おれ、商人の情報網に驚いて、顧問官との接触を図る
◇ ◇ ◇
逃亡生活七十三日目。ミレは、朝早くから王都の街へと繰り出していった。
「夕方までには、何かしら掴んでくるから!」
そう言い残して飛び出していく後ろ姿を見送りながら、おれは、少し不安になった。
「大丈夫でしょうか、ミレ一人で」
「あの娘、なかなか肝が据わっているようだな」
銀さんが、感心したように言った。
「二ヶ月前は、荷車一台で街道を右往左往してたんですけどね」
「人は変わるものだ。……お前も、そうだろう」
◇ ◇ ◇
待つ間、おれたちは宿の部屋で、今後の方針を練っていた。
「仮に、エドヴァルド殿と接触できたとして。……その先は、どうする」
リーゼロッテさんの問いに、銀さんが答えた。
「王への、直接の謁見を求める。……二百年前の記録と、砦の隊長の証言書。この二つを揃えて、正式に訴え出る」
「王が、聞く耳を持つと思うか」
「分からん。……だが、エドヴァルド殿の口ぶりからすると、あの王は、少なくとも、頭ごなしに退けるような人物ではないように思えた」
「確かに」おれも頷いた。「特別部隊の話も、おれの条件、通してくれましたしね」
「問題は、大司教が、どこまで王に影響力を持っているか、だ」
◇ ◇ ◇
夕方、ミレが戻ってきた。息を切らしながらも、その顔は、興奮に輝いていた。
「掴んできたわよ! いろいろ!」
「早いな」
「商人ネットワークを舐めないでよね!」
ミレは、椅子に腰を下ろすと、指を折りながら報告を始めた。
「まず、宮廷顧問官のエドヴァルド様。今も王城に出仕してるわ。ただし、ここ数日、大聖堂からの使者が、頻繁に出入りしてるらしいの」
「圧力をかけられている、ということか」
「たぶんね。それと、もう一つ」
ミレは、少し声を潜めた。
「王都の商人たちの間で、変な噂が流れてるの。『勇者が魔王に寝返った』って」
◇ ◇ ◇
おれたちは、揃って顔を見合わせた。
「もう、そこまで広まってるのか」
「二日前くらいから、急に、あちこちで聞くようになったって。……明らかに、誰かが意図的に流してるわ」
「大司教の仕業だな」
銀さんが、苦い顔で言った。
「民の間に不安を煽り、我々を追い詰める。……そして、王が我々を庇いにくい状況を作る」
「厄介ですね」
「だが、逆に言えば」リーゼロッテさんが、鋭く指摘した。「そこまで手を回さねばならないほど、向こうも焦っている、ということだ」
◇ ◇ ◇
「それでね、サノ」
ミレが、身を乗り出した。
「エドヴァルド様に接触する方法、一つだけ思いついたんだけど」
「本当か」
「うん。……あの方、月に何度か、王都の商業組合の会合に出席するの。王国の財政に関わる立場だから」
「その会合、次はいつだ」
「明後日の夜。……で、あたし、支店開設の関係で、その会合に出席する資格があるのよね」
ミレは、にっと笑った。
「あたしが取次役になる。……どう?」
◇ ◇ ◇
その提案に、おれたちは、思わず息を呑んだ。
「ミレ、それは危険すぎる」
「危険なのは、あんたたちも同じでしょ」
「でも、おれたちは当事者だ。ミレは、関係ない」
「関係あるわよ」
ミレは、まっすぐ、おれを見た。
「あの時、あたしの荷車を助けてくれた人が、困ってる。……それだけで、十分な理由でしょ」
その言葉に、おれは、何も言えなくなった。
「サノ」
銀さんが、静かに口を開いた。
「この娘の覚悟、受け取ってやれ。……人の善意を拒むのも、時に、失礼になる」
「……分かりました」
おれは、深く頭を下げた。
「ミレ、頼む。……本当に、ありがとう」
「任せなさいって!」
◇ ◇ ◇
二日後の夜。商業組合の会合が開かれる建物の前で、おれたちは待機していた。
「ミレ、無理はするなよ」
「分かってるって。……ちゃんと、商談のふりして、伝えてくるから」
ミレは、そう言って、堂々と建物の中へ入っていった。
「大した娘だな」
リーゼロッテさんが、感心した様子で呟いた。
「本当に。……おれ、あの子に、いろいろ助けられてばっかりです」
待つこと、およそ二時間。
建物の裏口から、ミレが、一人の男を伴って現れた。
◇ ◇ ◇
「――お待たせいたしました」
上品な身なりの初老の男。宮廷顧問官、エドヴァルド・ライネスだった。
「エドヴァルドさん!」
「サノ殿。……ご無事で、何よりです」
エドヴァルドは、周囲を警戒しながら、静かに続けた。
「積もる話もありますが、ここでは危険です。……安全な場所へ、移動しましょう」
◇ ◇ ◇
移動した先は、王都の外れにある、古い教会の一室だった。
「ここは、私の個人的な縁のある場所です。……人の出入りは、ほとんどありません」
エドヴァルドは、そう説明した後、深く頭を下げた。
「まず、お詫び申し上げます。……北方からの報告書、私の元には、届いておりません」
「え、届いてない?」
「大司教猊下の手の者によって、握り潰されたものと思われます」
その言葉に、おれたちは、揃って絶句した。
「では、王も、真実を知らないのか」
「はい。……王のお耳に入っているのは、『勇者と聖女が魔王軍に取り込まれた』という、大司教猊下側の報告のみです」
◇ ◇ ◇
「エドヴァルドさん。……一つ、聞かせてください」
おれは、まっすぐ、彼を見た。
「あなたは、どちらの側なんですか」
エドヴァルドは、しばらく、おれを見つめ返した。
やがて、静かに、答えた。
「私は、真実の側に立ちたいと思っております。……ですが、正直に申し上げれば、迷いもありました」
「迷い」
「大司教猊下に逆らうことは、私の立場を、危うくします。……ですが」
エドヴァルドは、深く息を吸った。
「あの日、ヴェルダンで、あなたが仰った言葉を、私は忘れておりません。『命令ではなく、相談してほしい』と。『一人の人間として、意思を尊重してほしい』と」
「エドヴァルドさん……」
「あの言葉に、私は、心を打たれました。……ならば、私自身も、自分の意思で、選ばねばならぬでしょう」
エドヴァルドは、深く、頭を下げた。
「サノ殿。私に、できることがあれば、何なりと」
◇ ◇ ◇
逃亡生活七十五日目、おれたちは、王都に、確かな味方を得た。
――なお、このときのおれは知らなかった。
大聖堂の一室。
大司教アルベルト・ハーゲンの元に、新たな報告が届いていたことを。
「宮廷顧問官エドヴァルド、本日の商業組合の会合を、途中で退席した模様」
「……ほう」
大司教の目が、鋭く細められた。
「あの男、まさか、繋がったか」
大司教は、静かに、立ち上がった。
「明日、王に、正式な奏上を行う。……勇者と聖女の、王都への潜入。そして、内通の疑い」
その声は、氷のように、冷たかった。
「先手を、打たせてもらおう」
王都での最終決戦が、いよいよ、始まろうとしていた。




