おれ、緊急出立に叩き起こされて、北方への道を急ぐ
◇ ◇ ◇
「――サノ、起きろ! 緊急事態だ!」
リーゼロッテさんの声と共に、部屋の扉が、勢いよく開いた。おれは、寝ぼけ眼で、飛び起きた。
「な、なんですか、朝っぱらから」
「夜だ。まだ、深夜だ」
「余計に、なんですか!」
逃亡生活四十五日目の夜、おれは、叩き起こされる形で、緊急事態を、知らされることになった。
◇ ◇ ◇
「ノルダール砦の哨戒隊が、行方不明になった。……そして、砦の北で、大規模な魔物の軍勢が、目撃されている」
リーゼロッテさんの説明に、おれは、一気に、眠気が吹き飛んだ。
「予定より早いですね、めちゃくちゃ」
「ああ。……出立を、前倒しする。二時間後、拠点を発つ」
「に、二時間!? 準備、間に合います?」
「間に合わせろ。……砦の状況次第では、一刻を争う」
リーゼロッテさんは、そう言い残して、慌ただしく、部屋を出ていった。おれは、寝間着のまま、しばらく、呆然と、突っ立っていた。
「……いや、これ、荷造りしないと」
我に返って、おれは、大慌てで、身支度を始めた。
◇ ◇ ◇
拠点の中庭に、二時間後――ではなく、一時間半後には、おれたち三人と、数名の護衛騎士が、集合していた。
「サノ、荷物、それで全部か」
「はい。……にしても、この一ヶ月半、しょっちゅう、こういう緊急事態、起きてる気がします」
「否定はできんな」
銀さんが、苦笑しながら、答えた。この人も、旅装を、素早く整えていた。逃亡生活で鍛えられた、咄嗟の対応力が、ここでも、役に立っているらしい。皮肉なものだった。
「よし、出発する」
リーゼロッテさんの号令と共に、おれたちは、用意された馬に跨り、夜の街道を、北へと、駆け出した。
◇ ◇ ◇
夜通しの強行軍で、おれたちは、北へ北へと、進んだ。途中、数度の休憩を挟みながらも、馬の足を、緩めることはなかった。
「銀さん、体調、大丈夫ですか」
「問題ない。……鍛えていると、言ったろう」
「その台詞、火起こしの時は、全然、説得力なかったんですけどね」
「今は、火起こしの話は、していない」
軽口を叩き合いながらも、おれたちの表情には、明らかな緊張が、滲んでいた。
北へ進むにつれ、街道沿いの景色は、少しずつ、変わっていった。緑豊かな平原が、次第に、荒涼とした岩場へと、姿を変えていく。空気も、心なしか、冷たさを、増しているように感じた。
「北方の気候は、南方とは、大きく異なる。……それに」
リーゼロッテさんが、辺りを、鋭く見回しながら、言った。
「この辺りから、魔物の生息域に、入ってくる。……気を、抜くな」
◇ ◇ ◇
二日目の昼過ぎ、街道の途中で、おれたちは、南へと避難する、村人たちの一団と、すれ違った。
「あんたたち、北へ行くのか? やめときな、危険だ」
一団の中の、年老いた男が、声をかけてきた。
「北で、何が」
「魔物だよ。……ここ数日で、急に、数が増えてな。統率された動きで、いくつもの村が、襲われてる」
男の顔には、明らかな、恐怖の色が、滲んでいた。
「うちの村も、昨日、襲撃を受けた。……幸い、逃げ延びられたが、遅れてたら、今頃、どうなってたか」
「怪我人は」
「何人か、いる。……だが、命があっただけ、まだマシだ」
男の言葉に、おれたちは、顔を見合わせた。噂ではなく、現実の被害が、既に、出始めている。事態は、想像以上に、切迫していた。
◇ ◇ ◇
「銀さん、リーゼロッテさん」
一団と別れた後、おれは、二人に、声をかけた。
「あの人たち、避難できる場所、ちゃんとあるんでしょうか」
「フェルンの拠点まで、辿り着けば、保護される手筈になっている。……エドヴァルド殿に、既に、状況の報告と、避難民の受け入れ態勢について、伝令を、出した」
リーゼロッテさんの答えに、おれは、少し、安堵した。
「おれたちが、直接、あの人たちを、助けられたら、良かったんですけど」
「今、私たちが、優先すべきは、脅威の根源を、突き止めることだ。……そのためにも、先を、急ぐ」
銀さんの言葉に、おれは、頷いた。もどかしさは、消えない。だが、今、目の前の一団を追いかけるより、根本の脅威に立ち向かうことの方が、多くの人を、救うことに繋がる。頭では、分かっていた。
◇ ◇ ◇
三日目の朝、おれたちは、ついに、ノルダール砦が、遠くに見える地点まで、たどり着いた。
だが――その光景に、おれたちは、思わず、馬を止めた。
砦の周囲、荒野一帯に、無数の、黒い影が、蠢いていた。
「……あれが、全部、魔物、ですか」
おれの声は、我ながら、震えていた。
「これほどの数、報告以上、だな」
リーゼロッテさんの声にも、明らかな、緊張が、滲んでいた。
「銀さん、あれ、統率、取れてますよね」
「ああ。……あの動き方、烏合の衆の、それではない」
荒野に蠢く魔物の群れは、まるで、訓練された軍隊のように、整然と、隊列を組んでいた。
逃亡生活四十八日目、おれたちは、ついに、大陸を揺るがす、本当の脅威の、その入り口に、立っていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
荒野の奥、魔物の軍勢を、静かに見下ろす、岩山の頂で。
一つの影が、はるか彼方、砦の方角に近づく、三つの人影の気配を、既に、捉えていたことを。
「……来たか」
影の声は、地鳴りのように、低く、荒野に、響き渡った。
「新たな勇者と、聖女と、騎士。……面白い。存分に、もてなしてやろう」
大陸の命運を賭けた、本当の戦いが、今、まさに、幕を開けようとしていた。




