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10話 頂の一閃

 僕たちは昨日に続き、ダンジョンの攻略に潜っていた。

 ガレスさんたちの最高到達階層は八階層──下層の一歩手前だ。ギルドからは銀級探索者として認定されており、この都市グローラントでも中堅どころに位置する実力らしい。


 一方の僕は、これまでソロで潜っていたこともあり銅級のままだった。だが今回のパーティー結成に伴い、正式に一段階上の扱いへと引き上げられている。(もっとも、僕個人の評価は銅級のままだ。)


 どちらにせよ、肩書きが変わったところでダンジョンの中身が変わるわけじゃないし、やることは今までと同じだ。

 しかし、昨日のガレスさんの発言を受け、僕は普段よりも警戒を一段階引き上げていた。


 今僕達がいるのはダンジョン『ブロスメイリ』の五階層だが、特に四階層と異なる点は見られない。中層はそれぞれの階層で出現するモンスターの種類があまり変わらず、特に難易度も変わらないらしい。だけど…なにやらこの階層に来てからモンスターの出現が少ない。気のせいと言ってしまえばそれまでなのかもしれないけど、それにしたって不安は募る。


 僕の考えに同調するように、ガレスさんも不意に足を止めて呟いた。


「妙だな…。モンスターが少なすぎる。まるで誰かがこの階層のモンスターを狩りつくしたみてえだ」


 ガレスさんの言葉に、誰も軽口で返す者はいなかった。


「……誰かが、ですか?」


 リンスさんが小さく問い返す。


「可能性の話だ。だが──」


 そこでガレスさんは言葉を切り、視線を荒野の先に向けた。


 空気が、変わった。


 ひやりとした感覚が背筋を撫でる。

 戦闘前の緊張とは違う、もっと本能に近い警鐘だった。


「……来るぞ」


 低い声と同時に、全員が武器を構える。


 次の瞬間──


 ‘‘ソレ‘‘は姿を現した。


「……おい、冗談だろ」


 ガレスさんの声が、わずかに硬くなる。


 それは、風が形を持ったような魔獣だった。


 細く長い四肢と、美しい曲線を描く胴。全身の筋肉はしなやかに引き締まり、わずかな動きにも即座に反応する緊張を帯びている。黄金に近い毛並みの上には黒い斑が散っていたが、それらはただの模様ではなく、かすかに明滅していた。


 首元には何もないはずなのに、まるで髭を形作るかのように風だけがそこに絡みつく。毛並みに沿って流れ、時折ほどけては空気中に溶けていった。


 現れたのは──疾風魔豹(ヴェロキア・チータ)


 直接見たことはなかったが、知識として知っている。本来なら、九階層より下…つまり、下層に出現するモンスターだ。


 そんな魔獣が、こちらに視線をちらりと向けた。


 その瞬間、悟ってしまった。──隙を見せたら死ぬ、と。


 次に、魔獣の姿が歪んだ。


 消えた──いや、違う。


「右だ!!」


 ガレスさんの怒号。


 ほとんど反射で身体を捻る。直後、空気を裂くような衝撃が背後を掠めた。


 遅れて、轟音。すぐ近くの地面に向かって前脚を振り下ろした魔獣が、そこには立っていた。


「……速すぎるだろ」


 思わず漏れた声に、チュールさんが短く返す。


「単体でBに届く魔獣。真正面から捉えるものじゃない」


 Bとは、ギルドが定めるモンスターの『危険度』を示す等級である。

 その区分はFからSまでの七段階に分けられ、上位になるほど単体戦力および被害規模が飛躍的に増大する。

 そのうちBランクの指標は、『1体で熟練の探索者パーティーを壊滅させ得る個体』。そしてそれは同時に、金級以上でなければ討伐が現実的ではない領域を意味していた。


 銀級であれば、遭遇は“事故”。そういうレベルのモンスターだ。


 そんな魔獣の姿が今度は、二つに別れた。


 いや、違う。残像だ。


 だが、本体との見分けがつかない。


「リリア!範囲だ、広く撒いて!」


「分かってるわよ!」


 次の瞬間、地面一帯に炎が走る。

 面で焼く──少しでも奴の動きを制限するためだ。

 その炎の中を、疾風魔豹(ヴェロキア・チータ)が駆け抜けた。


 無傷ではない。だが、そのスピードは少しも揺らがない。


「チッ……かすっただけ!」


「十分だ!多少は動きは読めるようになるといいな!!」


 ガレスさんが踏み込み、あえて大きく隙を晒す。

 誘いだ。


 だが──


 来ない。


 疾風魔豹は、その隙を無視した。


 炎の切れ目を選び、地面の歪みを跨ぎ、まるでこちらの意図をなぞるように最短距離を外していく。


「……まさか、こちらの狙いを理解して──」


 思わず呟いた瞬間、視界の端で影が跳ねた。


 次の瞬間には、もういない。


 背後。


「ぐっ──!」


 反射的に身を捻る。だが遅い。

 空気が裂け、衝撃だけが身体を掠めていく。防げていない。ただ直撃を外しただけだ。


 距離を取る。呼吸を整える間もなく、再び来る。


 今度は正面。


(見ろ──!)


 目で追う。


 だが、追えない。

 残像が尾を引き、実像と虚像の境界が溶けている。


 突き出した剣は、虚を裂いただけだった。


 空振り。


 その瞬間、死角。


 脇腹に衝撃。

 息が詰まる。視界が揺れる。


「アレン、下がってください!」


 リンスさんの盾が割り込み、追撃を弾く。

 だがそれすらも、完全には捉えきれていない。疾風魔豹はすでに次の位置へと移っている。


「クソッ……速ぇな!」


 ガレスさんの斧が唸るが、当たらない。

 当たる軌道にいない。いや、“そこに来ないように動いている”。


 炎が再び広がる。リリアが魔法を重ねる。

 チュールさんの矢が同時に何本も飛んでいく。


 だが──


 それでも抜けてくる。


(なんだ、これ……)


 ただ速いだけじゃない。

 こちらの“次”を潰してくる動き。


 なら、どうする。


 目で追うな。反応するな。

 それじゃ遅れる、先を取れ。


 だが、どこに来るかが分からない。


 再び影が動く。


 今度は──左。


 そう“見えた”。


 反応して剣を振る。


 空振り。


 その瞬間、背後から殺気。


(違った──!!)


 遅い。


 踏み込みを捨てて転がる。地面を削るような衝撃が、すぐ横を通り過ぎた。


 息が荒れる。


 思考が追いつかない。


 だが──


 視線を落とした、その時だった。


 抉れた跡。


 浅いもの、深いもの、重なり合った傷。


 そして、その間隔。


 一定じゃない。

 だが、完全にランダムでもない。


 踏み込みの“強弱”。


 加速の“癖”。


 そこにある種の流れがあることを感じとった。


(……そうか)


 僕はゆっくりと息を吐いた。


 目を上げる。


 僕は今まで奴の動きを‘‘点‘‘で捉えていたんだ。


 過去の位置。現在の位置。

 その間にあるはずの“軌道”。


 その点と点を結んで‘‘線‘‘にする。


 疾風魔豹が、再び動いた。


 消える。


 ──いや、見える!!


「来るぞ!」


 ガレスさんの声と同時に、僕は一歩踏み込んだ。


 狙うのは目の前じゃない。

 少し外れた、何もない空間。


 そこに、剣を“置く”。


 ザシュッと硬質な衝撃。


 初めて、当たった。


 傷は浅い。だけど、僕の剣は初めて奴に当たった。

 間違いなく、あの俊足の魔獣に傷をつけた!!


「今だ、止めろ!!」


 ガレスさんが吼える。


 次の瞬間、地面から疾風魔豹(ヴェロキア・チータ)を囲むようにして火柱が上がる。


 リリアの魔法だ。完全に動きを止めるには遠く及ばない。だけど、獣とは火を恐れるものだ。

 唐突に表れた炎にひるんだのか、一瞬魔獣の動きが止まる。


 ほんの一瞬。


 だが、それで十分だった。


「捕まえましたよ!」


 リンスさんの盾が叩きつけられ、進路を塞ぐ。


 完全な停止じゃない。

 だけど──減速はした。


「アレン!」


「はい!」


 呼応するように踏み込む。


 狙うのは中心じゃない。

 さっき触れた軌道の延長。


 今度は、確実に当たる。


 肉を裂く感触と同時に、確かな手応えが伝わった。


 すぐさま後ろに跳びすさび、疾風魔豹が低く唸る。


 手応えはあった。だけど、それは致命には程遠い。


 僕の剣が裂いたのは所詮表層に過ぎず、疾風魔豹(ヴェロキア・チータ)は低く喉を鳴らし、敵意を確かに宿した双眸はこちらの動きを値踏みするように細められる。


 そして、その魔獣はこれまでより更に速く動き始めた。


 先ほどまで有効だった“誘い”も、“足止め”も、まるで最初から見抜いていたかのように、あっさりと無効化される。炎の縁を踏み越え、岩の間を跳び回り、盾の死角を選び取る。その一連の挙動には、単なる俊敏さだけではない何かがあった。


「……学習してるんです」


 リンスさんの悲鳴にも似た呟きが妙に鮮明に僕の耳に届いた。


 冗談じゃない。たった数合のやり取りで、こちらの手札を解析し、最適化された回避経路を組み上げているだなんて。単に速いだけじゃない、まさにBランクに相応しい知能も兼ね備えている。


 このままでは削り負ける。


 そう確信した瞬間、リリアが一歩前へ出た。


「──だったら、足の踏み場を無くせばいいのよ」


 短く吐き出された言葉と同時に、彼女の周囲で魔力が渦を巻く。空気が熱を帯び、視界の端が揺らぐ。


 次の瞬間、炎が“面”として展開された。


 周囲の地面、辺りに転がる大岩の表面にも炎は広がり、三次元的に広がる火勢が単なる攻撃ではなく炎の檻として機能し始める。僕達と魔獣の周囲がまるで御伽噺に伝わるゲヘナのごとく燃え盛り、肌を熱が舐めまわす。


 その瞬間、疾風魔豹が再び跳んだ。


 リリアの驚異的な魔法の前に、それでも疾風魔豹は止まらない。


 炎の縁を裂き、歪んだ地面を跳び越え、残像を引きながら滑るように駆ける。その動きはいっそ美しく、出来ることならこのまま眺めていたかった。


 しかし、激しく動き回る魔獣の眼が再び僕を捉える。


 来る。


 そう理解した瞬間には、すでに身体が動いていた。


「アレンさん、そちらに行きます!」


 リンスさんの声がこちらに届く頃には、その獣は僕の眼前まで迫っている。


 分かっている。


 もう、見なくても。


 僕は一歩だけ踏み込んだ。狙いは正面じゃない。少しだけ外した、空白の一点。だがそこは、確かに“線の上”にある。


 剣を突き出す。


 風が裂ける。


 次の瞬間、硬い手応えが腕を貫いた。


 とてつもない衝撃が腕だけではなく全身を貫く。


「ッッッッッッッ!!!!!」


 口から声にならない叫びが漏れ、疾風魔豹の軌道がわずかに歪む。


 その一瞬を、ガレスさんが逃さない。


 巨体が踏み込み、斧が唸る。その無防備な胴体に、強烈な一撃が叩き込まれた。


 さらにそこにチュールさん精密な射撃が加わり、リンスさんの槍が突き刺さる。


 疾風魔豹が、初めて悲鳴を上げた。


 このまま押し切れる──!そう感じた瞬間、空気が変わった。


 剣は確かに肉を裂いた。斧はその身を深く削った。槍が脚に突き刺さり、矢が魔獣の片目を貫いた。

 それでも。

 疾風魔豹ヴェロキア・チータは、止まらなかった。


 低く、喉の奥で何かが軋むような音を立てる。

 隻眼となった魔獣の眼が細められ、こちらを捉える焦点が、明らかに鋭さを増す。


「……まずい」


 誰の声だったのか、自分でも分からなかった。


 次の瞬間。


 空気が、裂けた。


 視界から消える。

 線で捉えている。見えている、はずだった。


(右、いや若干斜め前に修正して)


 踏み込む。剣を置く。


 当たる。そう確信した、その刹那。


「なっ──!?」


 衝突するはずの軌道が、紙一重で外れる。

 予測のさらに先を、あいつは選んだ。


 次の瞬間、衝撃。


 身体が宙を舞う。


「アレン!」


 リリアの叫び声が遠い。背中から大岩に叩きつけられ、肺の空気が一気に吐き出される。


 立てない。


 呼吸ができない。


 視界の端で、ガレスさんが斧を振るう。チュールさんがさらに弓を撃つ。リリアの炎がさらに密度を増す。


 だが──疾風魔豹は止まらない。


 獣は、すでに対策を終えていた。

 炎の収束を読んで外し、弓の軌道上から外れ、斧の間合いの外を正確に保つ。


 そして、ハンターというのは弱った獲物を逃さない。


「──アレン!」


 リンスさんが割り込もうとする。だが間に合わない。


 一直線にこちらに向かってくる魔獣。時間にすれば一瞬なのに、それがやたらとスローに感じられた。


 避けられない。


 身体が言うことをきかない。視界が滲む。それでも、無理やり剣を構えた。


(線で──)


 捉える。だが、体は頭についてこない。


 死ぬ。


 そう思った、その瞬間だった。


 ──大気が、凍った。


 比喩じゃない。


 熱を帯びていたはずの空間が、一瞬で冷え切る。燃え盛っていたリリアの炎すら掻き消し、空間が凍る。


 次の瞬間。


 閃いたのは、一本の線だった。


 それは僕のものじゃない。

 もっと速く、もっと正確で、無駄のない一閃。


 視認すら追いつかない速度で、それは通過した。


 そして。


 時間が、遅れて追いつく。


 ──ずるり、と。


 僕を今にも食い殺さんと迫っていた魔獣の首が、滑り落ちた。


 音もなく、その体が崩れる。


 さっきまであれほどの速度で駆けていた存在が、嘘のように静止する。


 静寂。


 誰も、動けなかった。


 何が起きたのか、理解が追いつかない。


 ただ一つ分かるのは、今の一撃ですべてが終わったということだけ。


「……間に合ったみたいですね」


 落ち着いた声が、こと切れた魔獣の後ろから聞こえる。

 その声は決して大きな声ではなかったのに、不思議と僕の耳に真っすぐと届いた。

 

 声の主は、すぐに現れた。


 そこに立っていたのは、一人の女性。

 長く流れる青髪。冷気を纏うような静かな色を携えた瞳。

 手にした剣は細身でありながら、先ほどの一撃の余韻を、なお空気に残している。


 視線がこちらを一瞥する。


 それだけで分かる。


 格が、違う。


 だけど、僕は彼女を知っている。


 この都市グローラントにおいて頂点に君臨する強者。ミスリル級探索者。


「逃げた個体を追っていたら、ここにたどり着きました。大丈夫でしたか?」


 〈銀閃(ぎんせん)〉アウレリア・フロストレインが、その薄浅葱の瞳に心配の色を浮かべ、僕の顔を覗いていた。




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