おれ、マーサさんの告白を聞いて、銀さんの過去を知る
◇ ◇ ◇
逃亡生活二十七日目の昼。宿の一室に、思いがけない来客があった。
「マーサ、さん!?」
部屋に飛び込んできたマーサさんの顔を見て、おれは思わず声を上げた。銀さんも、はっと顔を上げる。
「マーサ、なぜここに」
「リリアーヌ様……あたし、決めたんです。もう、逃げるのはやめようって」
マーサさんは、フードを外し、真剣な表情で、銀さんの前に立った。
「あなたが、犯人の顔を見て、それを誰にも言えずに苦しんでる。それ、あたしのせいでもあるんですよね。……だから、あたしの口から、ちゃんと話します」
銀さんの表情が、大きく揺れた。
「マーサ、待て、それは」
「待ちません。もう、十分待ちました」
◇ ◇ ◇
マーサさんは、深く息を吸って、静かに語り始めた。
「あたし、昔――今から十年くらい前、まだ裏の情報屋稼業に片足突っ込んでた頃、ある組織で働いてたんです。今の〈黒鎖会〉の、前身にあたる組織で」
「そんな昔から……」
「その組織の元締め、当時から裏社会で名を知られた男でした。……名を、ガロー・デルヴィス」
心臓が、跳ねた。
「ガローって、まさか、今の商館の主人の」
「同一人物です。あたしは、その男の下で、情報屋として働いてました。……そして、ある任務で、失敗をしました」
マーサさんの声が、震えた。
「任務の詳細は、今はいい。ただ、その失敗のせいで、あたしは、組織から命を狙われることになりました。裏切り者として、始末される寸前だったんです」
「それを、助けたのが」
おれが聞くと、マーサさんは、頷いた。
「リリアーヌ様です。当時、彼女は、神殿の密命で、この国の裏社会を調査していました。……偶然、あたしが追い詰められている場に、居合わせたんです」
◇ ◇ ◇
「私は、当時、単なる調査中の身だった」銀さんが、静かに引き取った。「だが、目の前で、追い詰められている女を、見過ごせなかった。……聖女の役目云々ではなく、単純に、性分の問題だ」
「リリアーヌ様は、あたしを庇って、組織の人間と、渡り合ってくれました。……その結果、あたしは、なんとか組織から逃げ切ることができた。堅気になって、この国で、静かに暮らす道を選んだんです」
「それが、マーサさんの、仕立て屋になった経緯」
「はい。……そして、その時、あたしを始末しようとした男たちの中に、確かに、ガローの姿があったんです。あの時の顔、忘れられるはずがない」
マーサさんは、拳を握りしめた。
「だから、リリアーヌ様が、〈大陸の鍵〉を持ち出した犯人の顔を見た、って聞いた時、すぐに分かりました。……その犯人、たぶん、ガローです」
◇ ◇ ◇
部屋に、重い沈黙が落ちた。おれは、頭の中で、情報を整理しようとした。
「でも、待ってください。ガローって、今、商館の主人として、堂々と表に出てますよね。聖遺物の在り処、知ってる素振りも見せてました。……それって、自分で盗んだ品を、自分で探してるふりしてるってことですか」
「おそらくな」銀さんが、頷いた。「あの男は、私に、犯人の顔を『明かせ』と言った。……つまり、私の口から、証言として、それを引き出したかったのだろう」
「なんでそんな回りくどいこと」
「証言があれば、別の誰かに罪をなすりつけることができる。……あるいは、聖遺物を巡る他の勢力の目を、逸らす材料にする気か」
リーゼロッテさんが、腕を組んで唸った。
「マーサ、お前の証言、王国の記録と照らし合わせれば、裏付けが取れるかもしれん。……ガロー・デルヴィス、王国内でも、いくつかの余罪の噂がある男だ」
「でも」マーサさんが、不安げに言った。「あたしが証言したこと、ガローに知られたら」
「そこは、私が保証する」リーゼロッテさんが、きっぱりと言った。「お前の身の安全、王国騎士の名において、守る」
マーサさんは、驚いた顔で、リーゼロッテさんを見た。それから、少しだけ、泣きそうな顔で、頷いた。
「……ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
話が一段落したところで、おれは、ずっと気になっていたことを、銀さんに聞いてみた。
「銀さん、さっき、犯人の顔、確信が持てなかったって言ってましたよね。……それって」
「……ああ」
銀さんは、少し、決まり悪そうな顔をした。
「マーサから、ガローという男の話は、以前から聞いていた。マーサの命を狙った男、と。……だが、まさか、その男が、今また、聖遺物の一件に関わっているとは、思いもしなかった」
「じゃあ、確信が持てなかったのは」
「マーサを、再び危険に晒すことに、なりかねないと思ったからだ」
銀さんは、まっすぐ、マーサさんを見た。
「お前が過去を清算して、堅気になった。その生活を、私の都合で、また壊すことになるかもしれない。……それが、怖かった」
マーサさんは、しばらく黙って、それから、小さく笑った。
「リリアーヌ様。あたし、あの時、あなたに助けてもらった恩、一日たりとも忘れたことないですよ。……だから、今度は、あたしの番です」
その言葉に、銀さんは、目を伏せた。フードのない素顔に、隠しきれない感情が、はっきりと浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「よし」リーゼロッテさんが、話を締めくくるように言った。「これで、ガローを追い詰める材料が揃った。……マーサの証言、聖遺物の在り処の手がかり、そして、ガロー自身の裏社会での余罪。これらを合わせれば、正面から、奴を追い詰められる」
「三日の猶予、待つ必要、なくなりましたね」
「ああ。……逆に、こちらから、先手を打つ」
銀さんが、静かに頷いた。その顔には、もう、迷いの色はなかった。
「明日、商館に乗り込む。……今度は、招かれた客としてではなく、真実を突きつける者として、な」
逃亡生活二十七日目、聖遺物を巡る謎は、ついに、その核心にたどり着こうとしていた。マーサさんの勇気ある告白が、膠着していた状況を、大きく動かしていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
商館の奥、ガローが、部下からの報告を受けて、静かに笑みを深めていたことを。
「マーサが、ヴェルダンに来た、か。……懐かしい名だ」
「いかがいたしましょう」
「放っておけ。……むしろ、好都合だ。奴が証言台に立つというなら、それはそれで、面白い見世物になる」
ガローは、机の上の〈大陸の鍵〉らしき遺物を、指先で弄びながら、低く笑った。
「役者が揃うのは、大歓迎だ。……舞台の幕、そろそろ上げるとしよう」
大陸を揺るがす陰謀の幕は、いよいよ、最終局面へと向かっていた。




