おれ、一週間の猶予に悩んで、二人の本音を聞く
◇ ◇ ◇
逃亡生活三十日目。エドヴァルドの提案から一夜明けて、おれは、宿の部屋で、一人、天井を見つめていた。
節目、と言えば節目だ。異世界に来て、ちょうど一ヶ月。あの日、ギルドの水晶が金色に輝いた瞬間から、ずっと、逃げ続けてきた。
「魔王軍対策特別部隊、か……」
声に出してみると、なんだか、こそばゆい響きだった。前世でラノベを読んでいた頃なら、間違いなく「望むところ!」と胸を張る主人公が、大勢いた展開だ。だが、おれは、そうはなれない。
(命懸けの戦いをする、っていう根本は、変わらないんだよな……)
特別部隊、という体裁は綺麗だ。だが、その先にあるのは、結局、魔王軍という、命を賭けた敵との戦いだ。逃げてきた理由の、核心部分は、何一つ変わっていない。
それでも――一ヶ月前と、今の自分では、何かが、確実に違う。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、おれは、気分転換に、宿の近くを一人で散歩していた。ヴェルダンの町は、事件の余韻を残しながらも、いつも通りの賑わいを取り戻しつつあった。
「サノ、こんなところにいたか」
声をかけてきたのは、銀さんだった。フードを外した素顔のまま、屋台の串焼きを二本、手に提げている。
「一本、やる」
「ありがとうございます」
二人で、噴水の縁に腰掛けて、串焼きをかじった。
「銀さん、特別部隊の話、本当は、どう思ってるんですか」
「……私か」
銀さんは、少し考えて、答えた。
「正直に言えば、複雑だ。……聖女としての責務からは、逃れられん。だが、お前と、リーゼロッテと共に戦う道なら、一人で神殿に縛られるよりは、ずっといい。……そう、思っている」
「銀さんも、逃げたい気持ち、あったんですよね。神殿の重責から」
「ある。……今も、正直、消えてはいない」
銀さんは、串の先を見つめながら、静かに続けた。
「だが、逃げ続けるだけの人生に、意味を見出せなくなってきているのも、事実だ。……マーサのことがあって、余計に、そう思うようになった」
「マーサさんの、こと?」
「あいつは、過去を清算して、堅気になった。……逃げるだけでなく、向き合って、決着をつける道を、選んだ。その姿を見て、私も、少し、考えを変えた」
銀さんは、ふと、こちらを見た。
「サノ、お前は、どうしたい」
◇ ◇ ◇
唐突な問いに、おれは、言葉に詰まった。
「……分からないです、正直」
「そうか」
「でも」
おれは、串焼きを見つめながら、少しずつ、言葉を選んだ。
「魔王とか、四天王とか、そういう大それたものと戦うのは、正直、今でも、めちゃくちゃ怖いです。死にたくないし、平和に暮らしたい気持ちは、今も、変わってない」
「うむ」
「でも、この一ヶ月で、おれ、いろんな人に、出会いました。ミレとか、ドーラばあちゃんとか、マーサさんとか。……そして、銀さんや、リーゼロッテさんとも」
おれは、少しだけ、笑った。
「一人で逃げ続けるだけなら、たぶん、こんな出会い、なかったと思うんです。……守りたいものが、増えるのは、正直、怖いことでもあるんですけど」
「怖い、が」
「怖いけど、悪くないな、とも、思ってるんです。まだ、答えは出てないですけど」
銀さんは、しばらく、黙って、おれの言葉を聞いていた。それから、ふっと、小さく笑った。
「お前は、本当に、変な奴だな」
「よく言われます」
◇ ◇ ◇
その夜、宿の食堂で、おれは、今度は、リーゼロッテさんと、二人きりになる機会があった。銀さんは、マーサさんへの最後の挨拶に、再び店に向かっている。
「リーゼロッテさん、昨日、言ってましたよね。おれと共に戦う道を、選びたいって」
「……ああ、言った」
リーゼロッテさんは、少し、ばつが悪そうな顔をした。
「あれは、正式な、騎士としての判断です、か?」
「いや」
リーゼロッテさんは、はっきりと、首を振った。
「あれは、私自身の、個人的な、願望だ。……騎士としての職務云々ではなく」
「個人的な、願望」
「この一ヶ月、お前たちを、追い、そして、共に旅をする中で、私は、多くのものを見た。……お前の、力に振り回されながらも、それでも他人を見捨てられない性分。リリアーヌ様の、重責を背負いながらも、笑うことを忘れない強さ」
リーゼロッテさんの声は、いつになく、柔らかかった。
「私は、王国騎士として、ずっと、『正しさ』のために、剣を振るってきた。……だが、お前たちと過ごすうちに、『正しさ』だけでは、割り切れないものが、この世界には、たくさんあるのだと、知った」
「リーゼロッテさん……」
「だから」
リーゼロッテさんは、まっすぐ、おれを見た。
「お前が、特別部隊の話を受けるにしろ、断るにしろ。……私は、もう、お前を、一方的に追い詰める側には、立ちたくない。それだけは、はっきりと、言っておきたかった」
◇ ◇ ◇
その言葉に、おれは、しばらく、何も言えなかった。
追う者と、追われる者。最初は、そんな単純な関係だった。それが、今は、こんなにも、複雑で、あたたかいものに変わっている。
「……ありがとうございます、リーゼロッテさん」
「礼を言われるようなことでは」
「いや、言わせてください。あなたが、あの時、腕相撲で見逃してくれなかったら、たぶん、おれ、もっと早くに、捕まってたと思うんで」
「あれは、ただの、気まぐれだ」
「気まぐれにしては、随分と、命懸けでしたけどね」
リーゼロッテさんは、また、少し、頬を赤くして、そっぽを向いた。この人のこの反応、いつ見ても、ちょっと可愛いなと、おれは、こっそり思った。口には、出さないけれど。
◇ ◇ ◇
逃亡生活三十日目の夜、おれは、部屋のベッドに横になりながら、これまでの旅を、改めて、振り返っていた。
ラスタの街での逃亡開始。ドーラばあちゃんとの出会い。リーゼロッテさんとの初遭遇。ミレとの珍道中。サザンテでの検問突破と、夜の脱出劇。ケルシュでの銀さんとの出会い。オーレンスでのマーサさんとの再会。廃教会での乱闘。ヴェルダンでのガローとの決着。
一ヶ月前の自分には、想像もつかなかった濃密な日々だった。
「……答え、そろそろ、出さなきゃな」
一週間の猶予。その時間は、確実に、減っていく。
逃げるのか。それとも、新しい道を、選ぶのか。あるいは――もっと、別の、第三の道が、あるのか。
おれは、目を閉じて、静かに、その答えを、探し始めた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
隣の部屋で、銀さんとリーゼロッテさんが、こっそりと、小声で言葉を交わしていたことを。
「リーゼロッテ、お前、思ったより、素直になったな」
「うるさい。……お前だって、マーサとのことがあって、変わっただろう」
「否定はせん。……で、サノの答え、お前は、どう予想する」
「……分からん。だが」
リーゼロッテさんの声が、少しだけ、和らいだ。
「あいつのことだ。……きっと、私たちの予想を、いい意味で、裏切ってくれるだろうさ」
三十日間の逃亡劇は、ついに、その結末へと向けて、静かに、動き出していた。




