おれ、三人目の四天王に出くわして、言葉で戦う羽目になる
◇ ◇ ◇
逃亡生活五十八日目。増援到着まで、あと四日。
その日の朝、砦の物見台から、見張りの兵が、慌てた様子で駆け下りてきた。
「た、大変です! 荒野から、単身、こちらに向かってくる者が!」
「単身だと?」
リーゼロッテさんが、眉をひそめた。おれと銀さんも、急いで物見台へと向かった。
荒野の彼方から、確かに、たった一人の人影が、砦へと歩いてくるのが見えた。魔物の軍勢を引き連れる様子もない。まるで、散歩でもするような、悠然とした足取りだった。
「あれ、明らかに、普通じゃないですよね」
「ああ。……気配が、バルガスやセレナと、同種のものだ」
銀さんの言葉に、砦全体に、緊張が走った。
◇ ◇ ◇
やがて、その人影は、砦の門前まで、たどり着いた。
現れたのは、長身の、痩せた男だった。黒いローブを纏い、手には杖のようなものを持っている。だが、その佇まいには、戦意らしきものが、まるで感じられなかった。
「はじめまして、と言うべきかな。勇者殿、聖女殿、そして騎士殿」
男は、丁寧に一礼した。
「四天王が一人、〈静謐のヴェルナー〉と申します。本日は、戦いに来たわけではありません」
「戦いに来ていない、だと?」
リーゼロッテさんが、警戒を解かずに問いただした。
「ええ。本日は、交渉に参りました」
◇ ◇ ◇
交渉、という言葉に、おれたちは、思わず顔を見合わせた。
「交渉って、何を」
「まずは、こちらの提案を、聞いていただきたい」
ヴェルナーは、穏やかな口調で続けた。
「我らが主は、この砦の攻略に、さほど執着しておりません。……本来の目的は、別にあるのです」
「別の目的、というと」
「〈大陸の鍵〉。……あなた方が、先日、ヴェルダンで回収した、あの聖遺物です」
その言葉に、おれと銀さんは、はっと息を呑んだ。
「なぜ、それを」
「情報網は、それなりに、持っておりますので」
ヴェルナーは、静かに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「単刀直入に申し上げましょう。〈大陸の鍵〉を、我らに引き渡していただきたい。……そうすれば、この砦への攻撃は、一切、行いません」
「馬鹿を言うな」
リーゼロッテさんが、即座に、反論した。
「聖遺物は、既に、神殿への返還手続きが、進められている。渡せるはずがない」
「そこを、なんとか。……あなた方にとっても、悪い話ではないはずです」
ヴェルナーは、まっすぐ、おれを見た。
「勇者殿。あなたは、そもそも、戦いを望んでいないと、伺っております。……であれば、この提案は、あなたの望みにも、適うのでは」
「……どういう意味ですか」
「戦わずして、砦の人々を、守れる。犠牲を、出さずに済む。……それは、あなたの理想と、一致するのではありませんか」
◇ ◇ ◇
おれは、言葉に詰まった。
確かに、戦わずに済むなら、それに越したことはない。誰も傷つかず、砦の人々も守れる。理想的な結末に、思える。
だが――。
「サノ、乗るな」
銀さんが、鋭く、囁いた。
「あの男の言葉、明らかに、こちらの弱みを、突いている」
「分かってます。でも」
おれは、ヴェルナーを見つめながら、慎重に、言葉を選んだ。
「ヴェルナーさん、一つ、聞かせてください。……〈大陸の鍵〉を手に入れて、あなたたちは、何をするつもりなんですか」
その問いに、ヴェルナーは、少し、意外そうな顔をした。
「それを、お答えする義務は、ございませんが」
「答えられないなら、この交渉、成立しません」
おれは、はっきりと言った。
「おれが、戦いを望んでないのは、本当です。でも、それは、何も考えずに、要求を呑むってことじゃない。……あなたたちが、その聖遺物で、何をするのか。それが分からないまま、渡すことは、できません」
◇ ◇ ◇
ヴェルナーは、しばらく、おれを見つめていた。それから、ふっと、笑みを漏らした。
「……なるほど。噂に聞くほど、単純な方では、ないようですね」
「それ、褒めてます?」
「褒めております。……正直に申し上げれば、あなたが、あっさりと提案に乗ってくれることを、期待しておりました」
ヴェルナーは、杖を、軽く地面に突いた。
「では、こちらも、正直に申し上げましょう。〈大陸の鍵〉は、我らが主にとって、悲願とも言うべき品。……その用途については、申し上げられません。ですが、一つだけ」
ヴェルナーの目に、初めて、真剣な色が宿った。
「あれは、本来、争いを、終わらせるための品です。少なくとも、我らは、そう信じております」
「争いを、終わらせる……?」
◇ ◇ ◇
予想外の言葉に、おれたちは、揃って、困惑した。
「どういうことだ。魔王軍が、争いを終わらせる、だと?」
リーゼロッテさんの問いに、ヴェルナーは、静かに首を振った。
「これ以上は、申し上げられません。……本日は、提案を、お伝えするのが、目的でしたので」
ヴェルナーは、再び、丁寧に一礼した。
「返答は、急ぎません。……ですが、そう遠くない未来に、我らが主自らが、あなた方の前に、現れることでしょう。その時、改めて、お考えを、お聞かせいただければ」
そう言い残し、ヴェルナーは、来た時と同じ、悠然とした足取りで、荒野へと去っていった。
◇ ◇ ◇
砦に、重い沈黙が落ちた。
「……なんだったんでしょうね、今の」
「分からん。だが、あの男の言葉、全てが嘘とも、思えなかった」
銀さんが、腕を組んで、考え込んだ。
「〈大陸の鍵〉が、争いを終わらせる品、か。……神殿では、大陸の均衡を保つ品、と伝えられていた。似ているようで、微妙に、異なる表現だな」
「魔王軍側にも、何か、別の事情があるってことですか」
「可能性は、ある。……だが、鵜呑みにするのは、危険だ」
リーゼロッテさんが、慎重に、言葉を継いだ。
「いずれにせよ、増援の到着まで、あと四日。……備えは、続ける」
おれは、頷きながらも、心の中に、消えない疑問を、抱えていた。
(争いを、終わらせるための品……もし、それが本当なら、この戦い、そもそも、何のためなんだ)
逃亡生活五十八日目、戦いは、単純な善悪の構図から、少しずつ、複雑な様相を、見せ始めていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
荒野へと戻ったヴェルナーが、玉座の間で、影に報告していたことを。
「勇者、簡単には、乗ってきませんでした。……ですが、興味は、持ったようです」
「そうか。……では、次は、私の番だな」
影は、静かに、立ち上がった。
「あの者たちに、直接、真実を語る時が、来たのかもしれん」
大陸の命運を賭けた対決は、剣ではなく、言葉によって、その真の姿を、現そうとしていた。




