第37話 集まった事例
翌朝。
クラリスの机には、昨日より多くの紙が積まれていた。
王都へ戻ったばかりだというのに、自分の席に腰を落ち着ける暇さえない。
三国から集まり始めた事例を、できるだけ同じ項目で比較できるよう整理する。
それが、今日最初に与えられた仕事だった。
クラリスは一枚目を開く。
エストラド国内から届いたもの。
次もエストラド。
その次には、プレアリアからの照会に添えられた事例の概要がある。
そして。
「これ、バルクですね」
向かいの机で別の束を読んでいたローウェンが顔を上げた。
「何かありました?」
クラリスは紙を少し持ち上げる。
「炉です」
それだけ言うと、ローウェンが席を立ってきた。
報告は簡潔だった。
バルク連合の一都市にある工房。
仕事を終え、火を落とした後の炉から、火種を確認できない状態で熱が発生した。
最初に確認した職人は、一度熱が失われた後、炉が再び熱を持つ状態を起こしたと証言している。
翌日。
複数人が立ち会う中で再度試行。
何度か失敗した後、炉の温度上昇を複数人が確認した。
クラリスは途中で読む手を止めた。
「似ていますね」
ローウェンが言う。
「鍛冶職人に?」
「はい。でも、同じとは限りません」
それはもう、ほとんど癖になっていた。
ローウェンも何も言わない。
山の町で確認した鍛冶職人は、冷えた鉄そのものへ熱を戻した。
こちらは炉。
対象が違う。
場所も違う。
人も違う。
それでも。
熱を扱う仕事をしてきた人間が。
熱を起こそうとして。
実際に温度の変化を起こした。
しかも、一度だけではない。
クラリスは報告の最後まで読み、比較用の紙へ記入した。
『本人による再現――あり。』
一枚置いて。
次の報告へ手を伸ばす。
ほどなくして、ローウェンが言った。
「こちらも再現しています」
「どこのです?」
「プレアリアです」
クラリスは顔を上げた。
詳細は十分ではない。
それでも、最初の出来事の後、本人が同様の結果を意図して試し、失敗を挟んで再び変化を確認したとある。
エストラド。
バルク。
プレアリア。
クラリスは三つの報告を見た。
意図して。
もう一度。
起こす。
それはもう。
山の町だけで見つかった珍しい一例ではなかった。
◇
クラリスは新しい紙を一枚取り出した。
上部に、比較する項目を書く。
発生場所。
発生者。
対象。
最初に起きた状況。
本人の意思による再現。
第三者による確認。
書き込んでいくうちに、三国の報告の違いがはっきりしてきた。
詳しいもの。
結果だけが短く記されたもの。
試行回数が分かるもの。
何度失敗したのかまでは残っていないもの。
情報の量はそろっていない。
それでも、本人による再現例は一つではなかった。
「再現できるかどうかは、もう次へ進んでよさそうですね」
クラリスが言う。
ローウェンが紙から顔を上げた。
「すべて同じ仕組みだと決まったわけではありませんよ」
「はい。でも少なくとも、人が意図した後に似た変化が繰り返された事例は、三国にある」
「それなら言えます」
クラリスは一つの欄を見た。
『本人による再現』
そこには、いくつも印が入っている。
数日前なら。
それだけで一日中考え込んでいただろう。
今は違った。
次の紙を読む。
エストラド国内の事例だった。
最初に現象が起きた人物が再び試し、変化を確認。
その後、同じ場所で別の者にも似た試行を行わせた。
クラリスの目が止まる。
『変化確認できず。』
「ローウェンさん」
紙を差し出す。
ローウェンが読む。
「別の人にも試している」
「はい」
「一人だけですか」
「この記録では」
クラリスはもう一度文面を確かめた。
場所は同じ。
対象も同じ。
少なくとも、報告を書いた者は同様の手順を取らせようとしている。
それでも結果は出なかった。
「条件が本当に同じだったかは分かりませんね」
ローウェンが言う。
「はい」
時間。
姿勢。
意図の仕方。
本人の状態。
書かれていない違いはいくらでもあり得る。
ただ。
一つ、新しいことが記録されていた。
できた人と。
同じことをしても、できなかった人。
クラリスは比較表の右端へ、新しい欄を書き加えた。
『別人による試行』
最初の一行に。
『変化なし』
と記した。
◇
昼前には、机の端から端まで紙が並んでいた。
内容はそろっていない。
何を確認したのか。
誰が立ち会ったのか。
試行回数。
失敗の記録。
事例によって、書かれていることはばらばらだった。
それでも、並べることで見えてくることはある。
「本人が意図して繰り返した例は、もう複数あります」
クラリスは比較表を見ながら言った。
「三国に」
ローウェンが付け加える。
「はい」
そこだけを何日も調べ続ける必要は、もうなさそうだった。
すべての報告が同じ原因とは限らない。
現象の仕組みが共通しているとも限らない。
それでも。
人が起こそうとした後に、似た変化が再び起きる。
そう記録された例が複数存在すること自体は、無視できない。
「問題は、こっちですね」
クラリスは表の右側を指した。
別人による試行。
こちらは、ほとんど記録がない。
「試していないのか」
ローウェンが言う。
「試したけれど書かれていないのか」
「それも分かりません」
唯一、はっきり書かれている一例では。
本人にはできた。
別の者にはできなかった。
クラリスはその行を見た。
「たまたま、その時は起きなかっただけかもしれません」
「本人だって失敗することがありますからね」
「はい」
何度も試せば、その人にもできるかもしれない。
逆に。
何度試しても何も起きないかもしれない。
今の資料だけでは分からない。
クラリスはペンを指先で回しかけて、やめた。
「同じことを」
ぽつりと言う。
「同じ場所で、同じ対象を使って、できるだけ同じように試したら」
ローウェンは答えを待つ。
「誰にでも起こせるんでしょうか」
それは。
これまで確かめていなかった問いだった。
石工ができた。
鍛冶職人ができた。
別の国でも、できた人がいる。
では。
その横に立っている人は。
同じようにできるのか。
比較表には。
その答えだけが、ほとんど書かれていなかった。
◇
午後。
まとめた表を持って局長室へ入ると、エリアスは最初の数行を読んだだけで顔を上げた。
「早いわね」
「まだ、かなり穴があります」
クラリスは答えた。
「穴がどこにあるか分かるだけでも十分よ」
エリアスは続きを読む。
本人による再現。
第三者による確認。
別人による試行。
その三つの欄を行き来したあと、一つの事例で指が止まった。
「この人には起きなかった?」
「報告上は」
「何回試したの?」
「そこまでは分かりません」
「本人がやった時と、どこまで同じ条件だったの?」
「詳しい記載はありません」
エリアスは紙を机へ置いた。
「なるほど」
責められたわけではない。
むしろ。
今聞かれたこと自体が、次に必要な情報なのだとクラリスには分かった。
「三国へ追加で確認しますか」
ローウェンが言う。
「必要ね。でも、それだけを待つ理由もないわ」
エリアスはクラリスへ目を向けた。
「国内でも確かめられるでしょう」
クラリスは頷く。
山の町へ戻らなくても。
エストラド国内には、すでに複数の事例が集まり始めている。
その中から、比較できそうなものを選ぶことはできる。
「本人にもう一度試してもらって」
クラリスが言う。
「そのあと、同じ場所と対象で別の人にも試してもらう」
「そうね」
「何が同じで、何が違ったかも残す」
エリアスが頷いた。
「結果だけではなくね」
できた。
できなかった。
それだけを書いても、違いの理由は分からない。
どこまで同じ条件をそろえたのか。
何がそろえられなかったのか。
そこまで残す必要がある。
「今まで集めていたのは、起きた事例でしょう」
エリアスが言った。
「はい」
「次は、起きなかった方も捨てないこと」
クラリスは、その言葉を頭の中で繰り返した。
失敗。
今までは。
成功へたどり着くまでの途中として扱っていた。
けれど今度は。
なぜ起きなかったのか。
その違いそのものが。
調べる対象になる。
◇
執務室へ戻ると、クラリスは比較表を作り直した。
今までの項目は残す。
その右側に新しい欄を増やす。
『別人による同条件試行』
さらに。
『本人との差異』
と書いた。
ローウェンが横から覗く。
「増えましたね」
「減らせます?」
「無理でしょうね」
クラリスは苦笑した。
机には三国の報告がある。
山の町にいた頃。
説明のできないことを、人が意図して繰り返せる。
それだけで十分に大きな発見だった。
今は。
エストラドでも。
プレアリアでも。
バルクでも。
同じように、本人が意図した後に現象が繰り返された事例がある。
再現する人がいる。
そこまでは。
もう次へ進んでいい。
クラリスは、別人による試行が記された一枚を手に取った。
本人にはできた。
もう一人にはできなかった。
なぜ。
今は分からない。
けれど。
確かめることはできる。
「候補を探しましょう」
クラリスが言った。
「何の?」
「同じ条件を、別の人でも試せそうな事例です」
ローウェンは少し考えたあと、別の書類の束を引き寄せた。
「では、国内の確認済み事例からですね」
「はい」
二人で紙を分け始める。
本人が再現できているもの。
場所を確認できるもの。
対象が残っているもの。
別の人にも同じ試行を頼めそうなもの。
一枚ずつ。
条件を拾っていく。
少し前まで探していたのは。
説明のつかないことが起きた人だった。
今度は。
その隣に立つ人も必要になる。
クラリスは新しい紙の一番上へ書いた。
『同一条件下における人物差の確認』
できる。
できない。
その違いが、どこから生まれるのか。
次に確かめるべきものは。
そこだった。




