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異世界外交官クラリス ~魔法が無い世界で魔法が生まれる瞬間に立ち会ってしまいました~  作者: 飯山知 春。


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第40話 教えられるのか

翌朝。


クラリスは、昨日最後に書いた一行をもう一度見ていた。


『近い経験を持つ未発生者との比較』


昨日までは、まだ考えに近かった。


今日は。


それを実際に試せる形にしなければならない。


「まず、何を試すかですね」


向かいのローウェンが言った。


「はい」


机には、これまでに確認した事例が並んでいる。


石。


熱。


水。


その中から選ぶなら、条件をできるだけ揃えられるものがいい。


現象を起こした本人がいる。


再現もできている。


対象物を用意できる。


危険が大きすぎない。


そして。


似た経験を持つ別の人間を探せること。


クラリスは一枚の記録を抜き出した。


「これが一番やりやすいと思います」


以前、比較試験を行った男。


冷えた金属へ熱を戻した事例だった。


ローウェンも紙を見る。


「理由は?」


「石の落下を使うより安全です。水は、何を基準に変化を比べるかがまだ難しい」


「熱なら?」


「同じ金属片を用意できます」


どれほど温かくなったのかを正確な数字で測る術はない。


それでも。


同じ場所に置いた二つの金属を比べる。


複数人で温度差を確認する。


これまで行ってきた方法を、そのまま使うことができる。


「では、候補者ですね」


ローウェンが別の紙を取った。


クラリスは頷く。


ここが一番難しかった。


誰でもいいわけではない。


昨日までの見立てが正しいなら。


最初の男と近い経験を持つ者を選ぶ必要がある。


しかし。


近いとは。


どこまで近ければいいのか。


同じ仕事ならいいのか。


同じ年数ならいいのか。


似た熱を扱っていればいいのか。


「分からないですね」


クラリスが言った。


「始める前から?」


「始める前だからです」


ローウェンが少し笑う。


クラリスは紙へ書いた。


『候補者条件』


その下に。


『金属と熱を日常的に扱っている者』


一度止める。


さらに書き加えた。


『これまでに同様の現象を経験していない者』


できた人を探すのではない。


まだ。


できたことのない人を選ぶ。


それが今回、初めて試そうとしていることだった。



候補になりそうな者について情報が集まると、クラリスは一人ずつ記録を確認した。


名前そのものより。


今必要なのは、その人が何をしてきたかだった。


鉄を扱う。


火を使う。


熱せられた金属を見る。


冷え方の違いを知っている。


日々の仕事の中で、それを繰り返してきた。


「この人は?」


ローウェンが一枚を示す。


クラリスは読む。


「近いですね」


「では、この人で?」


「待ってください」


すぐには決めなかった。


最初に現象を起こした男と、まったく同じ経験を持つ人間などいない。


だから、完全に条件を揃えることはできない。


それでも。


今回比べたい部分をできるだけ近づけることはできる。


クラリスは二人分の記録を並べた。


最初の男。


候補者。


年齢は違う。


仕事を続けてきた長さも同じではない。


日々扱っているものにも差がある。


それでも。


熱した金属を扱う経験を持つ点では共通している。


「これ以上そろえようとすると」


ローウェンが言う。


「探すだけで何日もかかりそうですね」


「そうなんですよね」


クラリスは腕を組んだ。


条件を厳しくしすぎれば、試せる人間がいなくなる。


緩すぎれば。


何も起きなかった時に、何が違ったのか分からない。


「完全に同じ人を探すんじゃなくて」


クラリスは言った。


「最初に比べたいところだけ近づけるしかないと思います」


「今回は?」


「熱と金属に関わってきた経験」


それ以外の違いは。


違いとして記録する。


ローウェンが頷いた。


クラリスは候補者の紙へ印を付けた。


そこで。


もう一つ気づく。


「本人には、何を伝えます?」


「何を、とは?」


「私たちが何を確かめようとしているかです」


経験が関係しているかもしれない。


そう最初から伝えれば。


候補者は、それを意識して試すことになる。


逆に。


何も説明しなければ。


何をすればいいのか分からない。


クラリスはしばらく考えた。


「起こし方については、実際にできた人から説明してもらいましょう」


「経験についての仮説は?」


「言わない方がいいと思います」


ローウェンが少し考える。


「まだ答えじゃないから?」


「はい」


自分たちにも。


何が正しいのか分かっていない。


なら。


まだ確かめてもいない考えを。


答えのように相手へ渡すべきではなかった。



午後には、試験方法を一枚の紙へまとめ始めた。


最初に。


現象を起こせる本人が、同じ金属片で再現する。


それを確認する。


次に。


十分に時間を置き、金属の状態を戻す。


同じ場所。


同じ卓。


同じ種類の金属片。


候補者には、本人から自分がどうしているのかを説明してもらう。


そして。


できるだけ同じように試してもらう。


「回数は?」


ローウェンが尋ねた。


クラリスは少し迷った。


一度だけでは。


失敗なのか。


その時たまたま起きなかったのか。


区別できない。


しかし。


結果が出るまで続ければ、それも比較にならない。


「最初から決めておきましょう」


クラリスは言った。


「何回か試して、変化がなければ一度終える」


「何回?」


そこまでは。


今ある記録から答えを出せない。


クラリスは以前の試験結果を見る。


現象を起こせる人間でも、毎回成功したわけではない。


だから一回では少ない。


反対に。


無制限に続ける理由もない。


「五回までにしませんか」


ローウェンは記録を見てから頷いた。


「それでいきましょう」


クラリスは記した。


試行は五回まで。


各試行の間に休止を入れる。


体調に変化があれば中止。


そこで。


クラリスの手が止まった。


「体調も記録しましょう」


「何か気になります?」


「分かりません」


これまでにも。


何度も試した人間が疲れた様子を見せることはあった。


ただ。


それが集中したためなのか。


現象を起こそうとしたことと関係するのか。


そこまでは分からない。


だから。


今の段階では。


変化があったという事実だけを残しておけばいい。


「本人が続けられると言っても」


クラリスは言った。


「様子がおかしければ止めます」


「賛成です」


さらに。


立会人。


比較用の金属。


試行前後の状態。


候補者自身の説明。


項目を書き加えていく。


成功でも。


失敗でも。


途中で都合よく方法を変えない。


「ずいぶん大仕事になりましたね」


ローウェンが言った。


クラリスは完成しかけた紙を見る。


「石を一回落としてた頃が懐かしいです」


「少し前ですよ」


「そうなんですけど」


あの時は。


起きたことを確かめていた。


今度は違う。


何も起きていない人間に。


同じことが起こるのかを。


自分たちの方から確かめようとしている。


その違いが。


紙の項目を増やしていた。



試験案を持って局長室へ行くと。


エリアスは最後まで口を挟まずに読んだ。


一枚目。


候補者の条件。


二枚目。


試験方法。


三枚目。


記録する項目。


読み終えると。


紙をそろえて机へ置く。


「つまり」


エリアスが言った。


「昨日までとは、調べ方が変わるのね」


「はい」


「今までは、起きた人を見つけて、何があったのか調べていた」


「はい」


エリアスが候補者の紙を指す。


「今回は、まだ何も起きていない人間をこちらで選ぶ」


その言葉にすると。


クラリス自身にも。


改めて違いが分かった。


「そうです」


「失敗するかもしれない」


「はい」


「何も起きなければ、経験との関係が間違っていたと言える?」


「言えません」


クラリスはすぐに答えた。


相手の経験が十分でなかったのかもしれない。


似た経験でも。


中身が違うのかもしれない。


あるいは。


経験とは別の何かが関係しているかもしれない。


「一回の失敗では、そこまでは分かりません」


「成功したら?」


今度は。


答えるまで少し時間がかかった。


「それも、一回だけでは」


偶然かもしれない。


気づいていない条件が作用したのかもしれない。


成功したとしても。


もう一度確かめる必要がある。


エリアスの口元がわずかに動く。


「慎重ね」


「褒めています?」


「今回は褒めています」


クラリスは少しだけ笑った。


エリアスは試験案へ戻る。


「やってみなさい」


クラリスの表情が引き締まる。


「ただし」


声が続いた。


「結果を急がないこと」


「はい」


「まだ、できるようになる方法を知っているわけではないでしょう」


「はい」


教え方があるのかさえ。


分からない。


今あるのは。


経験との間に関係があるのではないか。


という見立てだけだ。


「まずは比較します」


クラリスが言った。


「近い経験を持つ人が、できた人のやり方を聞いて試した時に、何が起きるのか」


エリアスは頷いた。


「なら、そのつもりで進めなさい」


局長室を出る。


ローウェンが横で言った。


「許可が出ましたね」


「出ましたね」


「嬉しそうじゃないですね」


クラリスは少し考えた。


「怖い、の方が近いかもしれません」


これまでは。


すでに起きたものを見ていた。


今度は。


自分たちが選んだ人間に。


起こそうとしてもらう。


たとえ起きるものが。


ほんの小さな変化だとしても。


その意味は。


これまでとは違っていた。



翌日。


試験に使う卓の上には、二つの金属片が置かれていた。


傷のあるもの。


何も付いていないもの。


以前と同じように。


比較できるようにしてある。


すでに現象を起こしている男が。


卓の横に立っていた。


その少し離れた場所には。


今回選ばれた候補者がいる。


クラリスは最後に記録用の紙を確認した。


候補者。


これまでに同様の現象を経験したことはない。


金属と熱を扱う仕事を続けてきた。


その内容は聞き取り済み。


体調。


問題なし。


試行回数。


最大五回。


立会人。


確認済み。


「始めます」


クラリスが言った。


最初に。


現象を起こせる男が卓の前へ出る。


傷のある金属片を見る。


一度目。


変化なし。


二度目。


しばらくして。


わずかな温度差が確認された。


クラリスとローウェン。


立ち会っている者たちも順番に確かめる。


記録する。


これで。


今日も本人には起こせることを確認した。


十分に時間を置く。


二つの金属片を確かめる。


差はない。


「では」


クラリスは候補者を見る。


「お願いします」


男が卓の前へ立った。


少し緊張している。


当然だった。


「俺は、何をすればいい?」


現象を起こした男を見る。


問われた男も。


困ったような顔をした。


「俺がやってることを言えばいいんだよな?」


「はい」


クラリスが答える。


「普段どうしているのか、そのまま説明してください」


男は少し考えた。


「熱くなった鉄を思い出す」


候補者が聞く。


「火じゃなくて?」


「俺は違う」


「どんな鉄だ?」


「どんなって……」


そこで。


男が詰まる。


本人には分かっている。


でも。


言葉にしようとすると。


急に曖昧になる。


「仕事してる時の鉄だよ」


結局。


そう答えた。


候補者は金属片を見る。


「それで?」


「熱くなれって思う」


「それだけか?」


「たぶん」


候補者がクラリスを見る。


クラリスは何も付け加えなかった。


経験が関係しているのではないか。


それは。


候補者へ教える答えではない。


まだ。


自分たちが確かめようとしているものだ。


「今聞いた通りに」


クラリスは言った。


「まず一度、試してください」


候補者が卓へ向き直る。


傷のある金属片を見る。


触れない。


部屋が静かになる。


誰も口を挟まない。


クラリスはペンを持ったまま待つ。


しばらくして。


候補者が息を吐いた。


「……分からんな」


クラリスは比較用の金属片から順に確かめた。


温度差は。


感じられない。


ローウェンも確認する。


首を横に振った。


クラリスは記録用紙へ目を落とす。


『第一試行』


その横へ。


ペン先を置いた。


まだ。


一回目だった。

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