ」
「大変?」
「騎士さまが来てねえ。あんたのこと、根掘り葉掘り聞かれて」
おれは、思わず、隣のリーゼロッテさんを見た。リーゼロッテさんは、気まずそうに、視線を逸らしていた。
「その騎士さま、この人です」
「え!?」
「……あの時は、失礼した」
リーゼロッテさんが、深く頭を下げた。ドーラばあちゃんは、目を丸くしていた。
◇ ◇ ◇
事情を説明すると、ばあちゃんは、大笑いした。
「なんだいそれ! 追いかけっこしてた二人が、今じゃ仲良く旅してるのかい!」
「まあ、そういうことになります」
「世の中、分からないもんだねえ」
ばあちゃんは、そう言って、おれたちを家に招き入れてくれた。
「まあ、上がっていきな。芋でも蒸かすからさ」
その言葉に、おれは、思わず涙ぐみそうになった。三ヶ月前、空腹のまま辿り着いたおれに、あの人が出してくれた、あの芋の味を、思い出したからだ。
◇ ◇ ◇
数日後、おれたちは、サザンテの港町に到着した。
相変わらずの活気。潮の匂い。行き交う人々。
「懐かしいですね」
「お前が、検問を突破した町か」
「あの時は、必死でした」
市場を歩いていると、聞き覚えのある声が響いた。
「――だから! この値段じゃ買い叩きすぎだって言ってるでしょ!」
「ミレだ」
◇ ◇ ◇
声のする方へ向かうと、大きな店構えの前で、ミレが、仕入れ業者と激しく交渉していた。
「三年後には大商人、って言ってたけど」
「もう、その道を進んでいるようだな」
リーゼロッテさんが、感心したように呟いた。
交渉を終えたミレが、こちらに気づいた。
「あっ! サノ! それに、聖女様と騎士様も!」
「久しぶり。……王都以来だな」
「そんなに経ってないでしょ!」
ミレは、笑いながら、おれたちを店へと招き入れた。
◇ ◇ ◇
店の奥、応接間に通されたおれたちは、ミレの淹れてくれたお茶を飲みながら、近況を語り合った。
「和平、成立したんでしょ。王都でも大騒ぎだったって聞いたわ」
「おかげさまで」
「あんた、本当に、とんでもないことしちゃったわね」
ミレは、呆れたような、それでいて誇らしそうな顔をした。
「あたし、みんなに自慢してるのよ。『あの勇者様、あたしの元従業員なの』って」
「やめてくれよ、恥ずかしい」
「事実でしょ!」
◇ ◇ ◇
その時、店の入り口から、新たな声が響いた。
「ミレちゃん、届け物に来たよ……あら?」
現れたのは、恰幅のいい女性――マーサさんだった。
「マーサさん!?」
「サノさん! リリアーヌ様も!」
マーサさんは、驚いた顔で、駆け寄ってきた。
「なんで、ここに」
「オーレンスの店、王都に支店を出したミレちゃんと、取引を始めてね。……時々、こうして届け物に来てるのよ」
「世間、狭すぎませんか」
「商人の世界は、そんなもんよ」
◇ ◇ ◇
かくして、思いがけず、旅で出会った人々が、一堂に会することになった。
「マーサ、久しいな」
「リリアーヌ様、お元気そうで……いえ、和平のこと、聞きましたよ。本当に、すごいことをなさいましたね」
「私一人の力ではない」
銀さんは、そう言って、おれを見た。
「この者と、リーゼロッテと。……そして、お前や、ミレのような者たちの助けがあってこそだ」
マーサさんは、少し、涙ぐんだ。
「あたしなんて、大したことしてませんよ」
「そんなことないですよ」
おれは、はっきりと言った。
「マーサさんが、あの時、勇気を出して証言してくれなかったら。……ガローの件も、〈大陸の鍵〉のことも、何も分からないままでした」
◇ ◇ ◇
その夜、ミレの店の中庭で、ささやかな宴が開かれた。
パンと、焼いた魚と、酒と。豪華ではないが、賑やかな食卓だった。
「そういえば、サノ」
ミレが、思い出したように言った。
「あんた、本当の名前、教えてくれる約束だったわよね」
おれは、少し、驚いた。
「覚えてたのか」
「当たり前でしょ。……サザンテで別れる時、約束したもの」
おれは、しばらく、迷った。
佐野晶。前世の名前。この世界では、誰も知らない名前。
「……サノ、でいいよ」
おれは、笑った。
「今のおれは、サノだから」
◇ ◇ ◇
逃亡生活百日目。
おれは、賑やかな食卓を囲みながら、しみじみと、思った。
三ヶ月前、トラックに轢かれて死んだ時。おれは、ただの、どこにでもいる高校生だった。
異世界に来て、勇者だと言われて、逃げ出して。
その逃亡の道中で、たくさんの人に、出会った。
そして今、こうして、その人たちと、同じ食卓を囲んでいる。
(悪くないな、この人生も)
おれは、心から、そう思った。
――なお、この時のおれは知らなかった。
遠く北方、魔王領の玉座で。
ザガル・ヴィントが、一通の書状を、認めていたことを。
『勇者サノ殿へ
魔素の調整、順調に進んでいる。
ついては、一度、我が領を訪ねてはもらえぬだろうか。
見せたいものがある』
新たな旅の予感が、静かに、芽生えようとしていた。




