おれ、決戦の気配を感じながら、砦の絆を見つめ直す
◇ ◇ ◇
逃亡生活五十六日目。氷姫セレナとの戦いから二日が経ち、ノルダール砦には、これまでにない緊張感が漂っていた。
「バルガスとセレナ、二人の四天王が退けられた。……次は、残る四天王が動くと見るのが、順当だろう」
リーゼロッテさんの言葉に、砦の会議室に集まった面々が、揃って表情を引き締めた。
「四天王は、まだ二人残っている、ということですか」
「ああ。そして、その二人が退けられれば――いよいよ、魔王本体が出てくることになる」
「増援の到着まで、あと六日だ。それまで、砦を守り抜く必要がある」
「六日、耐えられるでしょうか」
守備隊長の問いに、銀さんが静かに答えた。
「セレナの言葉が、事実なら――魔王軍は、私たちを、値踏みしている。……ならば、次に来る四天王も、単純な殲滅戦を、仕掛けてくるとは、思えない」
「それは、希望的観測、というものでは」
「希望的観測でも構わん。今、私たちにできることは、備えることだけだ」
◇ ◇ ◇
その日から、砦全体が、決戦に向けた準備に追われることになった。おれは、防壁の補強や、物資の運搬に、これまで以上に力を注いだ。
「サノ、ちょっと休め。働きすぎだ」
昼過ぎ、資材を運んでいたおれに、リーゼロッテさんが声をかけてきた。
「休んでる場合じゃない気がして。あと六日ですし」
「六日、根を詰めすぎて、本番で力が出なければ、意味がない」
リーゼロッテさんは、そう言って、水の入った革袋を差し出した。おれは素直に受け取り、一息ついた。
「リーゼロッテさんは、怖くないんですか。魔王本体が来るかもしれないって」
「怖い。……だが、怖さに呑まれていては、何もできない」
リーゼロッテさんは、砦の外、荒野の方角を見つめながら続けた。
「私は、王国騎士として、多くの戦場を見てきた。……だが、正直、今回ほど、勝算の見えない戦いは、初めてだ」
「そんな中でも、戦うんですね」
「戦う。……お前や、リリアーヌ様と、共に」
その言葉に、おれは、少しだけ、胸が温かくなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
夕方、砦の一角で、銀さんが、一人、瞑想するように、目を閉じて座っているのを見つけた。
「銀さん、何してるんですか」
「聖女としての力を、少しでも、高めておこうと思ってな。……セレナの氷撃を、防いだあの障壁、あれが、今の私の限界だ」
「限界を、超える方法とかあるんですか」
「分からん。……だが、試す価値はある」
銀さんは、そう言って、静かに、両手を組んだ。祈るような、その姿は、いつもの軽口を叩く銀さんとは、まるで別人のように見えた。
「サノ、お前も、力の使い方を、もう一段、極める必要があるだろう。……セレナ戦、加減を、完全に捨てていたな」
「あの時は、それどころじゃなかったので」
「今後は、加減と、全力の切り替えを、意識的に、行えるようにしろ。……それが、お前の、本当の強さになる」
「銀さんの指導、地味に厳しいですよね、最近」
「本気の戦いが、近づいているのだ。甘く見ている場合ではない」
◇ ◇ ◇
その夜、おれは、砦の物見台に、一人で立っていた。星の少ない、北の夜空を見上げながら、これまでの旅を、静かに振り返る。
ラスタの街での逃亡。ドーラばあちゃんとの出会い。ミレとの珍道中。銀さんとの出会い。マーサさんの過去。ガローとの決着。そして、今、この北の砦で、本物の魔王軍と対峙している。
「一ヶ月と少し前は、まさか、こんな未来、想像もしてなかったな」
独り言をつぶやいたところで、背後に、気配を感じた。
「サノ、こんな時間に、一人か」
振り返ると、銀さんとリーゼロッテさんが、並んで立っていた。
「二人とも、どうしたんですか」
「お前が、いないと思ったら、ここか。……眠れないのは、皆、同じらしいな」
リーゼロッテさんが、苦笑しながら、隣に立った。
◇ ◇ ◇
三人並んで、夜の荒野を見つめる。遠く、岩山の方角に、微かな、赤い光が、揺らめいているのが見えた。
「あれ、なんでしょう」
「分からん。……だが、嫌な予感がする」
銀さんの言葉に、おれたちは、揃って、その光を見つめ続けた。
やがて、その光は、まるで、意思を持つかのように、一瞬、強く瞬いた。
「――っ! 今の、明らかに、こっちに向けて、何か、発したような」
リーゼロッテさんが、剣の柄に、手をかけた。
だが、それ以上、変化は起こらなかった。光は、再び、静かな瞬きに戻り、夜の荒野に、静けさが戻る。
「……様子見、といったところか」
銀さんが、静かに呟いた。
「向こうも、こちらを、見極めようとしている。……そういうことだろう」
◇ ◇ ◇
「なあ、二人とも」
おれは、夜空を見上げながら、口を開いた。
「もし、この戦い、乗り越えられたら。……その後、どうしたいとか、考えてますか」
唐突な問いに、二人は、少し、驚いた顔をした。
「考えたことは、なかったな」リーゼロッテさんが、答えた。「目の前のことで、精一杯だった」
「私もだ」銀さんが、続けた。「だが……そうだな。乗り越えたら、少し、休みたい。どこか、静かな町で」
「銀さんらしいですね」
「お前は、どうなんだ、サノ」
リーゼロッテさんに問われて、おれは、少し考えた。
「おれは……ミレの店に、顔を出したいです。マーサさんにも。それと」
おれは、二人を見て、笑った。
「二人と一緒に、パンでも食べながら、くだらない話、したいですね。何も、考えずに」
「悪くない、目標だな」
銀さんが、微笑んだ。
逃亡生活五十六日目の夜、決戦の予兆を前にしながらも、おれたちの間には、確かな、穏やかな時間が流れていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
岩山の奥、玉座の間で。
影が、静かに、三人の様子を、映し出す、水鏡のようなものを、見つめていたことを。
「……なるほど。あれが、絆、というものか」
影の声には、これまでにない、何か、複雑な響きが、含まれていた。
「懐かしいものを、見た気がする。……だが」
影は、ゆっくりと、水鏡を、消し去った。
「それでも、私は、私の役目を、果たさねばならぬ」
大陸の命運を賭けた、本当の決戦の刻は、確実に、近づいていた。




