おれ、追手に遭遇して、ついでに初戦闘で加減を知らない
◇ ◇ ◇
逃亡生活三日目の朝は、最悪の目覚めから始まった。
「アルや、起きてるかい」
納屋の戸の隙間から、ドーラばあちゃんが顔を覗かせた。その後ろから朝日と、焼きたてパンの匂い。ここまでは最高の目覚めだ。問題は次の一言だった。
「今日はお客が多くてねえ。ほら、昨日話した勇者さま捜し。騎士さまの一行が、朝からこの町に来てるんだよ」
パンの匂いが吹っ飛んだ。
「き、騎士さま」
「そうそう。町の広場で聞き込みしてるってさ。若い男を一人ずつ確認してるらしいよ。あんたも見てくるといい、騎士さまなんて滅多に拝めないからね」
拝みたくない。この世界で一番拝みたくない相手だ。
おれは平静を装ってパンを受け取り、もぐもぐしながら高速で頭を回した。展開が早い。早すぎる。ラスタの街からメルクの町まで徒歩一日半の距離だぞ。捜索隊、仕事しすぎだろ。おれの前世の市役所を見習ってくれ。
「ドーラさん、おれ、そろそろ次の町に行こうと思ってて」
「おや、もう行っちまうのかい」
「旅の便利屋なんで。同じ町に長居しない主義なんです」
昨日決めた設定が早速役に立った。ばあちゃんは残念そうにしつつ、二日分の給金の銅貨四十枚と、布に包んだパンと干し肉を持たせてくれた。いい人だ。この町に骨を埋めたいくらいいい人だが、埋めるのは骨じゃなくて過去だけにしておく。
「気をつけてお行き。ああそうだ、あんたの怪力のこと、昨日みんなに自慢しといたからね! 薪割り台ごと真っ二つだよって!」
「…………そっすか」
ばあちゃん、それ、おれの死刑執行書にサインしたのと同じだからな。
恨めない。恨めないのが辛い。おれは笑顔でばあちゃんに手を振り、町の裏手からそっと出発した。広場とは正反対の方向だ。
◇ ◇ ◇
――出発は、少しだけ遅かった。
町外れの街道に出たところで、前方から馬蹄の音が聞こえてきたのだ。
振り返る余裕はなかった。道の脇は膝丈の草むら。隠れる場所は……ない。よし、堂々と行こう。おれはただの旅の便利屋アル。やましいことは何もない(大嘘)。
馬は三頭。先頭の一頭が、おれの横で速度を落とした。
「そこの者、少しよいか」
声の主を見上げて、おれは内心で「うわ」と言った。
銀色の鎧。腰の剣。そして兜の下から覗く、燃えるような赤毛と、切れ長の青い目。女の人だ。しかもとんでもない美人。ただし目つきは、獲物を探す鷹のそれだった。
「王国騎士団第三隊、隊長補佐のリーゼロッテ・クロイツだ。人を捜している」
きた。ど直球できた。
「は、はあ。どんな人ですか?」
「十代半ばから後半の男。黒髪、黒目。細身。三日前、ラスタの街の冒険者ギルドに現れた」
全部おれだった。逃げ場のないくらい全部おれだった。
リーゼロッテさんの視線が、おれの黒髪と黒目と細身を、上から下まで検分する。心臓がばくばく鳴る。落ち着け。この世界にも黒髪はいる。珍しいだけで、いないわけじゃない。押し通せ。
「……黒髪だな」
「よく言われます。田舎の生まれで、うちの村は黒髪が多くて」
「村の名は」
「トサツ村です」
咄嗟に前世の地元をもじった。実在しない村の名前を即答できるあたり、おれの逃亡スキルも育ってきている。育ってほしくないスキルだが。
「ふむ。……名は」
「アルです。旅の便利屋をやってます」
「アル。姓は」
「平民なんで、姓はないです」
これは昨日ドーラばあちゃんとの雑談で仕入れた知識だ。この世界、平民に姓はない。異世界豆知識がおれの命綱になっていく。
リーゼロッテさんは、じっとおれを見た。長い。三秒が三時間に感じる。やがて彼女は、ふ、と目を細めた。
「勇者さまはな、素養測定で〈黄金の輝き〉を示した。百年ぶりの勇者だ。王国は総力を挙げてお捜ししている。……見つけた者には、金貨五十枚の褒賞が出る」
「きんかごじゅうまい」
「それらしい者を見かけたら、必ず最寄りの詰め所に報せろ。よいな」
「も、もちろんです」
「では」
リーゼロッテさんは馬首を返し、部下の二騎とともにメルクの町の方へ駆けていった。
おれはその場に十秒立ち尽くし、それから膝から崩れ落ちた。
こっっっわ。
なんだ今の圧。絶対ちょっと疑ってただろ。目が「こいつか?」って言ってただろ。それと金貨五十枚ってなんだ。おれの首、そんなに高いのか。銅貨二十枚で一日働いたおれの首が、金貨五十枚。換算したくもない。
ひとつ確かなのは、あの人がメルクの町でドーラばあちゃんの「薪割り台ごと真っ二つ」の話を聞いたら、全速力で引き返してくるということだ。
おれは立ち上がり、街道を外れて、森沿いの間道へ進路を変えた。
◇ ◇ ◇
これが判断ミスだった。
間道に入って一時間。人気のない森の道で、おれは前方の茂みががさがさ揺れているのに気づいた。
風? 鳥? そう思いたかったが、茂みから出てきたのは、体長一メートル半はある灰色の狼だった。しかも二頭。
目が合った。
狼の目が言っている。「飯だ」と。
「…………」
待て待て待て。魔物? 魔物か? ただの狼か? どっちでもいい、結論は同じだ。おれ、武器持ってない。戦闘経験、前世含めてゼロ。体育の柔道の授業で受け身取っただけ。
逃げ――られない。狼相手に背中見せたら終わりだって、動物番組で見た。前世の知識がここでも火を噴く。噴いてほしくない場面で。
一頭目が、地を蹴った。
灰色の影が飛びかかってくる。牙。うわ、牙。考えるより先に、体が勝手に動いた。半歩引いて、腕を、振った。
ゴッ、という鈍い音。
狼が、吹っ飛んだ。
冗談抜きで、吹っ飛んだ。放物線を描いて五メートルくらい飛んで、木の幹にぶつかって、ずるずると落ちて、動かなくなった。
「……………………え?」
おれ、今、何した? 腕、振っただけだよな? 猫パンチの要領で、来るなー! って振っただけだよな?
二頭目の狼が、ぴたりと止まった。おれを見る。倒れた仲間を見る。もう一度おれを見る。それから、くるりと向きを変えて、全速力で森の奥へ消えていった。
賢明な判断だと思う。
おれはその場にへたり込んだ。遅れてやってきた恐怖で手が震える。震える手を見つめながら、おれは理解した。
勇者の素養、身体強化どころの話じゃない。
昨日、麦袋で「ちょっと力持ち」レベルだと思ってたのは、たぶん本気を出してなかっただけだ。命の危機で体が勝手に本気を出したら、狼が飛んだ。素手で。帰宅部が。
「加減……本格的に練習しないと、まずいな……」
嬉しくない。この力、全然嬉しくない。強すぎる力って、持ってみると恐怖でしかない。うっかり誰かと喧嘩になったら? うっかり肩がぶつかったら? おれの日常が凶器になる。
それに、だ。おれは倒れた狼を横目に見た。
こんなの人に見られたら、一発アウトだ。「素手で狼を吹っ飛ばす黒髪の若者」。金貨五十枚が確定する目撃情報だ。今回は目撃者ゼロ。運がよかった。次も運がいいとは限らない。
力を隠す。加減を覚える。人前では絶対に戦わない。
逃亡生活の掟に、新しい三カ条が追加された。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。おれは森を抜けた先の小さな宿場町にたどり着き、銅貨十五枚で人生初の宿を取った。相部屋の大部屋、藁ベッド、飯なし。それでも屋根と壁があるだけで文明を感じる。
藁ベッドに転がって、おれは天井に向かってつぶやいた。
「……とりあえず、南だな」
騎士団はラスタの街を起点に捜索網を広げている。なら、進むべきは王都から離れる方向。宿の親父の雑談によれば、南には大きな港町があるらしい。港町。いい響きだ。人が多くて、出入りが激しくて、よそ者が目立たない。逃亡先の理想郷だ。
目指すは南の港町。当面の目標、力の加減の習得。そして最終目標、平穏なスローライフ。
よし、道筋は見えた。おれの逃亡計画は完璧だ。
――なお、このときのおれは知らなかった。
メルクの町で聞き込みを終えたリーゼロッテ・クロイツが、「薪割り台ごと真っ二つにした、アルと名乗る黒髪の若者」の証言を手に入れ、部下にこう告げていたことを。
「今朝の男だ。……面白い。追うぞ」
鷹は、獲物を見つけていた。




