おれ、無一文で野宿して、隠す気だった力がバレかける
◇ ◇ ◇
逃亡生活一日目の夜。おれは早くも人生の壁にぶち当たっていた。
金がない。
いや、正確に言おう。金が「一枚も」ない。銅貨すらない。ラスタの街から全力ダッシュで逃げ出したはいいものの、冷静になって自分の所持品を確認したら、麻のシャツとズボンと、自分の体。以上。終了。
「……女神さまさぁ」
夜の街道脇、手頃な木の根元に座り込んで、おれは星空に向かってぼやいた。異世界の星空はやたら綺麗だった。綺麗だが、腹は膨れない。
「公平な転生とか言うなら、せめて初期資金くらい持たせてくれてもよくない?」
返事はない。ただの星空のようだ。
昼にギルドで大騒ぎされてから、おれは街道を外れつつ隣町方面へ歩き続けた。距離にして、たぶん十五キロくらい。前世なら部活の走り込みレベルだが、空腹でやると死ねる。最後に食べたのは前世の肉まん半分。カロリー的には昨日から何も食ってないのと同じだ。
とりあえず今夜は野宿するしかない。おれはラノベ知識を総動員した。野宿の基本。えー、確か、火を起こして、獣避けにして……火の起こし方、知らないな? 木の枝をこすり合わせるやつ、あれ実際は死ぬほど大変らしいって何かで読んだぞ。
三十分後。両手を赤くしただけで火起こしを諦めたおれは、木の根元で膝を抱えていた。
寒い。腹減った。心細い。
認めよう。おれは異世界をなめていた。ラノベの主人公たちはなんであんな平然と野宿してるんだ。あいつら全員すごかったんだな。
そんなことを考えているうちに、疲労が限界だったのか、おれの意識はぷつりと途切れた。
◇ ◇ ◇
翌朝。鳥の声で目が覚めた。
生きてる。よし。野宿一日目、クリアだ。誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めていく。この逃亡生活、メンタル管理が大事だと本能が告げている。
そして歩くこと半日、おれは隣町「メルクの町」にたどり着いた。ラスタの街より二回りほど小さい、農業と宿場で成り立ってるっぽい町だ。よし、ここで路銀を稼ぐ。
その前に、決めておくことがある。
偽名だ。
ギルドで名乗る前に逃げたとはいえ、「黒髪黒目の若い男」という見た目の情報は割れている。この世界、黒髪はそこそこ珍しいらしく、道行く人の頭は茶色やら金色やら緑(!?)やらでカラフルだ。せめて名前くらいは変えておかないと。
「偽名、偽名……」
佐野晶。ひっくり返してアキラ・サノ……そのまますぎる。アキ……アル。アルにしよう。この世界の名前っぽい響きだし、呼ばれたら反応できる程度に元の名前に近い。偽名のコツは咄嗟に反応できること。これもラノベで学んだ。おれのラノベ知識、こういうところだけ実践的だ。
「よし。今日からおれはアル。しがない旅の便利屋、アルだ」
◇ ◇ ◇
で、便利屋アルの初仕事である。
町の掲示板に貼ってあった依頼書――ギルドを通さない、町の雑用募集の紙だ――の中から、おれは一番安全そうなやつを選んだ。
『納屋の荷運びと薪割り。一日、銅貨二十枚。飯付き』
飯付き。この三文字が黄金に輝いて見えた。
依頼主は町外れの農家のばあちゃんだった。ドーラさんという。息子が腰をやってしまい、収穫物の袋を納屋に運べなくて困っていたらしい。
「あんた、細っこいけど大丈夫かい?」
「任せてください。これでも力仕事には自信が……」
なかった。前世のおれは帰宅部だ。だが飯のためだ。おれは麦袋の山に挑んだ。
――ここで、妙なことが起きた。
麦袋。見るからに重そうな、たぶん三十キロはあるやつ。腰を入れて、うおおと気合を入れて持ち上げたら。
ひょい、と持ち上がった。
「……え?」
軽い。いや、軽くはないんだが、「いける」重さだ。米袋二つ分を運ぶ感覚で、普通に運べる。おれは試しに麦袋を二つ重ねて持ってみた。いけた。三つ。ちょっとキツいが、いけた。
帰宅部だぞ? おれ、帰宅部だぞ?
「まあまあまあ! あんた、見かけによらず大した力だねえ!」
ドーラばあちゃんが手を叩いて喜んでいる。おれは愛想笑いを返しながら、内心で冷や汗をかいていた。
これ、あれだ。素養だ。
勇者の素養〈黄金の輝き〉。詳細は聞く前に逃げたから知らないが、どうやら身体能力の底上げ的な効果があるらしい。そういえば昨日、空腹のまま十五キロ歩けたのも、全力ダッシュでギルドの追っ手(いたのか知らんが)を振り切れたのも、思えば普通じゃなかった。
便利だ。便利だが、まずい。
目立つ。この力、絶対に目立つ。「細身の黒髪の若者が異常な怪力」なんて噂が立ってみろ。勇者を捜してる連中がいたら、一発で「それだ」ってなるやつだ。
力を隠せ、アル。おれはおれに言い聞かせた。以後、麦袋は一つずつ、ちょっとしんどそうな顔をしながら運んだ。演技力もこの逃亡生活には必須らしい。
続く薪割りでも同じことが起きた。斧を振り下ろしたら、薪が割れるどころか台座の丸太まで真っ二つになった。ドーラばあちゃんが目を丸くしてたので「た、たまたま木目がよかったみたいで!」と誤魔化した。誤魔化せたかは、分からない。
◇ ◇ ◇
日暮れ。約束の銅貨二十枚と、おまけの晩飯にありついた。
具だくさんのスープと、黒パンと、ふかした芋。前世基準なら素朴の極みみたいな飯だが、丸一日ぶりの食事に、おれは無言でがっついた。うまい。染みる。芋が甘い。異世界の芋、天才か?
「いい食べっぷりだねえ。あんた、行くとこないんだろ? 今夜は納屋で寝ていきな」
「!! いいんですか」
「力仕事、明日もあるからね」
ばあちゃん、商売上手だった。だが屋根の下で寝られるなら喜んで働こう。おれは二つ返事で頷いた。
その夜。納屋の藁の上に寝転がって、おれは今日の収支をまとめた。
収入、銅貨二十枚。宿代わりの納屋。飯二食。偽名「アル」の獲得。
支出、なし。
問題点、勇者の素養が勝手に仕事する。
「……力の加減、練習しないとな」
隠すべき力があるって、ラノベだと「実は最強」系の美味しい設定なんだが、実際やってみると神経がすり減る。うっかり握手で人の手を握り潰したりしないよな? 怖くなってきた。
それと、もうひとつ気になることがある。夕方、水汲みから戻ったドーラばあちゃんが言っていたのだ。
「そういえば町の広場が騒がしかったよ。なんでも、隣のラスタの街で勇者さまが現れたとかで」
「……へえ」
「けど、その勇者さま、名乗りもせずに消えちまったんだと。それで領主さまが人を出して捜してるらしいよ。ご褒美も出るとか」
スープを持つ手が止まりそうになるのを、おれは根性で止めた。
捜索、始まってる。しかも賞金付き。展開が早い。異世界の情報網、なめてた。
「勇者さまなら、魔王軍をどうにかしてくれるかねえ。最近は北の方が物騒だって言うし」
ばあちゃんはそう言って、ため息をついた。その顔がちょっとだけ不安そうで、おれは芋を飲み込みながら、そっと目をそらした。
……いや、心は痛まない。痛まないぞ。魔王軍対策は王国の仕事だ。軍隊とか英雄とか、そういうプロに任せるべき案件だ。昨日転生してきた元帰宅部に世界を任せるほうがどうかしてる。
おれは藁に寝転がり直して、目を閉じた。
明日もう一日ここで働いたら、銅貨は四十枚。当面の飯代にはなる。そうしたら次の町へ移動だ。捜索の手が広がる前に、できるだけ遠くへ。
目指せ、誰もおれを知らない土地。目指せ、平穏なスローライフ。
逃亡生活二日目、便利屋アルは静かに眠りについた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
真っ二つにした薪割り台を見たドーラばあちゃんが、井戸端会議で「うちに来た子がすごくてねえ」と、それはもう楽しそうに語りまくっていたことを。
ばあちゃんの口に、戸締まりはなかった。




