おれ、大司教の死を知って、これからの道を考える
◇ ◇ ◇
逃亡生活八十八日目の朝。
大司教アルベルト・ハーゲンの訃報は、王都中を、静かな衝撃で包んだ。
「……亡くなられた、そうです」
エドヴァルドが、沈痛な面持ちで、報せを届けてくれた。
「昨夜遅く、静かに。……苦しむ様子もなかったとのことです」
おれは、しばらく、言葉が出なかった。
あの人は、敵だった。大陸を二百年、誤った戦いに縛りつけた張本人でもあった。
だが――同時に、人間を守ろうとして、その方法を、間違え続けた人でもあった。
◇ ◇ ◇
「枕元に、書き置きがあったそうです」
エドヴァルドが、一枚の紙を差し出した。
『後世の審判に、委ねる』
銀さんが、それを見て、目を見開いた。
「これは……二百年前の記録者と、同じ言葉だ」
「はい。……おそらく、猊下も、あの記録を、繰り返し読んでおられたのでしょう」
エドヴァルドは、静かに続けた。
「歴代の大司教は、皆、あの記録を読み、そして、迷いながらも、秩序を守る道を選んだ。……猊下も、その一人だったのかもしれません」
◇ ◇ ◇
その日の午後、おれは、一人で、大聖堂を訪れた。
三日前に暴れた場所だ。修復作業が進められている中、おれは、静かに祭壇の前に立った。
「……あんたのこと、許せるかって聞かれたら、正直、分からないです」
誰もいない聖堂で、おれは、独り言のように呟いた。
「北方の村が凍りついた時のこと、思い出します。あそこで震えてた人たち、あんたの言う『代償』を、勝手に払わされてた人たちですから」
静寂が、答えた。
「でも」
おれは、少し、言葉を継いだ。
「あんたも、迷ってたんですね。……最後の言葉、読みました」
◇ ◇ ◇
「サノ」
背後から、声がした。振り返ると、銀さんが立っていた。
「銀さん」
「一人で来ていたのか」
「なんとなく、けじめっていうか。……変ですかね」
「変ではない」
銀さんは、おれの隣に並んだ。
「私も、同じことを考えていた。……あの方は、私を聖女に選んだ人でもある」
「そうでしたね」
「憎むべきか、悼むべきか。……正直、まだ、答えが出ていない」
銀さんは、祭壇を見上げながら、静かに続けた。
「だが、一つだけ、はっきりしていることがある」
「なんですか」
「二度と、同じことを、繰り返させてはならない。……それだけだ」
◇ ◇ ◇
数日後、王都では、和平協定の履行に向けた作業が、着々と進められていた。
「〈大陸の鍵〉の保管施設は、王国と魔王領の境界に、新設されることになりました」
エドヴァルドの報告に、おれたちは頷いた。
「管理者は、三者から一名ずつ。……定期的な交代制です」
「魔素の調整は、どうなるんですか」
「ザガル殿の指導のもと、まず、乱れの大きい地域から、順次進めていく予定です。……北方から、着手することになるでしょう」
「北方の魔物、落ち着くんですかね」
「時間はかかりますが、必ず」
◇ ◇ ◇
その夜、おれたちは、王都の宿の一室で、久々に三人だけの時間を過ごしていた。
「なあ、二人とも」
おれは、切り出した。
「これから、どうします?」
銀さんとリーゼロッテさんが、顔を見合わせた。
「私は」銀さんが、先に口を開いた。「しばらく、神殿に戻ろうと思う」
「え」
「大司教が亡くなり、神殿は今、深刻な混乱の中にある。……二百年の嘘が明るみに出て、信仰そのものが、揺らいでいる」
銀さんの表情は、真剣だった。
「聖女として、その立て直しに、関わりたい。……逃げてきた身だが、今度は、自分の意思で、選ぶ」
◇ ◇ ◇
「私は」リーゼロッテさんが、続けた。「王国騎士団に戻る。……ただし、特別部隊の隊長としてだ」
「特別部隊、続くんですか」
「ああ。……魔王軍との協定が結ばれたとはいえ、魔素の乱れは、まだ続いている。凶暴化した魔物への対処は、当面、必要だ」
「なるほど」
「それに」
リーゼロッテさんは、少し、口元を緩めた。
「魔王領との連絡役も、必要になる。……人間と魔の者、双方と話せる立場の者が、な」
◇ ◇ ◇
「で、サノ。お前は、どうする」
二人の視線が、おれに集まった。
おれは、しばらく、考えた。
二ヶ月半前、ギルドから逃げ出した時。おれの目標は、ただ一つ。「死なないこと」だった。
今は、どうだろう。
「……おれ、正直、まだ、勇者って柄じゃないと思ってます」
おれは、正直に言った。
「魔王と戦えって言われたら、今でも逃げると思います。……でも」
「でも?」
「話し合いで解決できることなら、やりたいです。……おれ、それが、たぶん、一番得意なんで」
◇ ◇ ◇
銀さんとリーゼロッテさんが、揃って笑った。
「勇者が、戦うより話す方が得意とはな」
「変な勇者だな、本当に」
「よく言われます」
おれも、笑った。
「でも、その前に」
「その前に?」
「ちょっと、休みたいです。……三ヶ月近く、走りっぱなしだったので」
「それは、同感だな」
銀さんが、深く頷いた。
「休暇、必要だ。……どこか、静かな町で」
「パン食べながら、くだらない話しましょう」
「良いな。……それだ」
◇ ◇ ◇
逃亡生活九十日目。
おれたちは、それぞれの道を選びながらも、しばらくの休暇を取ることを、決めた。
行き先は、決めていない。だが、三人一緒であることだけは、決まっていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
神殿の一室で、大司教の遺品を整理していた神官が、一冊の日誌を、発見していたことを。
それは、歴代の大司教が、代々書き継いできた、私的な記録だった。
最後のページには、アルベルト・ハーゲンの筆跡で、こう記されていた。
『勇者と名乗る少年に会った。彼は、私が二百年守ってきたものを、一言で崩した。
曰く、「代償を払うと決めたのは誰か」と。
私は、答えられなかった。
……おそらく、彼が正しいのだろう』
二百年の因縁は、確かに、終わりを迎えていた。




