壺
さて、色々あったが、
ようやく酒場の経営に集中できるな。
今夜も下弦の蒼い月が東の空に昇る。
今夜はどんな客の人生との出会いが待っているのやら。
思いにふけっていると、その時は開店と同時にやって来た。
からん。
ドアベルの乾いた音がした。
開店後まもなくの事である。
早い時間にやって来る客は、
大抵が面倒くさい事情を抱えている事が多い。
アランの旦那の様に、すでに酔っぱらっていたり、
奥さんが浮気しているのではと延々と愚痴を言われたり、
旦那が最近冷たくなって構ってくれなくなった等々。
実に俺好みの人生模様を覗ける客が多い。
「いらっしゃいませ・・・」
ところが、この日やってきたのは、
そのような期待のできる客ではなかった。
「・・・あの、お酒を売って欲しいんです」
そこには緑色の長い髪を三つ編みに結っている少女が立っていた。
チロルやリーネよりも少しだけ幼く見える。
この街では、酒を買うのは酒屋であり、
酒場では飲食用の酒類の提供はするが、
酒類の小売りは法的に認められていない。
「ああ、ごめんね。ウチは酒類の小売りは・・・」
そう言いかけたところで、
幾つもの奇妙な点に気が付いた。
その少女は実にみすぼらしい恰好をしていた。
グレーの服は汚れやシミで出来た色合いであり、
元の色が何だったのかさえ分からない。
所々ツギハギで補修されており、
とても裕福な家庭環境にあるとは思えない。
だが、少女の眼には力強さがあった。
初見でそれに気が付けなかったのは、
その眼に宿る力強さに気をとられたからだ。
そしてもうひとつ。
少女が手にしている酒瓶だ。
持ち込んだ酒瓶に量り売りが安いのは、
こちらの世界でも同じ事だ。
その酒瓶を見てしまった俺は、
少女に酒の販売を断れなくなってしまう。
「何のお酒がいいのかな。お父さんからのお使いかい?」
大事そうに酒瓶を抱える少女にそっと語り掛ける。
初めて訪れる場末の酒場。
まだ幼さが残る少女にとって居心地の良い所ではないだろう。
微かに震える手がそれを証明している。
少女が抱えている酒瓶は陶器製だった。
この世界にも陶器製の酒瓶は存在しているが、
少女が手にしているものとは、造りやカタチは大分違っている。
それになによりその陶器には日本語で
「むぎ焼酎二階堂吉四六吉四六」と書かれていた。
この世界にあるはずのないものを持っている。
少女の話を聞くだけの理由がそこにあった。
「えっと・・・お父さんじゃなくて、お母さんが・・・」
「ごめんごめん。それでお酒はそれと同じでいいのかい?」
「いつもの酒屋さんがお休みで・・・何を詰めてもらっているのかくれるのか分からないんです」
陶器ボトルの「吉四六吉四六」は「壺」と呼ばれている。
直接絵付けされている陶器は、ひつとひつとが職人による手書きであり、
世の中に全く同じものは存在していない。
少女の持つ陶器ボトルは、よく見れば幾筋の入がある。
相当に使いこまれた感のある代物だ。
こんなものを少女に渡せた人物に思い当たる節があるとすれば、
異世界広しと言えど爺ちゃん以外ありえない。
爺ちゃんは貧しい子供達には寛容だった。
酒場の売れ残りだと言っては、
販売用のパンやビスケットを紙袋に入れて渡していた。
こんな少女が酒を買いたいといえば、
ボトル1本くらい渡していても不思議ではない。
だが、あの陶器ボトルをそのまま手渡すなんて事があるだろうか。
普段から、地球から持ち込む物に五月蠅かった爺ちゃん。
「その油断が身を亡ぼす事になる」
なんて口癖のように言っていた。
アリサのような地球人がこの世界にいるって事を、
爺ちゃんが知らなかったはずがない。
アリサに爺ちゃんを知っていのかと聞いたところ、
名前だけは知っていたと、目を泳がせながらそう答えるのだが、
俺の知らない爺ちゃんがいるような気がして、
その時は深く聞く事が出来なかった。
だが、俺はこの少女の事は知らなかった。
そんな爺ちゃんが、日本語全開の吉四六を渡すほど、
わきが甘いとは思えない。
「・・・それでこれしかお金がないの」
開いた少女の掌には、緑青が吹いた銅貨が3枚。
「よし、それなら丁度いいのがある」
俺は封が切られていない吉四六の壺を少女に手渡した。
「そうだ、お兄さんはこの古いボトルを探していてね。そこで相談なんだけど、そのボトルとこの新品のボトルと交換って言うのはどうだろうね」
「えっ、新しいのと交換してくれるの?」
「ああ、もちろんキミが良ければなんだけど」
「・・・でも」
明らかに少女は戸惑っている。
古いボトルには値が付く場合があるが、
それはこの世界で名の知れたワインやウイスキーのビンテージ物であり、
少女が持つ陶器ボトルは、ただの骨とう品の評価しか値がつかないだろう。
それに大きな入のあるボトルなど、
二束三文どころか処分料がかかるかもしれない。
「お兄さんは職業柄古い酒瓶を収集しているんだ。なんならこのオレンジも付けるどどうかな?」
カクテル用に仕入れていた紙袋から、
瑞々しいオレンジを取り出すと、
少女はコクリと頷いた。
俺は布製の手提げ袋に、
吉四六と詰められるだけルオレンジ、
そして隠す様にサンドイッチを入れ手渡すと、
申し訳なさそうに少女は夜の帳に消えていく。
やれやれ。
俺が面倒くさそうにボリボリと頭を掻くのは、
あの少女の境遇を案じたからではない。
「悪いけど頼めるか?」
「・・・わかった」
チロルが音を立てずに夜の闇に消えていく。
またチロルを残業させてしまうが、
このままあの少女・・・というか、
爺ちゃんの手掛かりを放置するわけにはいかなかった。
「・・・まさかこれが世の中に出回っているなんてな」
魔素をまったく纏っていない陶器ボトル。
意図的なのか、
偶然なのか。
俺の頭脳では、
この難解すぎるとんちを、
そう簡単に解き明かす事ができない。




