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異世界外交官クラリス ~魔法が無い世界で魔法が生まれる瞬間に立ち会ってしまいました~  作者: 飯山知 春。


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第39話 その人が持っているもの

翌朝。


クラリスの机には、二種類の紙が並んでいた。


一つは、これまで作ってきた現象の比較表。


もう一つは、昨日から追加し始めた人物についての記録だった。


できた人。


できなかった人。


同じ人物が、できたこと。


できなかったこと。


クラリスは二枚を横に置き、順番に見比べる。


石工。


石の落下が遅くなった。


鍛冶職人。


冷えた鉄に熱が戻った。


山の町で水を汲んでいた子供。


水に、それまでとは違う動きが起きた。


バルクでは、火を落とした炉が熱を持った。


そして昨日。


金属へ熱を戻せた男は、同じ金属を動かすことはできなかった。


クラリスはペン先を紙へ置いたまま止めた。


「何か見つかりました?」


向かいに座っていたローウェンが尋ねる。


「まだです」


「その顔で?」


「見つけたというより、気になるだけです」


クラリスは紙を指した。


「石工は、石を扱ってきた人です」


「ええ」


「鍛冶職人は、鉄と熱を知っている」


「そうですね」


「水の時も、水を汲んでいた子でした」


ローウェンも表へ目を落とす。


「バルクの職人は炉」


「はい」


並べると、あまりにも分かりやすく見える。


だからこそ。


クラリスはすぐには結論を書かなかった。


「職業でしょうか」


ローウェンが言う。


「それだけなら簡単なんですが」


クラリスは昨日の記録を一枚引き出した。


金属へ熱を戻した男。


同じ男が、同じ金属を動かそうとした。


何も起きなかった。


「金属を扱う人だから、金属なら何でも、というわけではなさそうです」


「昨日の結果だけを見るなら、ですね」


「はい」


物の種類だけでは足りない。


仕事の名前だけでも足りない。


では。


何が違うのか。


クラリスは新しい欄を作ろうとして、手を止めた。


『本人が知っていること』


一度そう書き。


考え直して線を引く。


代わりに。


『これまでの経験』


と書いた。


「ずいぶん広いですね」


ローウェンが言った。


「分かっています」


クラリスはその文字を見た。


広すぎる。


けれど。


今はまだ。


どこまで狭めていいのかも分からなかった。



昨日の試験に協力した男から、追加の話を聞くことになった。


クラリスが知りたかったのは、もう結果だけではない。


「熱くしようとした時、何を考えていました?」


男は困った顔をした。


「昨日も言っただろ。熱い鉄だ」


「はい。でも、もう少し知りたいんです」


「もう少し?」


「あなたにとって、熱い鉄ってどういうものなんでしょう」


男は黙った。


本人にとっては、考えたこともない質問らしい。


しばらくして。


「仕事してる時のやつだ」


「仕事をしている時?」


「ああ」


そこでまた止まる。


クラリスは急かさなかった。


「火を考えているわけではないんですよね」


「違うな」


「じゃあ、熱?」


「たぶん」


男は自分でも歯切れが悪いことに苛立っているようだった。


「鉄が熱くなってる時は分かるんだよ。毎日見てるからな。いちいち、どう分かるかなんて考えない」


クラリスのペンが止まった。


「毎日、ですか」


「ああ」


「では、昨日、金属を動かそうとした時は?」


男は肩をすくめる。


「動けって思った」


「それ以外には?」


「それ以外って言われてもな」


クラリスは手帳へ視線を落とした。


熱い鉄について。


男には、説明しにくいほど積み重なった何かがある。


一方で。


触れずに金属を動かすことについては。


何をどう考えればいいのかさえ分からない。


そこへ意味があるのか。


まだ分からない。


「昨日、もう一人試してもらった方についても聞いていいですか」


「俺に分かる範囲なら」


二人目の男についても、知っていることだけを確認する。


普段何をしているのか。


どのような物を扱うのか。


昨日使った金属と、日常的な関わりがあるのか。


質問を重ねるほど。


二人の違いは増えていった。


当たり前だった。


同じ人間ではない。


同じ暮らしをしてきたわけでもない。


だから。


どの違いが結果に関係しているのかは、一件では判断できない。


聞き取りを終えて外へ出る。


ローウェンが言った。


「分かりました?」


「分からないことが増えました」


クラリスは答えた。


少し歩いてから。


「でも」


と続ける。


「昨日より、見るところは分かった気がします」


「どこです?」


「その人が、今まで何をしてきたのかです」



外交局へ戻ると、クラリスは三国から届いている記録をもう一度広げた。


今度は、現象そのものから読まない。


発生した人物について書かれている部分を先に拾う。


詳しいものもある。


ほとんど何も残っていないものもある。


それでも。


いくつかは比べることができた。


起きたこと。


その人が普段関わっているもの。


どのような仕事や暮らしを続けてきたのか。


一つ。


二つ。


三つ。


まだ数は少ない。


偶然で説明できるかもしれない。


それでも。


同じ向きの重なりが続く。


ローウェンが別の束を持ってきた。


「こちらも見ます?」


「お願いします」


プレアリア。


バルク。


エストラド。


場所は違う。


年齢も同じではない。


立場もそろっていない。


今ある記録だけを見る限り。


一つの国。


一つの土地。


一つの年齢。


そういったものだけでまとめることは難しかった。


クラリスは一枚の紙を持ち上げる。


「でも」


ローウェンが見る。


「起きたことと、その人が普段していることは、何度も近いところにあります」


「何度も、ですね」


「はい。全部ではありません」


「記録が足りないものもある」


「はい」


「偶然かもしれない」


クラリスは顔を上げた。


「今日は先に全部言われました」


ローウェンが笑った。


「昨日までのお返しです」


クラリスも少し笑う。


それでも。


見なかったことにするには。


重なりが増えていた。


何の仕事をしているか。


それだけではない。


その人が。


長い間。


何に触れ。


何を扱い。


何を当たり前のように見てきたのか。


そこに何かあるのではないか。


クラリスは比較表の端へ書いた。


『発生した現象と、本人のこれまでの経験に関係がある可能性。』


少し迷ってから。


その下へ加える。


『複数事例で類似傾向あり。要確認。』


それ以上は書かなかった。


まだ。


答えではない。



午後。


エリアスはクラリスが作り直した表を眺めていた。


以前より、現象についての欄が減っている。


代わりに。


発生した人物についての記録が増えていた。


「ずいぶん、人の話になったわね」


「そうなりました」


エリアスが一つの項目を指す。


「経験」


「はい」


「具体的には?」


クラリスは少し考えた。


「まだ、うまく言えません」


「でしょうね」


「職業だけでは足りないと思います」


昨日の男は。


金属へ熱を戻した。


だが、同じ金属を動かすことはできなかった。


物の種類だけで結果が決まっているとは考えにくい。


「仕事の名前というより」


クラリスは言葉を選ぶ。


「その人が実際に何をしてきたのか。何を何度も見て、扱って、分かるようになったのか。その方が近い気がします」


エリアスは表へ目を戻した。


「気がする」


「はい」


「まだ、それ以上ではない?」


「はい」


エリアスは別の一枚を取る。


「では、次に必要なのは?」


「できた人について、もう少し詳しく知ることです」


クラリスは答えた。


「それと、できなかった人についても同じように」


何を扱ってきたのか。


どれほど長く続けてきたのか。


今回の現象に似た状態を、普段どの程度経験しているのか。


違いを探すには。


同じ項目で並べる必要がある。


エリアスはしばらく考えたあと、紙を置いた。


「三国すべてで集めるには時間がかかるわね」


「はい」


「国内で確かめられるものから先に」


「そうします」


そこで話は終わるかと思った。


だが。


エリアスがもう一度表を見る。


「クラリス」


「はい」


「もし、その考えが合っていたら?」


問いかけられて。


クラリスは黙った。


午前から。


頭の隅に浮かんではいた。


経験が関係する。


もし本当にそうなら。


ただ発生した人を探し続ける必要はないのかもしれない。


「同じような経験を持っている人を」


ゆっくり言う。


「まだ何も起きていない人の中から探せるかもしれません」


エリアスの視線が止まる。


ローウェンも何も言わない。


クラリス自身。


その先まで言うつもりはなかった。


まだ。


確かめる前の思いつきにすぎない。


けれど。


これまでとは違う方向へ。


問いが一つ。


開いた。



執務室へ戻ってからも。


クラリスはすぐには次の書類へ手を伸ばさなかった。


机の上には。


石工の記録。


鍛冶職人の記録。


水の事例。


三国から届いた報告。


昨日の比較試験。


別々の場所で。


別々の人に。


別々のことが起きている。


以前なら。


共通点を探す時には、起きた現象を見ていた。


石。


熱。


水。


動き。


場所。


今は。


その紙の向こうにいる人を見る。


その人は。


何をしてきたのか。


何を見てきたのか。


何を、考えなくても分かるほど繰り返してきたのか。


クラリスは昨日の男の言葉を思い出した。


――毎日見てるからな。


当たり前すぎて。


本人にも説明しにくいもの。


知識という言葉だけでは、少し違う気がした。


「ローウェンさん」


「はい」


「知っている、って何でしょうね」


書類を読んでいたローウェンが顔を上げた。


「急に難しいことを聞きますね」


「ですよね」


クラリスは笑った。


「忘れてください」


「もう聞きました」


「じゃあ考えておいてください」


「宿題ですか」


「お願いします」


ローウェンは困った顔をして、再び書類へ戻った。


クラリスも手帳を開く。


今日までに見えたことを、短く書いた。


『発生した現象と、本人が積み重ねてきた経験との間に、関係を疑わせる事例が複数ある。』


少し考え。


続ける。


『経験だけで決まるかは不明。』


そこで止めた。


何年必要なのか。


どれほど深く知っていればいいのか。


同じ経験を持つ人なら同じことができるのか。


何も分からない。


それでも。


次に比べるものは見えてきた。


クラリスは新しい頁を開く。


一番上へ書く。


『近い経験を持つ未発生者との比較』


その文字を見ていたローウェンが言った。


「試すんですか」


クラリスはペンを置いた。


「まだ」


答える。


「まず、本当に比べられる人がいるかどうかからです」


これまで。


何かが起きてから。


その理由を探してきた。


もし。


起きる前から。


比べる相手を選べるのなら。


調べ方そのものを。


変えられるかもしれない。


クラリスは頁を閉じた。


それが正しいかどうかは。


まだ誰にも分からなかった。

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