おれ、聖遺物の強奪を知って、大聖堂へ走る
◇ ◇ ◇
逃亡生活七十六日目の夕方。
王命により、二百年前の記録の提出が命じられた、その数時間後。王城に、慌ただしい足音が響いた。
「――大変です! 大聖堂の宝物庫が、破られました!」
伝令の声に、謁見の間に残っていたおれたちは、一斉に立ち上がった。
「破られた、だと?」
「〈大陸の鍵〉が、持ち出されております! 神殿の警備兵によれば、実行したのは――大司教猊下ご自身と、その側近たちであると」
◇ ◇ ◇
「自分で、盗んだのか」
リーゼロッテさんが、絶句した。
「いや、正確には、盗んだとは言えん」銀さんが、冷静に指摘した。「大司教は、神殿の最高権力者だ。宝物庫の鍵を持つ立場にある」
「じゃあ、なんで警備兵が破られたって」
「返還手続きの最中だったからだ。……〈大陸の鍵〉は、王国と神殿の共同管理下に置かれていた。……一方的な持ち出しは、明確な違反行為だ」
エドヴァルドが、慌てて駆け込んできた。
「陛下より、正式な命令が下りました。……大司教アルベルト・ハーゲンの身柄拘束、並びに〈大陸の鍵〉の回収」
「おれたちも、行きます」
おれは、即座に答えた。
◇ ◇ ◇
王都の大通りを、おれたちは全力で駆け抜けた。目指すは、大聖堂。
「大司教は、まだ聖堂内にいるはずです!」
エドヴァルドの情報を頼りに、おれたちは、大聖堂の正面階段を駆け上がった。
「止まれ! ここは神域である!」
白装束の神官たちが、行く手を塞いだ。
「王命である! そこをどけ!」
リーゼロッテさんの一喝にも、彼らは動かなかった。
「大司教猊下の命により、何人も通すわけには参りません!」
「……仕方ない」
おれは、前に出た。
「すみません、押し通ります」
◇ ◇ ◇
おれは、加減を意識しながら、神官たちの間を、強引に割って入った。
誰も傷つけない。だが、確実に道を開ける。この二ヶ月半で磨いてきた技術が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「な、なんだこの力は!」
「押さえきれん!」
神官たちを、そっと脇に押しやりながら、おれは、大聖堂の扉を押し開けた。
「行きましょう!」
「よくやった、サノ!」
◇ ◇ ◇
大聖堂の内部は、荘厳な静けさに包まれていた。高い天井、色鮮やかなステンドグラス、奥に鎮座する巨大な祭壇。
その祭壇の前に、大司教アルベルト・ハーゲンが、立っていた。
手には、輝く小さな石――〈大陸の鍵〉。
「大司教猊下!」
銀さんの声に、大司教は、ゆっくりと振り返った。
「……来たか。思ったより、早かったな」
「その聖遺物を、渡してください」
「渡せぬ」
大司教の目は、既に、正気を失いかけているように見えた。
◇ ◇ ◇
「なぜ、そこまでして」
おれは、問いかけた。
「二百年前の記録が公になれば、神殿の権威が失墜するから、ですか」
「それもある。……だが、それだけではない」
大司教は、〈大陸の鍵〉を握りしめながら、静かに語り始めた。
「二百年前、私の先々代の大司教は、確かに、この品を、魔の者から奪った。……だが、それは、間違いではなかった」
「間違いではない?」
「考えてもみよ。魔の者が、大陸の魔素を操る力を持つのだ。……その気になれば、いつでも、人間を滅ぼせる」
◇ ◇ ◇
「だから、先に奪ったと」
「そうだ。……人間を守るためには、必要な判断だった」
大司教の声には、確かな信念が滲んでいた。
「そして、二百年。我らは、この品を守り続けた。……その結果、大陸は、人間のものとなった」
「でも、魔素の流れが乱れて、魔物が凶暴化してます」
「代償だ。……人間が生き残るための、必要な代償だ」
その言葉に、おれは、思わず、拳を握りしめた。
「それ、誰が決めたんですか」
「なに?」
「代償を払うって、誰が決めたんですか。……北方の村を襲われた人たちですか? 凍りついた村で、震えてた人たちですか?」
◇ ◇ ◇
おれは、まっすぐ、大司教を見据えた。
「あなたじゃない。……あなたは、決める側にいるだけで、代償を払う側にはいない」
大司教の顔が、初めて、歪んだ。
「小僧が、何を分かったような口を」
「分かりますよ。……おれも、勝手に役割を決められた側なんで」
おれは、静かに続けた。
「ギルドで水晶が光った瞬間、周りは勝手に盛り上がって、勝手に『勇者様』って持ち上げて、勝手に王国に報告した。……おれの意思なんて、誰も聞かなかった」
「それが、どうした」
「同じことを、あなたは、大陸中の人にやってる」
◇ ◇ ◇
大司教は、しばらく、無言でおれを見つめていた。
やがて、静かに、笑った。
「……なるほど。だからこそ、お前は、魔王と話したのか」
「はい」
「愚かなことだ。……対話など、幻想に過ぎん」
大司教は、〈大陸の鍵〉を、高く掲げた。
「見せてやろう。……力こそが、全てだということを」
石が、禍々しい光を放ち始めた。
「まずい! ヴェルダンの時と、同じだ!」
リーゼロッテさんが、剣を抜いた。
◇ ◇ ◇
大司教の体が、光に包まれていく。ガローの時と同じ、異形化の兆候だった。
「銀さん、あれ、止められますか!」
「試してみる!」
銀さんが、聖なる光の障壁を、展開しようとした。だが――
「無駄だ、小娘」
大司教の周囲の光が、銀さんの障壁を、あっさりと弾き飛ばした。
「くっ……!」
「私は、二百年、この品と共にあった神殿の頂点。……その力の扱いは、心得ておる」
大司教の姿が、みるみる、変貌していく。ガローの時とは、比べものにならない規模だった。
◇ ◇ ◇
「サノ、下がれ! これは、危険すぎる!」
リーゼロッテさんの声に、おれは、首を振った。
「下がれません」
おれは、拳を握りしめた。
「ここで逃げたら、二百年、変わらないままです」
変貌した大司教が、咆哮を上げた。大聖堂全体が、震える。
逃亡生活七十六日目の夜、最後の戦いが、始まろうとしていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
大聖堂の外、王都の空を見上げる、一つの影があったことを。
黒い外套を纏った、赤い瞳の男――魔王ザガル・ヴィント。
「……〈大陸の鍵〉の力が、暴走しているな」
ザガルは、静かに呟いた。
「約束は、一ヶ月。……だが、これは、想定外だ」
ザガルは、ゆっくりと、大聖堂へと歩み出した。
「勇者よ。……今度は、私が、手を貸す番のようだ」
思わぬ援軍が、静かに、戦場へと近づいていた。




