おれ、正式な部隊員になって、書類仕事に涙する
◇ ◇ ◇
逃亡生活四十二日目。おれたちは、正式に「魔王軍対策特別部隊」の一員として、王都――ではなく、辺境の拠点都市、ここケルシュ寄りの中規模都市、フェルンに設けられた、仮拠点に身を置いていた。
「王都に直接呼ばれなかったの、地味に助かりましたね」
「私の進言だ。……勇者殿とリリアーヌ様を、いきなり王都のど真ん中に置くのは、色々と、目立ちすぎる」
リーゼロッテさんが、正式な部隊の隊長として(元隊長補佐から、まさかの抜擢だった)、書類の束を抱えながら答えた。
「それにしても」おれは、目の前に積まれた書類の山を見て、げんなりした。「勇者になるのって、書類仕事、こんなに多いんですね」
「部隊の予算申請、装備調達、任務報告書。……これも、立派な、仕事の一環だ」
「魔王軍と戦う前に、紙の魔物と戦ってる気分です」
「うまいことを言う」
リーゼロッテさんは、そう言いながらも、容赦なく、おれの前に、新たな書類を積み上げた。
◇ ◇ ◇
「銀さん、そっちは、順調ですか」
隣の机で、同じく書類と格闘している銀さんに、おれは声をかけた。
「……順調とは、言い難い」
銀さんは、真剣な顔で、羽根ペンを握りしめていた。
「聖女としての、正式な報告書。神殿への、経過説明。……それに加えて、この部隊での、私の立場についての、書類も」
「大変そうですね」
「大変だ。……戦う方が、まだ、楽まである」
「その発言、聞かれたら、また怒られますよ」
実際、部屋の隅では、フェルンの役人らしき、痩せ型の男が、書類の内容を、逐一チェックしている。彼もまた、この部隊の発足に伴って派遣された、事務方の一人だった。
「聖女様、こちらの記入欄、まだ、空欄になっておりますが」
「……分かっている。今、書く」
銀さんが、渋々、ペンを動かした。かつて、廃教会で賊たちを相手に、優雅に細剣を振るっていた聖女様が、今は、書類仕事に、明らかに苦戦していた。人生、何が得意で何が苦手か、分からないものである。
◇ ◇ ◇
昼休み、おれたちは、拠点の食堂で、ようやく一息ついていた。
「にしても」おれは、パンをかじりながら言った。「特別部隊、思ったより、地味な仕事から始まるんですね。もっとこう、いきなり魔王軍と戦うのかと」
「いきなり最前線に放り込まれるより、よほどいい」リーゼロッテさんが、きっぱりと言った。「準備もなく戦場に出れば、死ぬぞ」
「それは、そうですけど」
「それに」
リーゼロッテさんが、少し、声を潜めた。
「魔王軍の動き自体、まだ、明確な脅威として、確認されているわけではない。……この部隊、当面は、大陸各地に残る、黒鎖会の残党や、聖遺物絡みの後始末が、主な任務になるだろう」
「地味ながら、大事な仕事、ってことですね」
「そういうことだ」
銀さんも、頷きながら、パンを頬張った。この人の食欲は、書類仕事の疲労にも、一切影響を受けないらしい。安定していて、逆に安心する。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、拠点の会議室に、おれたち三人と、事務方の役人、そして――エドヴァルドが、久しぶりに顔を揃えていた。
「本日は、部隊発足の、正式な報告と共に、一つ、皆様にお伝えすべきことがございます」
エドヴァルドの声色に、いつもの穏やかさとは違う、微かな緊張が滲んでいた。
「北方の辺境、ノルダール砦から、報告が届いております。……ここ数週間、砦の周辺で、魔物の活動が、明らかに、活発化している、と」
「魔物の活動……」
「単なる魔物の群れの移動であれば、さほど問題は、ありません。……ですが」
エドヴァルドは、地図を広げた。北方の山岳地帯に、いくつかの印が、記されている。
「報告によれば、統率の取れた動きをする、大規模な魔物の集団が、複数、確認されているとのことです。……このような組織立った動き、通常は」
「魔王軍、ですか」
おれの問いに、エドヴァルドは、静かに、頷いた。
「まだ、確定情報ではございません。……ですが、その可能性を、視野に入れる必要があるかと」
◇ ◇ ◇
部屋の空気が、一気に、張り詰めた。
「エドヴァルドさん、それって」
「今すぐ、皆様に、北方への出立を、というわけではありません。……まずは、情報収集と、部隊の体制固めを、優先していただきたい。……ですが」
エドヴァルドは、まっすぐ、おれを見た。
「サノ殿の力が、真に必要とされる日は、遠くないかもしれません。……その覚悟だけは、頭の片隅に、置いておいていただければと」
「……分かりました」
おれは、静かに、頷いた。
一ヶ月半前、あの日、ギルドの水晶が金色に輝いた瞬間から、逃げ続けてきた。今も、正直、怖い気持ちは、消えていない。
だが――もう、一人じゃない。
隣には、銀さんがいる。反対側には、リーゼロッテさんがいる。そして、この一ヶ月半で出会った、たくさんの人たちの顔が、頭に浮かぶ。
(怖いけど……今のおれなら、たぶん、大丈夫だ)
◇ ◇ ◇
会議が終わり、エドヴァルドが去った後、おれたち三人は、拠点の窓から、北の空を見つめていた。
「銀さん、リーゼロッテさん」
「なんだ」
「なんです」
「本物の魔王軍、来るかもしれないですね」
「かもしれん」
「かもしれないな」
「その時は」
おれは、二人を見て、少しだけ、笑った。
「よろしく、頼みます」
「こちらこそ、な」
銀さんが、答えた。リーゼロッテさんも、静かに、頷いた。
逃亡生活四十二日目、書類仕事に追われる日々の中、物語は、いよいよ、大陸を揺るがす、本当の脅威へと、その舞台を、移そうとしていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
遥か北方、ノルダール砦から、さらに奥へと進んだ、魔物たちの巣窟の奥で。
統率された魔物の群れを従える、一つの影が、静かに、南の方角を、見つめていたことを。
「……人間どもの国に、新たな『勇者』が、生まれたようだな」
影の声は、地を這うように、低く、響いた。
「面白い。……ならば、この私が、直々に、その芽を、摘みに行くとしよう」
大陸に、新たな戦乱の予兆が、静かに、その影を、伸ばし始めていた。




