おれ、猶予の三日間に頭を悩ませ、銀さんの横顔に影を見る
◇ ◇ ◇
逃亡生活二十六日目の夜。宿に戻ったおれたちは、重い空気の中、額を突き合わせていた。
「……それで、どうするんですか、これから」
「分からん。だが、ガローの提案に乗る気は、私にはない」
銀さんが、椅子に深く腰掛けたまま、低く答えた。
「乗らないとして」リーゼロッテさんが続けた。「三日以内に、こちらから何か手を打つ必要がある。……〈大陸の鍵〉の在り処、他に探る手段はないか」
「マーサさんの伝手、もう使い切っちゃいましたしね」
「ここに、マーサはいない。頼るとしたら、私たち自身の力だ」
リーゼロッテさんの言葉に、おれと銀さんは頷いた。とはいえ、具体的な手立てが、すぐに浮かぶわけでもない。
「ガローの護衛、明らかに手練れ揃いだったな。力押しで奪還は、現実的じゃない」
「じゃあ、また潜入、ですか」
「今度は、招かれざる客として、な」
◇◇◇
作戦会議は、二時間ほど続いた。だが、目立った進展はないまま、時間だけが過ぎていく。
「……いったん休憩しませんか。頭、煮詰まってきました」
おれの提案に、リーゼロッテさんも頷いた。
「そうだな。……少し、外の空気を吸ってくる」
リーゼロッテさんは、そう言って、部屋を出ていった。残されたのは、おれと、銀さんの二人だけだった。
沈黙が、部屋に落ちる。
「銀さん」
「……なんだ」
「大丈夫ですか。今日のガローとのやり取り以来、ずっと様子、変ですよ」
銀さんは、しばらく答えなかった。窓の外、夜のヴェルダンの町並みを、ぼんやりと見つめている。
「……サノ。私は、犯人の顔を知っている、と言ったな」
「はい」
「その顔が――誰であるか、実を言うと、私の中で、ずっと確信が持てずにいる」
意外な言葉だった。おれは、黙って、銀さんの言葉の続きを待った。
「一瞬だけ、見た顔だ。夜の暗がり、遠目に。……よく知る者の顔と、重なって見えた。だが、それが、本当にその者だったのか、それとも、単なる見間違いだったのか」
銀さんの声は、いつになく、頼りなかった。
「もし、それが本当に、私の知る者だったとしたら」
「――だったら?」
「私は、その者を、告発することになる。……そして、その先に、何が待っているのか、私には、想像もつかない」
◇ ◇ ◇
おれは、銀さんの横顔を、じっと見つめた。いつも堂々として、財布に厳しく、パンに目がない、あの銀さんが、今は、まるで別人のように、弱々しく見えた。
「銀さん、それって」
「今は、まだ、言えん」
やはり、はぐらかされた。だが、今日のこの様子で、おれの中に、ひとつの予感が、はっきりと形を持ち始めていた。
(もしかして……マーサさんと、関係があるんじゃないか)
ヴェルダンに来る前、マーサさんと銀さんの間にあった、あの奇妙な緊張感。「私が信用できるのは、お前しかいない」という、あの言葉。そして、今日の、この動揺。
全部が、線で繋がりそうで、繋がらない。おれの中では、まだ、確信には至らなかった。
「サノ」
「はい」
「……お前には、いずれ、ちゃんと話す。マーサとのことも、含めて」
「銀さん……」
「だが、今は、まだだ。……この件が、片付いてからでいい、か」
銀さんの声は、懇願にも似た響きを持っていた。おれは、それ以上、踏み込まないことにした。
「分かりました。急かしません。……でも」
「でも?」
「一人で抱え込むのだけは、やめてください。おれも、リーゼロッテさんも、ここにいるんで」
銀さんは、少しの間、目を見開いて、それから、小さく、本当に小さく、笑った。
「……お前は、本当に、変な奴だな」
「よく言われます」
◇ ◇ ◇
その頃、外の空気を吸いに出たリーゼロッテさんは、宿の裏手の井戸端で、一人、考え込んでいた。
(聖女の様子、明らかにおかしい。……犯人の正体、彼女の中で、既に見当がついているのだろう)
職務上、真実を追求すべき立場だ。だが、この数日、共に旅をしてきた中で、リーゼロッテの中に生まれた感情は、単なる職務的な使命感だけでは、説明がつかなくなっていた。
「……困ったものだな」
呟いて、夜空を見上げる。
(サノも、リリアーヌ様も。……私は、いつから、こんなにも、彼らの味方のような気持ちで、物事を見るようになったのだろうか)
王国騎士として、任務を全うすべき自分と、逃亡者たちの側に立ちたいと願う自分。その狭間で、リーゼロッテの心は、静かに揺れ続けていた。
◇ ◇ ◇
翌朝。三人は、再び、額を突き合わせた。
「昨夜、少し考えたのだが」リーゼロッテさんが、切り出した。「ガローの言う『三日』、正面から待つ必要はない。こちらから、先に動くべきだ」
「先に、というと」
「商館の内部構造、もう少し調べる必要がある。……表向きの商談を装って、もう一度中に入るのも、手かもしれん」
「危険じゃないですか、それ」
「危険は承知の上だ。だが、待っているだけでは、ガローの手のひらの上で踊らされるだけだろう」
銀さんも、頷いた。
「リーゼロッテの言う通りだ。……それに、私自身、答えを出さねばならない時が、近づいている気がする」
その言葉に、おれと、リーゼロッテさんは、顔を見合わせた。何かを、覚悟した声だった。
逃亡生活二十七日目、猶予の時間は、着実に減っていた。そして、その先に待つものが、単なる聖遺物の謎解きだけでは、済まされない予感を、三人はそれぞれの形で、抱き始めていた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
その日の昼、ヴェルダンの町外れに、一台の馬車が、静かに滑り込んでいたことを。
馬車から降りたのは、フードを目深に被った、恰幅のいい女性――マーサだった。
「……リリアーヌ様。あたしも、腹を括らなくちゃ、いけませんね」
マーサは、商館のある方角を見つめ、静かに、拳を握りしめた。
「あの人には、あたしの口から、ちゃんと言わなくちゃ」
因縁の当事者たちが、ついに、同じ町へと、集い始めていた。




