おれ、名簿の危機を潜り抜けて、聖遺物の手がかりを得る
◇ ◇ ◇
逃亡生活十五日目の朝。おれは日雇いの仕事を求めて、銀さんと共に商業組合の掲示板の前に立っていた。
「今日はおれが交渉します。昨日の教訓を活かして」
「不服だが、任せる」
銀さんは、昨日の値切り負け交渉を根に持たれているのが分かっているのか、素直に一歩下がった。おれは掲示板の張り紙から、比較的マシな条件のものを選んだ。
『倉庫番、一日、銅貨十二枚。身元確認あり』
「……身元確認あり、って書いてありますね」
「やめておけ。危険だ」
「ですよね」
二人で頷き合い、その張り紙は候補から外した。逃亡者にとって「身元確認」の四文字は、地雷原の看板と同義である。
結局、別の『荷馬車の積み下ろし、日当銅貨十枚、当日払い、身元不問』という求人に落ち着いた。身元不問。今のおれたちにとって、これ以上ない魔法の四文字だ。
◇ ◇ ◇
積み下ろしの仕事場は、大通りから少し外れた商会の裏手だった。既に何人かの日雇い労働者が集まっている。おれと銀さんも、その列に並んだ。
「お前ら、初めての顔だな。名前は」
監督らしき男が、帳面を片手に聞いてきた。
「サノです」
「私は――」
銀さんが名乗りかけたところで、おれは慌てて言葉を継いだ。
「妹です。銀って呼んでます」
「妹ぃ!?」
銀さんが小声で抗議してきた。おれは平然と続けた。
「兄妹で日雇いやってるんです。仲良くやってますよ」
「……ふん、まあいい。二人とも、あっちの荷馬車から頼む」
監督が離れた後、銀さんが小声で詰め寄ってきた。
「妹とは何だ、妹とは」
「咄嗟に出ただけです。他に何かいい設定ありました?」
「恋人、とか」
「そっちの方が絶対まずいでしょう。目立つし、あなたの正体的にもリスクです」
「妹も大概、私の尊厳的にリスクだが」
銀さんはぶつぶつ言いながらも、荷馬車の方へと歩いていった。おれは内心で(この兄妹設定、ミレの元カノ設定に続く、おれの逃亡人生二つ目の変な副産物だな)と思いながら、その後を追った。
◇ ◇ ◇
荷下ろしの仕事は、単純だが地味にきつかった。木箱や麻袋を、荷馬車から倉庫へ、ひたすら運ぶ。おれは加減の練習も兼ねて、慎重に、周りの労働者と同じくらいのペースで運んだ。
「兄さん、力あるね」銀さんが、わざとらしく「妹」設定に乗っかってきた。「うちの村じゃ、兄さんが一番の力自慢だったのよ」
「あなた、その設定楽しんでません?」
「案外面白いものだな、妹役」
「油断すると口調戻ってますよ、聖女様」
「しまった」
銀さんは慌てて咳払いをして、それらしい口調に戻した。この人の「妹」演技、正直かなり怪しい。だが、周りの労働者は特に気にする様子もなく、それぞれ自分の作業に集中していた。都会の日雇い現場、他人への関心は薄いらしい。ありがたい話だ。
昼過ぎ、休憩の合間に、監督が数人の労働者に声をかけているのが見えた。
「お前ら、最近この辺りで見ない顔だな。ちょっと詰め所に届け出る名簿、確認させてくれ」
心臓が、跳ねた。
名簿。昨夜のリーゼロッテさんの動きを思い出す。まさか、もう。
「おい、そこの兄妹」
監督が、こちらに近づいてきた。おれと銀さんは、反射的に顔を見合わせた。
「お前らも、名前と出身、書いてってくれ。最近、王国の騎士様が、この辺りの日雇い名簿を確認したいって話が回ってきててな」
やっぱりだ。おれの頭の中で、警報が鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
「あの、それ、必須ですか」
おれは、精一杯平静を装って聞いた。声が震えていないか、内心びくびくしながら。
「まあ、断ってもいいが……そういう奴は、次から仕事回さねえけどな」
監督は、面倒くさそうに言った。強制ではない。だが、事実上の踏み絵だ。
(どうする……ここで名前を書けば、名簿に残る。リーゼロッテさんがそれを確認すれば、一発でアウトだ)
だが、断れば、この監督に不審に思われる。日雇いの職探し自体が難しくなる可能性もある。
おれが逡巡していると、隣の銀さんが、さらりと口を開いた。
「監督さん、実はあたしたち、訳ありで。田舎で借金取りに追われてましてね。名前、書いちゃうとまずいんです」
「あー……借金持ちか。まあ、そういうのはこの町にもよくいるな」
監督は、あっさりと納得した様子だった。
「分かった、お前らは名簿なしでいい。ただし、口外はするなよ。おれも見なかったことにするから」
「ありがとうございます、恩に着ます」
銀さんは、深々と頭を下げた。おれも慌てて倣った。監督が離れていった後、おれは小声で銀さんに聞いた。
「今の、よく思いつきましたね」
「借金取りは、この手の交渉で、割と便利な言い訳でな。以前、別件で使ったことがある」
「聖女様が借金取りから逃げる嘘、板についてるのやばいですね」
「褒めるな、複雑な気分になる」
◇ ◇ ◇
夕方、無事に日当を受け取って商会を後にすると、宿の前で、誰かが待っていた。
マーサさんだった。フードを目深に被り、そわそわと辺りを見回している。
「リリアーヌ様! 良かった、いらっしゃいましたね」
「マーサ、どうした。店に近づくなと言ったはずだが」
「そうも言ってられなくなったんですよ。……手がかり、掴めました」
おれと銀さんは、思わず顔を見合わせた。
マーサさんは、辺りを警戒しながら、小さな紙片を銀さんに手渡した。
「聖遺物、この国の東部にある廃教会に、一時的に隠されているらしいという情報です。持ち出した犯人の一味が、取引相手を探して、しばらくそこに留まってるとか」
「確かな情報か」
「あたしの伝手の中でも、一番信用できる筋からです。ただし――」
マーサさんの声が、少し曇った。
「その筋、正直、あんまり褒められた連中じゃないです。裏社会に片足突っ込んでる連中で。情報料も、結構ふっかけられました」
「金なら、後で工面する」
「それより、リリアーヌ様」
マーサさんは、フードの奥から、真剣な目で銀さんを見つめた。
「この件、本当に首突っ込んで大丈夫なんですか。相手、神殿が本気で追ってるレベルの案件ですよ。あたしの伝手なんかより、もっと確かな――」
「もっと確かな、誰に頼めと言うんだ」
銀さんの声が、わずかに硬くなった。
「私が信用できるのは、お前しかいない。……昔から、変わらずにな」
その一言に、マーサさんは、何かを言いかけて、口をつぐんだ。二人の間に、おれには読み取れない、複雑な空気が流れた。
(やっぱり、何かあるんだよな、この二人)
おれは、それ以上踏み込まず、黙って様子を見守った。
◇ ◇ ◇
マーサさんが去った後、おれは紙片を覗き込む銀さんの横顔を見つめた。
「銀さん、東部の廃教会、行くんですか」
「行く。……サノ、お前も来るか」
「聞くまでもないでしょう。ここまで来て、はいさよならとはならないですよ」
「そうか」
銀さんは、少しだけ、口元を緩めた。
「明日、出発の準備をする。……お前の力、頼りにしているぞ」
「頼りにされるの、複雑な気分なんですけどね」
「それはお互い様だ」
逃亡生活十五日目、事態は、いよいよ核心へと近づき始めていた。名簿の危機は今日のところ切り抜けたが、リーゼロッテさんの捜査網は、確実にこちらへ迫っている。
――なお、このときのおれは知らなかった。
マーサが宿の前を去った直後、少し離れた路地から、その後ろ姿をじっと見つめていた人影があったことを。
リーゼロッテ・クロイツは、監督から聞き込んだ「借金取りに追われる兄妹」の話を、まだ半信半疑で反芻していた。
「……借金取り、か。名簿を拒む理由にしては、出来すぎている。真偽はともかく、探ってみる価値はありそうだな」
彼女は、フードの女――マーサ――が消えた路地の方角を、静かに見つめた。
「次は、あの女を追ってみるか」
鷹の狩場は、少しずつ、狭まってきていた。




