アンネリーネ・ギルダー
私が覚えている最も古い記憶。
それは幼い頃初めて父と会った時、
私に向けられた表情だ。
それは喜びでも安寧でもない。
嫌悪や恐怖で支配されたものだった。
幼かった私でさえ、駆け寄る足を止めこう考える。
・・・近寄ってはいけないんだ。
歓迎されていないのだと理解する事が出来たからだ。
それからの私の記憶は、
屋敷で与えられた部屋で、
メイドのモリスと家庭教師のスー、
そして父上の伝言を伝える執事のウェスリー。
この3人との生活が続いていった。
だから私の友達はいつも本の中のいた。
食べるものや着るものに不自由した事はない。
そして部屋にはたくさんの本で満たされていた。
外出することだけは厳しく制限されていたけど、
本はいつでも自由に与えてくれた。
いつか白馬に乗った王子様が、
この閉ざさせた世界から助けに来てくれる!
なんて都合の良い事は考えた事がない。
今日殺されなくて良かったと、
自分の置かれた状況と切実に向き合っていた。
この状況を理解できたのは、
家庭教師のスーがいたからだ。
スーは何か目的があって、
ギルダー商会に潜入したと言っていた。
そんな秘密を私に明かしたのは、
互いの利害が一致しているからだ。
私は外の世界の情報を。
スーは私の能力を利用する事。
なぜスーが私の能力を知っていたのか。
それは今でも分からない。
けれど、世の中には私の様にとんでもない能力を手に入れた、
人が沢山いるのかもしれない。
そう考えて私はその理由に蓋をした。
それ以上にスーが私に教えてくれる、
外の世界の魅力には勝てなかったのだ。
そして、スーとの奇妙な共同戦線は、
誰にも知られずにずっと続いていく・・・はずだった。
ある日、執事のウェスリーが慌てた様子で部屋に入ってきた。
今ぐここから別の場所に移動するらしい。
身支度はいいから大至急ということなので狼狽えていると、
メイドのモリスが有無を言わさず私に目隠をした。
状況はよくわからなかったけど、
初めて部屋の外に出られると喜んだのに、
外の世界をこの目で見れないらしい。
それはとても悲しい事だった。
スーに相談したかったけれど、
その日はまだ私の部屋に来ていない。
目隠しされたまま、私は鳥籠のような部屋を出だ。
だから初めて外に出れて事になんの感情も生まれない。
馬車に乗せられた事はなんとなくわかったけれど、
揺られる事1時間あまり、
私は馬車の中で意識を失う事になる。
目が覚めた時、私は自分の部屋のベットにいた。
なにか悪い夢を見ていたのだろうか。
私はそう自分に言い聞かせて、
再び目を閉じると夢の世界へ逃げ出した。
―――次に目が覚めれば元通りになっているはず。
私の想いとは裏腹に、綻びが出たのは、
いつものようにメイドのモリスが朝食を持って、
私の部屋にやって来た時だった。
私はいつもとは違う異質な雰囲気を感じ取る。
目の前にいるモリスの様子がおかしい。
見た目はモリスそのものなのだが、
いつもの穏やかな波長とは違い、
なにか得体の知れない波長を感じてしまったのだ。
波長と言うのは、多くの人が持つ、
自分の魔素が発する波の事だ。
私はそれを色がついた虹のように視覚で感じ取ることが出来る。
それが当たり前ではないという事は、
家庭教師のスーが教えてくれた。
いつもは緑掛った春色の波長なのに、
この日は紫がかった黒に近い色をしていた。
私は見たことが無かったけれど、
アンデットや魔物など、
闇に存在するものがこのような波長だと、
以前読んだ本に書いてあった。
「・・・ひっ」
思わず漏れ出た声に、
ギロリとモリスが睨み返す。
やはり目の前にいるのは、
いつものモリスじゃないんだって、
疑惑が確信へと変わっていった。
睨まれた私は、一歩も動く事が出来なかった。
動くどころか、瞬きも息をする事も出来なかったかもしれない。
とにかく今まで感じた事のない恐怖に絶望していると、
その間に、すっと入り込んでくれたのはスーだった。
華奢で分厚いレンズの眼鏡をかけていたスーが、
眼鏡を投げ捨て、髪をまとめていたリボンを解いていくと、
幻影の様にカラダが歪んでいった。
(・・・スー?)
何が起こっているのか分からなかった。
けれど、スーが立っていたその場所には、
褐色の肌に山羊の様な角を生やした、
異形の姿をしたものが存在していた。
後ろ姿ではあったが、出るところは出て、
引っ込むところはきゅっとくびれている。
どうみても成熟した女性である。
肌の色も、頭の角も、スーとは異なる風貌だけど、
私にはひと目でその女性がスーだと理解する事が出来た。
明確な理由はわからない。
けれど、物心つく前から常に一緒にいたのだ。
家庭教師という枠を超え、
スーの存在は私にと釣って、
友達であり姉であり母である。
そんな最愛の存在を見間違えることはない。
『いいアンネリーネ、何があっても私を信じて』
スーは異国の言葉でそう私に言った。
それはもしもの為にと、
この国の公用語である大陸語の他に、
とある異国の言語を教えてくれていたのだ。
この部屋の篭の鳥である私には、
時間だけは沢山あった。
『もちろんあなたを信じるわ!』
私はそう答えた。
ふたりが使用した言語。
それが「にほん語」だった。
それからの日々は最低最悪だった。
それまでの幽閉生活も最底辺の環境だったけれど、
そんなことが霞んでしまうくらい。
スーを信じてからの日々は思い出したくもない。
スーは自分の事を「魔族」であると教えてくれた。
そして、あの日私たちに現われたモリスは、
魔族の世界でも、最上級ランクの存在らしい。
名前は「リリス」と言っていた。
今のモリスの状態は、
魔族のリリスに精神支配されているのだとか。
だからモリスを拘束しても、リリスを捕まえる事は出来ないし、
それ以前にスーの力では、リリスに対抗する事は難しいらしい。
スーは私の命を保証する代わり、
私の能力の提供を交渉材料とした。
リリスがなぜギルダー商会に目を付けたのかはわからない。
けれど、私の能力の存在を知り、
この屋敷に潜入してきたのだろう。
スーの提案はあっさりリリスは認める所となった。
格下ではあるが、
同じ魔族同士での得物の取り合いはご法度だ。
なんてことを交渉材料にしたと、
後にスーから聞いたのだけど、
スーの本当の目的も私の能力だったらしい。
少しだけムッとした事は秘密にしておこう。
私はそんなリリスに命じられ、
屋敷に捕らえられてきた人々の、
魔素を吸収して、ある人物にその魔素を注ぎ込むという、
人として絶対にやってはいけない事を命じられた。
一度でいいからこの部屋を出で見たい。
そんなささやかな私の願いは、
こんな形で叶う事が出来たけど、
正直、こんなことになるくらいなら、
一生あの部屋から出ない方がマシだった。
1日の中で、何千何万とそんな事を考えていた。
魔素を吸収される人がどこから連れてこられたのか。
それは一切分からない。
けれど、知ればきっと私は壊れてしまう。
いや、もう壊れてしまっているのかもしれない。
いつしか私は四六時中笑っているようになった。
もちろん楽しいからではない。
面白いからではない。
絶望の深淵に立ち竦めば、
誰だって壊れるはずだ。
ギリギリの線で私を深淵の底に落ちなかったのは、
スーが「信じろ」と言ってくれたから。
それが私に残された唯一の命綱。
私の集めた魔素を注がれていたのは、
執事のウェスリー。
モリスと同じように、
あの日からウェスリーの中身は、
彼ではなくなっていた。
ある日、高ランクの冒険者を捕まえたと、
リリスは嬉しそうにしていた。
それを見たスーは、鍛え上げられた屈強な魂ならば、
魔素を吸収した後、回復させて再度搾取しようと提案した。
確かに、いままで吸収したどの人より、
多くの魔素を吸収する事が出来た。
それをウェスリーだった人のカタチをした器に注ぎ込むと、
その器は、黒と赤褐色のまだら模様の大男に変化した。
その大男は、ダンダリオンと名乗っていたけど、
正直、とんでもない化け物を生み出した罪悪感で、
舌を噛み切りたくなった。
そして本当に舌を噛み切った。
気が付いたスーによって、
即座に回復魔法をかけられる。
信じたい気持ちはあるのだけれど、
その時は死にたいという気持ちに押しつぶされた。
「えへへへっ」
私は笑う事しか出来なくなった。
笑っていると、魔素を吸い取られる人たちは、
私と目を合わせなくなるに気が付いた。
それはとても都合が良かった。
そうか。
笑ってさえいれば、
私はこの人たちから許されるのかもしれない。
例え神様が許してくれなくても。
ある日、牢屋の中に、
初めて見る種族の女性がいた。
長い耳と透き通るようなプラチナ色の髪。
きっと本の中で読んだエルフ族だと確信した。
その美しさに私はどうしても助けたくなった。
『・・・殺したくない』
スーにだけ伝わるように話すと、
スーは小さく頷いてくれた。
「あら、力加減を間違えてしまいましたか・・・」
私が魔素の吸収のコントロールに失敗して、
小さな子供になったと、リリスの部下に説明してくれた。
おかげで私は思い切り足蹴りされたけれど、
この人を救えるのならば痛いくらいなんでもなかった。
そして小さくなったエルフは、
モリスに代わって、私付きのメイドになった。
それがクラリッサと私の出会い。
ダンダリオンへの魔素注入が順調となると、
リリスは私たちに幾分寛容になった。
食事の質も着ている衣装も十分なものを与えてくれるし、
休憩時間もたっぷり用意してくれた。
けれど、スーとクラリッサと私たちは、
部屋からの外出は禁止されている。
どうやって脱出しようかと、
色々話し合ってみたものの、
なかなかいい考えが出てこない。
そんな時、あいつはやって来た。
「ひとーつ。人の世の生血をすすりぃ。ふたーつ。不埒な悪行三昧ぃ。みぃーつぅ。醜い性犯罪者を、退治てくれようバーテンダー!」
言ってる事はちょっとよくわからなかったが、
それより驚く事があった。
部屋に押し入った怪しげな男。
それはリリスより、
ダンダリオンより、
巨大で凶悪な魔素を抱えていたからだ。
で、結局私はその人に助けられた。
白馬に乗った王子様を夢見たことはあるが、
変なセリフを言いながら人の部屋に押し込む人から、
助けてもらうって事は想像すらした事がなかった。
これが私と変な人とのファーストコンタクト。
命の恩人には、女の子は恋をするというのは、
いままで読んだ恋愛小説では定番なんだ。
私も月並みにそうなのかもしれないと、
最近になって心の中でそう思い始めている。
ごめんね、といいたい友達がいるけど、
友情と愛情は別物だってことは、
本から沢山教わっている。
だから、私はいつも関係ない。
気にしないって笑っているけど、
決めなくちゃいけない時は私は一切躊躇わない。
これは私の宣戦布告だ。
でもあなたの事も大好きだから、
明日も仲良くしてほしい。
親愛なるチロルへ。
PS
まだ能力で秘密にしていることがあるんだけど、
私の事が好きになったら教えてあげるね。




