おれ、廃教会に到着して、先客の気配に息を潜める
◇ ◇ ◇
逃亡生活十九日目。四日間の強行軍の末、おれと銀さんは、ようやく目的地にたどり着いた。
東部の森の奥、木々の合間に、朽ちかけた石造りの建物が佇んでいる。かつては立派な教会だったのだろう、尖塔の一部が崩れ、蔦が壁面を覆い尽くしていた。
「……思ったより、雰囲気ありますね」
「怖いのか」
「怖いとは言ってません。雰囲気があるって言ったんです」
「震えているようだが」
「四日間歩き詰めで、脚が疲労で震えてるだけです」
半分嘘だった。正直、この手の「いかにも何か出そうな廃墟」は、前世含めて得意分野じゃない。ラノベは読んでも、ホラーゲームは苦手なタイプだった。
「安心しろ、幽霊の類は、聖女の権能で祓える」
「その権能、火起こしでは全然発揮されませんでしたけどね」
「話が別だ」
銀さんは、ムッとした顔で、教会の入り口へと歩みを進めた。おれは、内心びくびくしながら、その後を追った。
◇ ◇ ◇
教会の中は、外観以上に荒れ果てていた。崩れた祭壇、埃を被った長椅子、割れたステンドグラスから差し込む、色褪せた光。
「うわ、なんか、絵に描いたような廃教会ですね」
「静かにしろ。物音を立てるな」
銀さんは、腰の――そう言えばこの人、旅の間ずっと得物らしきものを持っていなかった――代わりに、床に落ちていた鉄の燭台を拾い上げ、武器代わりに構えた。
「銀さん、その燭台、武器になるんですか」
「なる。私の腕なら」
「聖女の権能で殴るんですね」
「祓うと殴るは、紙一重だ」
物騒な理屈だったが、今は突っ込む余裕もなかった。おれたちは、崩れた祭壇の奥、地下へと続く階段を見つけ、そろそろと降りていった。
◇ ◇ ◇
地下は、意外にも、比較的しっかりした造りだった。石の通路が奥へと続いており、壁には、風化した宗教画が描かれている。
「マーサさんの情報だと、この地下に、聖遺物の取引一味が潜んでるって話でしたよね」
「ああ。だが――」
銀さんが、足を止めた。
「静かすぎる」
言われて、おれも気づいた。地下通路は、しんと静まり返っている。人の気配も、荷物の気配も、何もない。
「もぬけの殻、ってやつですかね」
「あるいは、すでに移動した後か」
銀さんは、慎重に通路の奥へと進んだ。突き当りには、比較的新しく見える木箱がいくつか、放置されていた。
「これ、荷物の跡ですかね」
「調べてみるぞ」
銀さんが、木箱の一つを開けようとした、その時。
「――動くな」
通路の奥、暗闇の中から、低い声が響いた。
◇ ◇ ◇
おれと銀さんは、反射的に身を固くした。暗闇の奥から、複数の足音が近づいてくる。
「……先客、ですかね」
「間違いなく」
声のトーンからして、友好的な雰囲気ではない。おれは、無意識に拳を握った。加減、加減。この状況で本気を出したら、それはそれで面倒なことになる。
やがて、暗闇の中から、五人ほどの男たちが姿を現した。全員、粗末な武装をしているが、隙のない身のこなしだ。ただの野盗ではなさそうだった。
「見ない顔だな、坊主とお嬢ちゃん。ここが何の場所か、分かって入ってきたのか」
先頭の、リーダー格らしき大柄な男が、じろりとこちらを睨んだ。
「あの、道に迷っただけの旅人でして」
おれは、精一杯とぼけてみせた。
「道に迷った旅人が、わざわざ地下通路まで下りてくるか?」
「肝試し、みたいな」
「なるほどな」
男は、ふん、と鼻を鳴らして――それから、部下に目配せした。
「ま、理由はどうでもいい。悪いが、ここを見た以上、生きて帰すわけにはいかねえんだわ」
空気が、一気に張り詰めた。
◇ ◇ ◇
「銀さん」
「分かっている」
おれたちは、背中合わせに構えた。相手は五人。おれの力を全開にすれば、瞬時に片が付くかもしれない。だが――目撃者を作るわけにはいかない。加減が、ここでも足かせになる。
「サノ、お前は加減しろ。殺すな、大怪我もさせるな。だが、確実に無力化はしろ」
「無茶振りがすごい」
「聖女からの、有難い依頼だと思え」
男たちが、じりじりと距離を詰めてくる。おれは深呼吸をひとつして、拳を構えた。
(狼を吹っ飛ばした時の、あの十分の一……いや、百分の一くらいで)
難しい注文だ。だが、この十九日間の逃亡生活で鍛えてきた「加減」の集大成を、今、発揮する時だった。
「行くぞ、サノ」
「はい」
銀さんが、燭台を構えて、先頭に躍り出た。おれも、拳を握りしめて、その後に続いた。
――なお、このときのおれは知らなかった。
この乱闘の物音が、実は地上――教会の外にまで、かすかに響いていたことを。
そして、その物音に気づいた一人の赤毛の騎士が、馬を降り、剣を抜きながら、崩れた教会の入り口へと、静かに歩みを進めていたことを。
「……何かある。中に、誰かいるな」
リーゼロッテ・クロイツは、教会の入り口を見上げ、剣の柄を握り直した。
「サノ、リリアーヌ様……無事でいろよ」
鷹は、ついに、獲物のいる巣穴の前に立っていた。




