第38話 できる人、できない人
比較試験に使う事例は、三つまで絞られた。
その中から最初に選ばれたのは、王都から比較的早く確認に向かえる場所で起きた一件だった。
クラリスとローウェンが現場へ着いた時、すでに数人が待っていた。
中央の卓には、小さな金属片が二つ置かれている。
片方には細い傷が付けられ、もう片方には何もない。
「まず、報告にあった時と同じことをお願いします」
クラリスが言うと、卓の前に立っていた男が頷いた。
最初の異変が起きた本人だった。
詳しい仕組みを説明できるわけではない。
ただ、冷えた金属へ再び熱が戻った。
その後、自分でもう一度試したところ、同じような変化が起きた。
そこまでが報告に残されている。
「どっちだ?」
男が聞く。
「傷のある方を」
クラリスは答えた。
「もう一方は触らないでください」
男が金属片を見つめた。
手は触れない。
声も出さない。
しばらく何も起きなかった。
一度、男が首を振る。
「駄目だな」
「もう一度お願いします」
二度目も失敗した。
三度目。
男が小さく息を吐き、目の前の金属へ意識を戻す。
時間が過ぎる。
クラリスは何も言わなかった。
やがて。
男が眉を動かした。
「……たぶん」
クラリスはすぐに金属へ触れず、まず隣に置いたもう一方を確かめた。
冷たい。
続いて、傷のある方へ慎重に指先を近づける。
温かい。
大きな違いではない。
けれど、二つを交互に触れば分かる程度の差があった。
ローウェンも確認する。
「ありますね」
クラリスは手帳へ記した。
三回目。
温度差を確認。
「ここからです」
男がクラリスを見る。
「まだやるのか?」
「今度は、あなたには休んでもらいます」
クラリスは少し離れた場所で待っていた別の男へ目を向けた。
同じ場所。
同じ卓。
同じ金属。
今度は。
別の人間だった。
◇
二人目の男には、最初の男がやったことを説明してもらった。
「温かくなるところを考える」
最初の男はそう言った。
「火を思い浮かべるんですか?」
クラリスが尋ねる。
「いや」
少し迷う。
「熱い鉄だな」
「鉄が熱くなっているところ?」
「そうだと思う」
曖昧だった。
本人にも、何をしているのか正確には分かっていない。
二人目の男はその説明を聞き、先ほどと同じ位置へ立った。
傷のある金属片を前に置く。
もう一方は比較用として離しておく。
「できるだけ、今聞いた通りにお願いします」
クラリスが言う。
男は頷いた。
しばらく。
何も起きない。
一度目。
変化なし。
二度目。
変化なし。
三度目。
やはり変わらない。
「もう一回やっていいか?」
男の方から言った。
「お願いします」
四度目。
五度目。
その間、クラリスたちは金属片を入れ替えた。
先ほどの熱が残っている可能性を避けるため、時間も置いた。
立つ位置も変えない。
だが。
結果は同じだった。
「何も感じません」
クラリスが言うと、ローウェンも確かめた。
「こちらもです」
二人目の男が難しい顔で金属を見る。
「同じことをやってるつもりなんだがな」
最初の男が横から言った。
「考えすぎなんじゃないか」
「お前も考えてるだろ」
「俺は……」
言いかけて。
止まる。
二人とも、自分が何を違えているのか説明できなかった。
クラリスはそこへ答えを足さない。
今必要なのは、結果だった。
場所は同じ。
使った物も同じ。
最初の男が説明したやり方を、もう一人も試した。
一人には起きた。
もう一人には起きなかった。
ただし、それだけで条件が完全に同じだったとは言えない。
クラリスは記録の欄へ書き込む。
『別人による五回の試行――変化確認できず。』
その横へ続けた。
『差異の原因――不明。』
今のところ。
それ以上は書けなかった。
◇
昼を挟み、試験はもう一つだけ続けた。
今度は、できなかった人を増やすのではない。
最初に成功した男へ、別のことを試してもらう。
クラリスは卓の上に、先ほど使った金属片を置いた。
「今度は」
男が見る。
「これを、触らずに動かせますか」
「動かす?」
男が怪訝そうな顔をした。
「そんなことできるのか?」
「分かりません」
クラリスは即答した。
「だから試します」
男は金属片を見る。
先ほど熱を戻した時と同じように。
今度は、右へ動くところを意識してもらう。
一度目。
何も起きない。
二度目。
変わらない。
三度目。
男の額に汗が浮かんだところで、クラリスは止めた。
「そこまでにしましょう」
「いや、まだ――」
「十分です」
男は不満そうだったが、やがて卓から離れた。
何をしているのか。
何が起きているのか。
まだ誰にも分からない。
ならば、結果が出るまで際限なく繰り返させる理由もなかった。
クラリスは金属片を見る。
少なくとも。
今日の三回では。
動きは確認できなかった。
「熱を戻すことはできた」
ローウェンが言う。
「はい」
「でも、同じ物を動かす方では変化がなかった」
「今日試した範囲では」
クラリスは念を押した。
三回できなかったからといって、絶対にできないとは言えない。
それでも。
何か一つを起こせた人間なら、望んだことを何でも起こせる。
そう考える根拠は薄くなった。
男が腕を組む。
「俺に何かができるっていうなら、もっと好きにできるのかと思ったんだけどな」
クラリスはその言葉を聞いて、手帳へ目を落とした。
自分も。
どこかで似た考え方をしていたのかもしれない。
できる人。
できない人。
そんな二つだけに分かれるのではない。
少なくとも今日見た結果は、もっと複雑だった。
クラリスは新しい欄を作った。
『同一人物による別種の試行』
そこへ、
『変化確認できず』
と記した。
◇
外交局へ戻ったクラリスは、昨日作った比較表を広げた。
そこへ今日の結果を書き込んでいく。
本人。
温度変化あり。
別人。
五回試行、変化なし。
本人による別種の試行。
三回、変化なし。
ローウェンが向かいで報告の文面を整えている。
「一日で、ずいぶん欄が増えましたね」
「明日はもっと増えるかもしれません」
「嬉しそうですね」
「嬉しくはないです」
クラリスは答えながら、別の報告を引き寄せた。
三国から届いている事例の中には。
できた本人について、ある程度詳しく残されているものがある。
だが。
できなかった人については、ほとんど何もない。
それでは比べられない。
クラリスは今日の二人を思い返した。
同じ場所に立った。
同じ金属を使った。
一人が説明した方法を、もう一人も試した。
それでも結果は違った。
その理由は分からない。
「明日からは」
クラリスが言った。
「失敗した人についても、最初から同じように記録しませんか」
ローウェンが手を止める。
「どこまで?」
「成功した人と比べられるくらいには」
クラリスは紙へ項目を書いてみる。
普段何をしているのか。
何を扱っているのか。
どこで生活してきたのか。
試した対象と、普段から関わりがあるのか。
書いたあと。
少し眺める。
どの項目が本当に必要なのかは、まだ分からない。
まったく関係のない情報かもしれない。
だが。
できた人と、できなかった人。
その違いを探すなら、結果だけを並べても仕方がない。
「成功した側だけを詳しく調べても比較にはならない、ということですね」
ローウェンが言う。
「はい」
「人数は増えますよ」
クラリスは机の上を見た。
すでに紙は多い。
「……増えますね」
「今気づきました?」
「少しだけ嫌になってきました」
ローウェンが笑った。
クラリスも笑ってから、再びペンを取る。
できた人だけを並べても。
なぜできたのかは分からない。
なら。
できなかった人も、同じように見るしかなかった。
◇
夕方。
今日の結果を局長室へ持っていくと、エリアスは比較表をしばらく黙って読んだ。
「一人にはできた」
「はい」
「もう一人にはできなかった」
「はい」
「できた本人も、別のことでは変化を起こせなかった」
「少なくとも、今日試した範囲では」
エリアスは紙から顔を上げた。
「面倒ね」
クラリスは少し笑った。
「簡単だった方がよかったですか」
「仕事としてはね」
エリアスは紙を机へ戻した。
「誰でも同じ手順で同じことができるなら、調べることはずっと少ないもの」
その通りだった。
同じ方法。
同じ結果。
それなら、覚えるべきことは手順だけで済む。
けれど。
今日の結果は違った。
同じように試しても、別人には変化がなかった。
成功した本人でも、別の変化は確認できなかった。
「人によって結果が異なる例は、確認できました」
クラリスが言った。
「ええ」
エリアスが頷く。
「でも、人物そのものが原因だと決まったわけではない」
「はい」
条件をそろえたつもりでも。
気づいていない違いが残っているかもしれない。
試行回数が足りないだけかもしれない。
年齢。
身体。
仕事。
暮らしてきた土地。
あるいは。
まだ記録していない何か。
どれも、今は候補でしかなかった。
「次は何を見るの?」
エリアスが尋ねた。
クラリスは今日作り直した表を開いた。
できた人。
できなかった人。
その両方について、比較できる情報を集める。
三国から届いている事例にも、必要なら追加の情報を求める。
「まず、人について記録を増やします」
クラリスが答えた。
「結果だけ見ても、今日の違いがどこから出たのか分かりませんでした」
できる。
できない。
できる人にも、できなかったことがある。
なら。
何が違うのか。
一つずつ並べるしかない。
エリアスが小さく頷いた。
「分かったわ。進めなさい」
「はい」
局長室を出る。
クラリスは廊下を歩きながら、手帳を開いた。
最後の頁へ短く書く。
『同様の条件で試行しても、人物によって結果が異なる例あり。』
次の行。
『同一人物でも、試みる現象によって結果が異なる可能性あり。』
そこまで書いて。
ペン先が止まった。
なぜか。
その答えは、まだ書けない。
けれど。
昨日より。
見るべき場所は絞られていた。
何が起きているのか。
それだけではなく。
なぜ、この人には起きたのか。
クラリスは手帳を閉じた。
次に並べるのは。
現象だけではなかった。
人だった。
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