ズブロッカ
「・・・フェラー卿の師匠が爺ちゃんかぁ」
グラスの曇りを拭きとりながら、
トラウゴット・フェラーの話を思い返す。
確かに俺も魔法の基礎や、組手のイロハ、
そして最低限の護身術など爺ちゃんから教え込まれているが、
所詮爺ちゃんはバーテンダー。
そこそこの腕のアマチュアゴルファーが、
ゴルフ挑戦ド素人に手ほどきをしている程度と思っていた。
爺ちゃんの腕っぷしが強いなんて話は、
聞いたことが無かったからだ。
そう言えば、フェラー卿が所属していた邪竜を討伐した伝説の冒険者チーム。
名前は「神の雫」だったな、
この世界じゃ、絵本にもなってる英雄譚だ。
(やはりあのボトルは・・・)
魔剣士トラウゴット・フェラーと、
大賢者ルーベルト・アレンス。
そして大魔導士のエルザ・バックハウス。
あとは・・・戦士の・・・なんていうんだっけ。
「・・・戦士ロミー・シャウアー」
「そうそう、ロミー・シャウアーだ。って、なんだチロルか。驚かすなよ・・・」
いつの間にか声を出していたらしい。
さすが伝説と呼ばれる冒険者チーム。
チロルですらその名前を知っているのだ。
神の雫の冒険譚を読んだことがあるのだろう。
「よく知ってたな。俺は忘れかけていたところだ」
「・・・だって、ロミー・シァウアーはアタシの祖母ちゃんだから」
なるほど。
そけならば神の雫の冒険譚など、
祖母から聞いていたという訳か・・・って。
「えっ、チロルのばあちゃんだって!?」
「・・・うん」
無表情にコクリと頷く。
そう言われてみれば、チロルがウチにやって来た時、
爺ちゃんは「しばらくウチで預かる」と言った他に、
知り合いに頼まれたと言ってたっけ。
厄介な呪いがかけられ、衰弱した様子ばかりに目が行ってしまったが、
チロルの祖母とフェラー卿がかつて同じ冒険者チームの一員であったなら、
チロルを爺ちゃんに預けた知り合いというのは、フェラー卿だったのかもしれない。
チロルは自身の過去を話したがらない。
まぁ、その理由はこの厄介な呪いに関係しているのは明らかだ。
左の首筋に刻まれた2匹の蛇が絡みついたような呪印。
普段はサイドテールに束ねた髪で隠しているが、
見ただけで禍々しい呪詛の残り香に、
吐き気のような嫌悪感に苛まれる。
バーテンダーの俺が言うのもなんだが、
こういった魔法や呪詛はある程度なら解呪できる自信がある。
いざという時の為って、爺ちゃんにしごかれたからな。
そのいざって時はいつなんだって、
いつも反発してみたけれど、
案外早くやって来るものだった。
例えば火の魔法なら火の魔法で相殺したり、
水の魔法なら水の魔法で相殺できる。
反発するような場合は、魔法そのものを解除すればいい。
タイミングさえ合えば特に難しい事ではないが、
これが出来るのは爺ちゃんと俺くらいだって知ったのは、
もうずいぶん前の事だ。
異世界人である俺達は、
この世界の人間と比べ魔法の威力が段違いになるらしい。
なぜそうなるのかは、爺ちゃん曰く「そうなるからだ」としか説明がつかない。
そんな俺達でさえも、チロルの呪詛は解呪できなかった。
ただ今はその呪詛が発動できないように封じている。
完全解除としいかなかったが、コントロール下にある点では良しとしなければならない。
それだけ厄介な代物だった。
「チロル。そろそろ眠くなるんじゃないのか?」
飲食店の営業に引き続き、
酒場の開店準備をしてくれるチロル。
8時過ぎれば3階の自室で休むように命じている。
そうしないといつまでも酒場の店内を気配を殺して警備している。
チロルいわく、2時間寝たら大丈夫なんだと言っているが、
1日22時間労働などブラックどころの騒ぎじゃない。
「・・・危険が無ければ部屋に戻る」
チラリと窓の外に視線を投げかけると、
窓の外から、店の中を伺う気配があった。
ガランっ。
俺達に気がつかれたと観念したのか、
店の前を挙動不審にうろついていた者が、
ドアを開けて店の中に入ってきた。
「いらっしゃいませ。カウンター席にどうぞ」
その客は店に入ってからも、
キョロキョロと様子を伺うようにしている。
挙動は不審だが殺意はまったく感じられない。
いきなり暴れ出すという事は無いだろう。
チロルも特に警戒はしていない。
(ドワーフか。初めて見る顔だな)
立派な髭を貯えたずんぐりとした風貌は、
いかにもドワーフといった感じだ。
白髪交じりでそれなりの年長者のようだが、
ドワーフの寿命は人間より長いこともあり、
見た目と実年齢がよく分からない種族である。
ドワーフの客はゆっくりカウンター席に座るとようやく口を開いた。
「・・・酒をくれ。火酒があればそれがいい」
「あいにく火酒は置いておりません。似たような蒸留酒はございますが」
「それでいい・・・」
ドワーフというば火酒。
穀類から醸造される酒を蒸留するという点では、
ウイスキーや焼酎と一緒なのだが、
火酒は連続蒸留するアルコール度数の高い酒だ。
俺も何度か試飲した事があるが、
どうも癖が強すぎてウチの店には馴染まなかった。
(さて、ドワーフに満足してもらえる酒か・・・)
グラスに注いだのは、ポーランド産の蒸留酒ズブロッカ。
ボトルの中にバイソングラスという稲藁のような植物が1本入っている。
ウオッカに分類される強い蒸留酒だが、
とろとろした口当たりとバイソングラス特有のハーブ香が、
アルコール特有の匂いを抑えてくれる。
このバイソングラスは醸造技術が未熟な時代、
不純物による雑味を抑える為に入れられていた名残なのだとか。
火酒もまた不純物が多く含むため、
スパイスなどと加えて飲まれており、
相通じるように思えたのだ。
「おまたせ致しました。ズブロッカです」
「・・・ほう、ボトルになにやら入っているのか」
ドワーフはグラスを手に取ると、
クイと一口で飲み干した。
「むふ。初めて飲む酒じゃが・・・悪くはない」
空になったグラスを掲げて見せる。
「もう1杯貰おうか。次はロックで頼む」
チロルの肩からほんの少し力が抜けたような気がした。
殺気を感じないといえど、このドワーフの客は明らかに挙動が不審だった。
チロルがナッツとドライソーセージを差し出すと、
少しだけ目が笑ったように思えた。
「ありがとよ嬢ちゃん」
銀貨1枚をそっとチロルに渡す。
チップという概念はこちらの世界にもあるのだけれど、
銀貨1枚は1万円の価値がある。
さすがにこれは貰いすぎだが、
チロルが無言のままチップを握ると、
思わずでてしまった尻尾が尋常でないくらい左右に振れる。
「すみません、このようなお心遣いを・・・」
思わず俺が礼を言うと、
ドワーフの客は気にするなと言わんばかりに、
ふんと鼻で息をする。
「・・・ここに風の護り手の連中はよく来るのか?」
このタイミングで風の護り手の話が出るという事に驚いたが、
このドワーフは彼らとどういう関係なのか。
それが分からないのでは迂闊な事は喋れない。
「ワシは鍛冶師のバッケル。風の護り手の契約鍛冶師じゃ」
探していたクモの糸は、
ズブロッカの中にあった。




