契約
この店に魔族がいれば、
チロルじゃなくても敵と判断するだろう。
まぁ、カウンターでドリンク飲んでる状況だったけどね。
実際、須崎アリサと名乗る女魔族は、
アンネリーネの監視役であり、
間違いなく敵側の存在だ。
けれど、クラリッサを助けたのはこの女魔族であり、
その理由が「女性が搾取されるってのは可哀そうじゃん」
という極めて人情臭いものだった。
見た目こそ恐ろしい風貌だが、
中身は普通の女性と変わらない。
まだ出会って数時間であるが、
俺はこの女魔族がどうしても敵には思えなかった。
店の玄関は施錠してある。
チロルならば酒場の扉の開錠など朝飯前だろうし、
飲食店の扉は合鍵を渡してある。
どちろからやってくるにしても、
状況を説明する前にこうなるだろうって事も予想できた。
不貞腐れている様子のチロルであるが、
「待て」と言われればきちんと従ってくれる。
なんて素直ないい子だろう。
はっ、まてよ。
「待て」が上手であれば、
あんなことやこんなことをしても、
じっと耐えてくれるという事か!?
まさにそれは憧れの放置プレ・・・ごほん。
失礼、脱線いたしました。
さて、チロルが帰ってきたとい事は、
そろそろギルドのお偉いさん達もやって来るという事か。
クラリッサは見た目こそ変わってしまったが、
ギルドへ保護を求めても問題ないと思うが、
アンネリーネはどうだろう。
失踪事件の中心人物だとしても、
ギルダー商会長も生きているとは思えないし、
アンネリーネが被害者である事をどう証明するのか。
ここで唯一の証人は女魔族だが、
そもそも魔族が証人などありえない。
女魔族こそギルドに捕まれば、
無事に済むはずがない。
それにアンネリーネの固定能力が知られれば、
ギルド、いやライムバッハ公爵、フォルクバルツ王国だって黙ってない。
この一連の事件がアンネリーネが中心人物だということを、
ギルドは承知していなかったはずだ。
アンネリーネの存在を、ギルダー商会が一存で隠し得ていたことからも、
その能力が知られていなかったことがわかる。
それだけアンネリーネの固有能力は、
使い方次第で危険極まりない能力なのだ。
「チロル。不満はわかるが今から1時間、ここで留守番頼めるか?」
「・・・わかった」
「よし、それじゃ今から隠れ家に移動する。クラリッサさんはどうしますか?」
「とりあえず私も連れて行ってもらえるかしら。この姿じゃ、仲間を探したくても探せないもの」
「お仲間の事はバッケルさんに頼んでいきましょう。なぁ、チロル」
チロルはコクリと頷いて見せる。
「アンネリーネもひとまず身を隠すって事でいいか?」
「はい、私は構いません」
「女魔族は?」
舌打ちをするところを見ると、
女魔族と呼ばれる事を良しとしていない様子だ。
本人の申告通り、彼女が日本人であったちとたも、
この姿で日本に連れ帰る訳にはいかない。
「まずはアンネリーネ、この扉を開けてみてくれ」
厨房の奥にある裏口。
これが日本の爺ちゃん家に繋がる扉だ。
だがこの扉。
BAR月に吠えるの関係者以外にはただの扉でしかない。
「・・・裏通り。真っ暗ですね」
「ああ、ただの裏口だからな」
普段は業者の配達なんかに使用したいる。
「ここから出ていけってことなの?」
意図を読めないクラリッサがそう答える。
「お前ら3人。今からウチの店の従業員にならないか?」
「「「 ・・・はっ? 」」」
「この扉は従業員専用なんだ。まぁ、従業員といっても、こここで働けと言ってるわけじゃない。魔法で雇用契約を結んでくれればいいだけだよ」
「雇用契約?隷属契約の間違いじゃないのか?」
女魔族は俺が彼女たちを、
奴隷になるなら逃がしてやると勘違いしている。
「しょうがないな、これでも信じられないか?」
俺が扉を開けると、
薄暗い畳の部屋が現れる。
あちらの世界も今は夜中なのだが、
月明かりが古い和室を照らしている。
壁に掛る古時計の音だけが部屋の中で騒がしい。
『・・・嘘でしょ』
『嘘じゃない。扉の向こうは紛れもなく日本だ』
女魔族は吸い込まれる様に、
扉を潜り抜けると何十年かぶりに畳の感触を足の裏で噛み締めた。
そのまま爺ちゃん家を飛び出すんじゃないかと心配したが、
地球に魔素は存在しない。
魔族は魔素の無い世界では生きられないと聞いたことがある。
体内の魔素だけで。魔族が生き延びることは出来ない。
つまり、このまま爺ちゃん家に隠れ住むことが出来ない訳で、
少しの間だけ身を隠すだけの対処療法だ。
だが、それでも俺の許可なく爺ちゃん家に足を踏み入れるのはいただけない。
爺ちゃん家に立ち入れるのは従業員のみ。
ここは経営者としての威厳を示さなければならない。
「おい、なに勝手に・・・」
俺はそれ以上言葉を発する事が出来なかった。
女魔族は音もなく大量の涙を流していたからだ。
「・・・あれ。なんでお前入れるんだ?」
女魔族は雇用契約を締結する前、
裏口の扉から日本に世界を飛び越えた。
「じゅあ、私も」
と、アンネリーネが続こうとするが、
目の前に広がる爺ちゃんの家ではなく、
するりと裏路地へとカラダがすり抜けてしまう。
「契約前はあっちの世界には行けないんだよな」
俺も詳しくは分からない。
元々この扉を行き来できるのは、
爺ちゃんと婆ちゃん、そして俺の三人だけだと思っていた。
チロルがあんな呪いがあると知った爺ちゃんが、
魔法による雇用契約を締結した者は、
俺達と同じく行き来できると、
その時初めて知らされたのだ。
まぁ、仮にこの店を誰かに乗っ取られても、
裏口の秘密は誰にもわからないって仕組のようだ。
「・・・まずいな、あと3分でおっかない人たちが来る」
「えっ、早く契約してください!」
「クラリッサさんもそれでいいか?」
「異存はありません」
契約の術式は簡単だ。
血を一滴とか髪の毛が媒体になるなんて面倒な事はいらない。
俺が相手と手を握り「承認するか」と質問するだけ。
相手が「承認する」と同意するだけでよい。
契約はどちらか一方が「破棄する」と宣言するだけのお手軽魔法だ。
受けられる恩恵は、酒場月に吠えるの裏口から、
爺ちゃん自宅兼社員寮への通行権。
「雇用契約実行、承認するか」
「「 承認します 」」
ふたりの手を握り、
契約魔法はあっという間に締結される。
「おい、女魔族。お前も契約しておくか?」
「・・・ああ」
上の空の返事ではあるが、
その表情は嫌ではないって言う所か。
臨時雇用ではあるが、
月に吠えるグループは、
3名の新規雇用が完了した。




