おれ、夜襲を返り討ちにして、隠蔽の全容に近づく
◇ ◇ ◇
逃亡生活六十六日目の深夜。
おれは、妙な胸騒ぎで、目を覚ました。
「……なんだ、この感じ」
逃亡生活で鍛えられた勘が、警鐘を鳴らしていた。おれは、静かに起き上がり、部屋の扉に、そっと耳を当てた。
廊下に、微かな足音。一人、二人……いや、もっといる。
来た、と直感した。
おれは、音を立てないよう、隣室の銀さんの部屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
「銀さん、起きてください」
小声で呼びかけると、扉が、すっと開いた。
「気づいていたか」
「銀さんも、起きてたんですね」
「聖女の勘だ、と言いたいところだが……単に、眠りが浅かっただけだ」
銀さんは、既に細剣を手にしていた。
「リーゼロッテには」
「今、伝令を送った。……いや、その必要はなかったようだ」
廊下の向こうから、剣戟の音が響いてきた。
「リーゼロッテさん!」
◇ ◇ ◇
おれたちが駆けつけると、リーゼロッテさんが、黒装束の三人組と、既に交戦していた。
「遅い! 手を貸せ!」
「すみません!」
おれは、迷わず、飛び込んだ。加減を意識しつつ、しかし確実に、無力化する力加減。訓練の成果を、こんな場面で試すことになるとは思わなかった。
「――ふっ!」
一人目の腹に、拳を軽く叩き込む。黒装束の男は、声も上げずに、崩れ落ちた。
「見事だ、サノ」
「加減、うまくいきましたね」
「感心している場合か! まだ二人いる!」
リーゼロッテさんの声に、おれは慌てて、次の敵に向き直った。
◇ ◇ ◇
銀さんの細剣が、二人目の得物を弾き飛ばす。リーゼロッテさんが、その隙に、峰打ちで昏倒させた。
残る一人が、退路を求めて、身を翻す。
「逃がすか!」
おれは、床を蹴った。全力ではない。だが、確実に追いつく速度で。
「――っ!」
黒装束の男の襟首を、おれは、後ろから掴んだ。加減、加減。首の骨を折らないように、慎重に。
「捕まえました!」
「よくやった。……手荒に扱うなよ、この男には、聞くことがある」
◇ ◇ ◇
砦の一室で、捕らえた三人の尋問が始まった。
「お前たち、何者だ」
リーゼロッテさんの問いに、男たちは、押し黙ったままだった。
「答えなければ、王国騎士団として、正式に処断する。……それでもいいのか」
沈黙。だが、その表情に、微かな動揺が見えた。
「……ふむ」
銀さんが、静かに、前に出た。
「お前たち、神殿の〈影〉だな」
その一言に、三人の顔色が、明らかに変わった。
「〈影〉?」
おれが聞くと、銀さんは、苦い顔で答えた。
「神殿の、非公式な実働部隊だ。……表向きには、存在しないことになっている」
◇ ◇ ◇
「聖女様が、なぜ、それを」
一人が、思わず、口を開いた。
「聖女として、噂だけは聞いていた。……まさか、本当に、実在するとはな」
銀さんは、静かに続けた。
「お前たちを動かせる者は、限られている。……神殿上層部の、誰の命令だ」
男たちは、再び、押し黙った。
「言えないか。……では、こちらから、当てよう」
銀さんは、まっすぐ、男たちを見据えた。
「大司教アルベルト・ハーゲン。……違うか」
その名を聞いた瞬間、三人の表情が、はっきりと、揺れた。
◇ ◇ ◇
「図星、のようだな」
「銀さん、その人、誰なんですか」
「神殿の、実質的な最高権力者だ。……教皇は高齢で、実務のほとんどは、あの男が握っている」
銀さんの声は、静かだったが、その奥に、深い失望が滲んでいた。
「私が、聖女に選ばれた時も、あの男が、最終的な承認をした。……信頼していた、わけではないが、まさか、こんな形で敵対することになるとは」
「その人が、二百年前の真実を、隠してるってことですか」
「おそらくな。……代々、大司教のみが、その記録を管理してきたのだろう」
リーゼロッテさんが、腕を組んで、唸った。
「厄介だな。……神殿の最高権力者が相手となると、王国としても、迂闊には動けない」
◇ ◇ ◇
「なあ、あんたたち」
おれは、捕らえた三人に、話しかけた。
「一つだけ、聞かせてください。……あんたたち、なんで、おれたちを狙ったんですか」
三人は、無言だった。
「命令だから、ですか。それとも、おれたちが、本当に、大陸にとって危険だと思ったからですか」
「……我らに、理由を問う権利はない」
一人が、絞り出すように答えた。
「ただ、命じられたことを、遂行する。……それが、〈影〉の存在意義だ」
おれは、その言葉に、複雑な気持ちになった。
「……なんか、それ、寂しいですね」
「憐れみか」
「いや、なんていうか。……役割を、押し付けられて、自分の意思を、聞いてもらえないの、おれ、知ってるんで」
◇ ◇ ◇
おれの言葉に、三人は、初めて、明確に、動揺を見せた。
「あんたたちも、選べるはずですよ。……命令に従うかどうか」
「……甘いことを」
「甘いって言われても、しょうがないですけど。……おれ、勇者になれって言われて、逃げた人間なんで」
おれは、少し笑った。
「役割から逃げても、案外、生きていけますよ。……いや、めちゃくちゃ大変でしたけど」
三人は、しばらく、押し黙っていた。
やがて、最初に口を開いた男が、深く、息を吐いた。
「……大司教は、既に、次の手を打っている」
「言うのか!」
別の一人が、慌てて制止しようとした。だが、男は、静かに首を振った。
「もういい。……我らは、失敗した。戻ったところで、処分されるだけだ」
◇ ◇ ◇
「次の手、というのは」
リーゼロッテさんが、鋭く問いただした。
「王国上層部に、圧力をかけている。……勇者と聖女が、魔王軍に取り込まれた、という筋書きでな」
「なんだと」
「既に、そう信じ込んでいる貴族も、少なくない。……近いうちに、あなた方の身柄を、正式に拘束せよという命令が、下るはずだ」
おれたちは、揃って、息を呑んだ。
「時間がない、ということか」
「そうなります。……我らが失敗した以上、次は、より大規模な、公的な手段が使われるでしょう」
男は、そう言って、目を伏せた。
「……これで、私の知っていることは、全てです」
◇ ◇ ◇
逃亡生活六十六日目の夜、おれたちは、新たな、そして厄介な現実に、直面していた。
「魔王軍との停戦が成立しても、今度は、味方だったはずの側と、対立するのか」
リーゼロッテさんが、苦々しく呟いた。
「どうします、これから」
おれの問いに、銀さんが、静かに答えた。
「王都へ行くしかあるまい。……向こうが動く前に、こちらから、真実を突きつける」
「危険じゃないですか」
「危険だ。……だが、逃げ続けても、状況は好転しない」
銀さんは、まっすぐ、おれを見た。
「サノ。お前が、魔王と対話する道を選んだように。……私も、神殿と、正面から向き合う時が来たようだ」
――なお、このときのおれは知らなかった。
王都、神殿の最奥。
大司教アルベルト・ハーゲンが、失敗の報告を受け、静かに、書状をしたためていたことを。
「勇者と聖女が、魔王軍と内通している。……この筋書きで、王国を動かす」
羽根ペンが、紙の上を、滑る。
「二百年守ってきた秩序を、小娘と小僧に、崩させはせん」
真実を巡る戦いは、いよいよ、王都へと、その舞台を移そうとしていた。




