おれ、死んで、生きて、逃げることを決める
人生ってやつは、本当にあっけない。
おれ、佐野晶、十六歳。偏差値そこそこの県立高校に通う、どこにでもいる普通の高校生……だった。過去形なのがポイントだ。
あの日、おれはコンビニで買った肉まんを片手に、いつもの通学路を歩いていた。考えていたことといえば、来週の中間テストのことと、昨日読んだラノベの続きが気になるなー、ってことくらい。平和そのものだった。
で、信号が青になったから横断歩道を渡った。
そしたらトラックが突っ込んできた。
……いや、ちょっと待ってほしい。青信号だぞ? おれ、何も悪くなくない? 最後に見た光景は、迫りくるトラックのフロントグリルと、宙を舞う食いかけの肉まん。走馬灯とかそういう気の利いたものは一切なかった。あったのは「あ、死ぬわこれ」という妙に冷静な感想だけだ。
そして――目が覚めたら、真っ白な空間にいた。
上下左右、どこまでも白。壁も床も天井も見当たらないのに、なぜかおれは「立って」いる。夢か? 夢だな? 肉まんを喉に詰まらせて気絶でもしたか?
『お目覚めですね、佐野晶さん』
声がした。女性の声だ。透き通るような、それでいてどこか事務的な声。役所の窓口のお姉さんが天使になったらこんな感じかもしれない。
「えっと……どちらさまで?」
『わたくしは世界の管理を任されている者。あなたがたの言葉で言うところの、女神、でしょうか』
「女神さま」
『はい』
「おれ、死にました?」
『はい。即死でした』
即死て。もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいだろ。
『ですが、安心してください。あなたにはこれから、新しい生をご用意しています』
「新しい生」
『別の世界への転生です』
きた。きたぞ。異世界転生だ。ラノベで百回は読んだやつだ。まさか自分の身に起こるとは思わなかったが、展開は完全に把握している。この後アレだろ、チート能力をもらえるんだろ? 神さまの手違いで死んだお詫びに、とかで。
「あの、女神さま。おれ、青信号で渡ってたんですけど、あれってもしかして手違い……」
『いいえ、正規の寿命です』
「正規!?」
『あなたの寿命は元々あそこまででした。トラックの運転手さんに落ち度はありません』
マジか。おれの寿命、十六年ぽっちだったのか。ならせめて最後の肉まんくらい完食させてくれよ。
『では、転生の手続きに移ります。何かご質問は?』
「チート能力とかは」
『特典の類はございません』
「ないの!?」
『当管理局では公平な転生を心がけております』
管理局て。夢がない。夢がなさすぎる。
『ただし、転生先の世界の言語と文字は理解できるように調整いたします。それから、あなたの魂の性質に応じた〈素養〉が自然に付与されます。これは特典ではなく、転生の際に必ず発生する現象です』
「素養? それってつまり才能ってこと?」
『概ねそのような理解で結構です。何が付与されるかは、わたくしにも分かりません。魂と世界の相性次第ですので』
ガチャかよ。しかも中身が見えないタイプの。
『それでは、良き第二の人生を』
「え、ちょっと待って、もうちょっと説明――」
言い終わる前に、視界が光に包まれた。
◇ ◇ ◇
気がつくと、おれは草原に突っ立っていた。
頬を撫でる風。青すぎる空。遠くに見える、明らかに日本のものじゃない城壁都市。そして自分の格好を見下ろせば、着たこともない麻っぽいシャツとズボン。
「……ほんとに来ちゃったよ、異世界」
声に出してみて、ようやく実感が湧いてきた。同時に湧いてきたのは、猛烈な不安だ。だって考えてもみてほしい。スマホなし、金なし、知り合いなし、チートなし。あるのは言葉が通じるという保証と、中身不明の〈素養〉とやらだけ。
これ、詰んでない?
いや、落ち着け。ラノベ知識を総動員しろ。こういうときはまず街だ。街に行けば何とかなる。何とかなるって相場が決まってる。
おれは遠くに見える城壁都市を目指して歩き出した。幸い、街道らしき道はすぐに見つかった。歩くこと二時間。途中で通りかかった荷馬車のおっちゃんが親切にも乗せてくれて、街の門までたどり着いた。
おっちゃん曰く、この街は「ラスタの街」。この辺りじゃそこそこ大きい街で、冒険者ギルドもあるらしい。
冒険者ギルド。出た、定番中の定番。身元不明の異世界人が最初に頼るべき場所、それが冒険者ギルドだ。ラノベで学んだ。
「にいちゃん、行くとこないなら、ギルドで素養測定してもらうといい。いい素養持ちなら、それだけで飯が食えるからな」
おっちゃんはそう言って、荷馬車と一緒に去っていった。いい人だった。この世界、意外とやさしいかもしれない。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドは、街の大通りに面したでかい石造りの建物だった。
中に入ると、昼間だってのに酒を飲んでる屈強な男たちやら、鎧姿の女性やら、いかにもな面々がたむろしている。うん、イメージ通り。イメージ通りすぎて逆に安心する。
受付には、緑髪のお姉さんがいた。異世界の受付嬢、実在した。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょう?」
「あの、素養測定っていうのをお願いしたくて。……ええと、田舎から出てきたばかりで、右も左も分からなくて」
身の上は「遠い田舎から出てきた」で押し通すことにした。異世界から来ましたなんて言ったら、面倒なことになるのは目に見えている。
「かしこまりました。測定は初回無料です。こちらの水晶に手を置いてください」
カウンターに置かれたのは、バスケットボールくらいの大きさの水晶玉。おお、これも定番アイテムだ。おれはわくわく半分、不安半分で、水晶に手を置いた。
頼むぞ、ガチャ。〈鑑定〉とか〈アイテムボックス〉とか、地味に便利なやつでいいから。贅沢は言わないから。
水晶が、淡く光った。
白、青、緑と色が移り変わり――やがて、まばゆいばかりの金色に輝いた。
ギルド内が、静まり返った。
「……え?」
受付嬢さんが固まっている。周りの冒険者たちも、酒のジョッキを持ったまま固まっている。
「あの、これって」
「こ……」
「こ?」
「〈黄金の輝き〉……!! 勇者の素養です!!」
受付嬢さんの叫び声が、ギルド中に響き渡った。
一瞬の静寂。直後、ギルドが爆発した。比喩だけど。
「勇者だ!! 勇者が出たぞ!!」
「マジかよ、生きてるうちに拝めるとはな!!」
「おい誰か酒持ってこい! 祝いだ祝い!!」
「百年ぶりだぞ百年ぶり! 魔王討伐の希望だ!!」
冒険者たちが総立ちになって、おれを取り囲む。肩を叩かれ、頭をわしゃわしゃされ、なぜか知らないおっさんに抱きしめられた。ちょっと、距離感。異世界の距離感どうなってんの。
だが、騒ぎの中心にいるおれの頭は、急速に冷えていった。
勇者。
ゆうしゃ。
……勇者って、あれだろ?
ラノベで百回読んだから知ってるぞ。魔王を倒す使命を背負わされるやつだろ。四天王だの魔王軍幹部だのと命懸けの戦いを繰り広げて、毒沼を渡って、ドラゴンと殴り合って、最終的に魔王城に単身乗り込まされるやつだろ。
死ぬじゃん。
普通に死ぬじゃん、そんなの。
おれはさっき死んだばっかりなんだぞ? トラックで即死して、女神さまに「正規の寿命です」とか言われて、やっとこさ第二の人生が始まったところなんだぞ? なのに何? 今度は魔王と戦えって? 命懸けのバトル展開って?
冗談じゃない。
おれの第二の人生の目標は決まってる。平和にのんびり生きること。畑を耕すでも、商売するでも、なんならスライム倒して日銭を稼ぐでもいい。とにかく、死なないこと。これに尽きる。
「勇者さま! すぐに領主さまにご報告を! いえ、王都に使いを――」
受付嬢さんが興奮した様子で叫んでいる。まずい。まずいぞ。話がどんどんでかくなっていく。領主? 王都? そんなところに連れて行かれたら最後、「魔王討伐をそなたに命ずる」コースまっしぐらだ。断れる空気じゃなくなる。
逃げるなら、今しかない。
幸い、おれの名前はまだ誰にも伝えていない。顔を覚えられる前に、この街から消えれば――。
「あ、あの! 勇者さま、お名前を!」
「……ちょっとトイレ行ってきます」
「え?」
「トイレ。お手洗い。感動で、その、色々こみあげてきちゃって」
「あっ、はい! あちらの奥に……」
「どうも」
おれは自然な足取りでギルドの奥へ向かい――トイレの前を素通りして、裏口から外に出た。
そして、走った。
全力で走った。前世で唯一自信があったのは、遅刻しそうなときの短距離ダッシュだ。今こそその力を発揮するとき。
走りながら、おれは高らかに(心の中で)宣言した。
そうだ、逃亡しよう。
おれは勇者にはならない。魔王とも戦わない。四天王? 知らん。世界の危機? 他を当たってくれ。
おれ、佐野晶、十六歳。異世界転生一日目。
本日より、勇者(仮)の逃亡生活、開始である。
――なお、このときのおれは知らなかった。
素養測定の水晶が金色に輝いた記録は、自動的にギルド本部と王国に送信されるということを。そして王国が「消えた勇者」の捜索に、国の威信を懸けて乗り出すということを。
逃亡生活は、思ったよりハードモードだった。




