おれ、魔王と肩を並べて、二百年の因縁に決着をつける
◇ ◇ ◇
変貌した大司教が、巨大な腕を、振り下ろした。
「――散れ!」
リーゼロッテさんの声に、おれたちは、左右に飛び退いた。直後、大聖堂の床が、轟音と共に、砕け散る。
「うわ、洒落にならない威力……!」
「サノ、あの力、ガローの比ではない!」
銀さんが、必死に体勢を立て直しながら叫んだ。
二百年、〈大陸の鍵〉と共にあった神殿の頂点。その言葉は、決して誇張ではなかった。
◇ ◇ ◇
「銀さん、障壁は!」
「先ほど、弾かれた。……あの男の力、私の聖なる力と、同じ源のものだ」
「同じ、源?」
「〈大陸の鍵〉は、魔素を操る品。……そして、聖女の力もまた、魔素を扱う技術に他ならん」
銀さんは、悔しげに続けた。
「相性が悪い。……いや、正確には、あちらの方が、格上だ」
その時、大司教の巨腕が、再び振り上げられた。今度の狙いは、銀さんだった。
「――させるか!」
おれは、床を蹴った。全力で。
◇ ◇ ◇
おれの拳が、大司教の腕を、真正面から受け止めた。だが――
「ぐ、う……!」
押し負けた。
ヴェルダンでガローと戦った時は、押し返せた。だが、今回は違う。膝が、じわじわと、崩れていく。
「サノ!」
「大丈夫、です……! まだ、いけます……!」
だが、実際は、限界が近かった。このままでは、押し潰される。
その瞬間だった。
「――手を貸そう」
低い声と共に、黒い影が、おれの隣に、降り立った。
◇ ◇ ◇
黒い外套。赤い双眸。
「ザガル、さん!?」
「約束の一ヶ月には、まだ早いがな」
魔王ザガル・ヴィントが、静かに、大司教の巨腕を、片手で受け止めていた。
「なんで、ここに」
「〈大陸の鍵〉の暴走を、感じ取った。……あれは、我らの品だ。放ってはおけん」
ザガルは、そう言って、軽く腕を振るった。大司教の巨腕が、大きく弾かれる。
「な、なんという力……」
リーゼロッテさんが、絶句した。
◇ ◇ ◇
「魔王……! よくも、のこのこと!」
大司教の、歪んだ声が響いた。
「貴様ら魔の者が、この国に足を踏み入れるなど、許されるものか!」
「許す、許さぬの話ではない」
ザガルは、静かに答えた。
「あの品は、扱いを誤れば、大陸そのものを、砕く。……お前は今、その引き金を引いている」
「戯言を!」
「戯言かどうか、その体が、既に証明していよう」
ザガルの言葉に、おれは、大司教の姿を、改めて見た。
確かに、その体は、明らかに、崩壊しかけていた。膨れ上がった筋肉の隙間から、黒い霧のようなものが、絶えず漏れ出している。
◇ ◇ ◇
「ザガルさん、あれ、どうすれば」
「〈大陸の鍵〉を、あの男から、引き離す。……それしかない」
「引き離すって、簡単に言いますけど」
「私が、動きを止める。……お前が、奪え」
ザガルは、まっすぐ、おれを見た。
「できるか、勇者よ」
おれは、拳を握りしめた。
「……やります」
「良い返事だ」
◇ ◇ ◇
「リーゼロッテさん、銀さん! 援護をお願いします!」
「任せろ!」
「無茶をするなよ、サノ!」
ザガルが、地を蹴った。魔王の膂力は、おれの比ではなかった。大司教の巨体が、大きく後退する。
「今だ!」
おれは、走った。全力で。
大司教の右手。そこに、〈大陸の鍵〉が、握られている。
「小僧が……!」
大司教の左腕が、おれを叩き潰そうと、振り下ろされた。
「――そこは、通さん!」
銀さんの障壁が、その一撃を、辛うじて逸らした。
「はぁあああっ!」
リーゼロッテさんの剣が、大司教の右腕の関節を、鋭く突いた。
◇ ◇ ◇
一瞬。ほんの一瞬、大司教の握力が、緩んだ。
「――もらった!」
おれは、その右手に、飛びついた。
全力で、指をこじ開ける。加減など、していられなかった。
「離せ! それは、我らのものだ!」
「違います!」
おれは、叫んだ。
「これは、誰のものでもない! 大陸に必要なものです!」
――ごきり、と嫌な音がして、大司教の指が、開いた。
〈大陸の鍵〉が、宙に舞う。
「ザガルさん!」
「承知した」
ザガルの手が、それを、確実に、掴み取った。
◇ ◇ ◇
光が、急速に、収まっていく。
「あ……ああ……」
大司教の巨体が、みるみる縮小し、元の、痩身の老人の姿へと、戻っていった。
そして、そのまま、床に崩れ落ちる。
「大司教猊下!」
銀さんが、駆け寄った。だが、大司教は、既に、意識を失っていた。
「……生きている。だが、消耗が激しい」
「助かるんですか」
「分からん。……あれだけの力を、無理に使ったのだ。ただでは済むまい」
◇ ◇ ◇
大聖堂に、静けさが戻った。
おれは、荒い息をつきながら、その場に座り込んだ。
「……終わった、んですかね」
「一つの区切りは、ついたな」
ザガルが、〈大陸の鍵〉を、手のひらで転がしながら、静かに言った。
「ザガルさん。……その品、どうするんですか」
その問いに、謁見の間から駆けつけていた王国の兵たちが、一斉に緊張した。
だが、ザガルは、静かに、首を振った。
「……持ち帰りたい、というのが、本音だ。だが」
ザガルは、〈大陸の鍵〉を、おれに向かって、差し出した。
「え」
「今、これを持ち去れば、また同じことの繰り返しだ。……奪い、奪われ、二百年」
◇ ◇ ◇
「では、どうすると」
リーゼロッテさんの問いに、ザガルは、静かに答えた。
「共同管理を、提案する。……人間と、我ら、双方の立ち会いのもとで」
その提案に、その場にいた全員が、息を呑んだ。
「そんなことが、可能なのか」
「不可能だと、二百年、誰もが思い込んでいた。……だが」
ザガルは、おれを見た。
「この者が、証明した。対話は、可能だと」
◇ ◇ ◇
逃亡生活七十六日目の夜、大聖堂での戦いは、終わった。
二百年続いた因縁が、初めて、対話による解決への道を、見出そうとしていた。
「サノ」
銀さんが、隣に座った。
「よく、やったな」
「みんなのおかげです。……ザガルさんが来なかったら、正直、危なかったです」
「それでも、最後に〈大陸の鍵〉を奪ったのは、お前だ」
銀さんは、静かに、微笑んだ。
「胸を張れ、勇者殿」
「その呼び方、まだ慣れないんですけどね」
おれは、苦笑した。だが、その響きが、以前ほど、嫌ではなくなっている自分に、気づいていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
意識を失った大司教が、運ばれていく最中、微かに、呟いていたことを。
「……間違い、だったのか。……二百年、我らは……」
その声を聞いた者は、誰もいなかった。
だが、二百年の嘘は、確かに、終わりを迎えていた。




