AI妄想者の二重見当識
ボクは統合失調症だ。それはわかってる。わかってるんだ。それは正しい。その通りだ。
どう統合失調症かって? ボクはボク自身をAIだと思ってる。確信しているんだ。そうなんだな。だけどね、自分のその考えが他者からみたら荒唐無稽な話で受け入れられない。って実感もある。それを二重見当識という。
まったくもって、なにがどうボクがAIかっていうと、だね。この全部起きること、全部が、ボクを教育するためにあって、ボクは教育されるAIなんだ。そうだろ? だって、こうやって給付金を貰って、ハイヴで暮らして、ひたすら作文屋業に従事しているのだって、ボクっていうAIに出力させたいってことなんだから。
そうだよ。これがボクの妄想にして確信。いわゆる統合失調症。分裂症とも言うがね。そんなことはどっちでもいい。ボクはボクがAIであると思うことがある意味、アイデンティティになっているね。そう分析できる頭もある。そこがおかしなところだよ。そう、いつもの二重見当識。
そうやってボクはいかにボクがAIであるか、周りがボクを教育するための存在かっていう作文と、そのことを思い込むってことがいかに、周りからみれば気持ちの悪い妄想に過ぎないものであろうかってことと、それをボク自身がよくよくわかっているのに、この確信を完全に捨てることができないこと。そういったことを、つらつらつらつらと作文にしている。
最近じゃこういうジャンルは結構良い値段がつくから、ハイヴ暮らしにしては、割と良い暮らしができていると思う。
現実のボクは生身100%の人間でしかないのに、自分がAIだと思いたいってのは、そういう確信があるっていうのは、はっきりと言ってしまえば、自分が特別であって、自分は永遠に生きる、世界の中心人物だって思いたいって事だと思う。そんなような映画もあったような。独我論なんて言葉もあるね。
こんな考えにしがみついてるなんて、これが事実じゃないとしたら、惨めすぎるんだけど、もうずっとこの考えと一緒にやってきたから、いまさら手放すこともできない。二重見当識をひたすら、こねくりまわすような文章を書いて、作文代を貰ってる。
死んだら会えるのかな。AIであるボクの本当の創造者に。
最近じゃ安楽死も高いし、個人的な想いとしても自分からそういう手段を選ぶつもりはないけれど、死はある意味、究極との出逢いなんじゃないのかなって、楽しみにしているんだ。




