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異世界外交官クラリス ~魔法が無い世界で魔法が生まれる瞬間に立ち会ってしまいました~  作者: 飯山知 春。


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第4話 最初の任務

翌朝。


外交局には、いつもと変わらぬ朝が訪れていた。


窓から差し込む陽光が執務室を照らし、羽根ペンの走る音が静かに響く。


職員たちは、それぞれの持ち場で黙々と仕事を進めている。


「クラリス。」


穏やかな声に、クラリスは顔を上げた。


ローウェンが執務室の入口に立っている。


「局長がお呼びです。」


「はい。」


クラリスは机の上を手早く整え、立ち上がった。


廊下へ出ると、窓の外には朝の王都が広がっていた。


市場へ向かう荷車が石畳を行き交い、店を開く準備をする人々の姿が見える。


その穏やかな景色を横目に、二人は局長室へ向かった。


扉を軽く叩く。


「失礼します。」


エリアスは机に向かったまま顔を上げ、小さく頷いた。


「おはようございます。座ってください。」


二人が席に着くと、エリアスは机の上の帳簿へ手を置く。


昨日、機密資料室で確認した『資料閲覧記録』だった。


「昨日見つかった空欄について、調査を進めます。」


クラリスは静かに姿勢を正した。


エリアスは一枚の許可証を机の上へ差し出す。


王家の紋章が押された正式な閲覧許可証だった。


「文書管理室へ行ってください。」


クラリスは両手で許可証を受け取る。


羊皮紙は思っていたより重く、その重みが任務の重要さを物語っているようだった。


「外交局の文書は、すべて文書管理室を経由します。」


ローウェンが静かに補足する。


「閲覧記録も、貸出台帳も、保管記録も、あそこで管理されています。」


エリアスは二人へ視線を向けた。


「ただし、相手も職務として文書を守っています。」


「規則を破らせようとしてはいけません。」


「必要なのは事実だけです。」


クラリスは静かに頷く。


「承知しました。」


エリアスは穏やかに微笑んだ。


「では、お願いします。」


ローウェンが立ち上がる。


クラリスも後に続き、二人は一礼して局長室を後にした。


文書管理室へ向かう二人の足音が、静かな廊下に響いていた。




外交局の廊下を進み、ローウェンは一枚の扉の前で足を止めた。


扉には、『文書管理室』とだけ記されている。


「こちらです。」


二度、控えめに扉を叩く。


「ローウェンです。」


「入りなさい。」


落ち着いた声が返ってきた。


部屋へ入ると、紙と革の匂いが鼻をくすぐった。


壁一面の書棚には、年代ごとに整理された帳簿が隙間なく並んでいる。


部屋の中央では、一人の男が机に向かっていた。


年の頃は四十代半ば。


身なりにも机の上にも乱れはなく、その佇まいから几帳面な人柄がうかがえた。


男は羽根ペンを置き、静かに立ち上がる。


「お久しぶりです、ローウェン課長。」


「変わりありませんか、マルク。」


「ええ。」


短い挨拶を交わすと、男はクラリスへ視線を向けた。


「こちらは。」


「クラリス・ヴァインです。」


ローウェンが紹介する。


「今回の調査補佐を務めます。」


「文書管理官、マルク・ヘルマンです。」


クラリスは一礼した。


「よろしくお願いいたします。」


「こちらこそ。」


マルクも静かに礼を返す。


その所作に無駄はなかった。


「本日は、どのようなご用件でしょう。」


ローウェンは許可証を差し出した。


「機密資料の閲覧記録を確認したい。」


マルクは許可証を受け取り、ゆっくりと目を通す。


王家の紋章。


局長エリアスの署名。


一つ一つを確かめるように視線を走らせると、許可証を静かに机へ戻した。


「申し訳ありません。」


穏やかな口調だった。


「閲覧記録は機密文書です。」


「閲覧者の情報を開示することはできません。」


ローウェンは表情を変えない。


「局長命令です。」


「承知しております。」


マルクは静かに頷いた。


「ですが、規則は規則です。」


「本人の許可、あるいは国王陛下の裁可がない限り、お見せすることはできません。」


部屋に静けさが戻る。


ローウェンはそれ以上言葉を重ねなかった。


クラリスは二人のやり取りを見つめる。


マルクは調査を拒んでいるのではない。


文書管理官として、守るべきものを守っている。


クラリスは静かに机の上へ視線を落とした。


閲覧記録。


貸出台帳。


保管記録。


整然と並ぶ帳簿を見つめながら、クラリスは小さく息をついた。



静かな空気が文書管理室を包んでいた。


誰も口を開かない。


部屋には、時計の針が時を刻む音だけが響いている。


やがて、ローウェンが静かに口を開いた。


「今回の件は、局長直轄の調査です。」


「閲覧記録を確認する必要があります。」


マルクは静かに頷いた。


「事情は理解しております。」


「ですが、閲覧記録は最重要機密の一つです。」


「誰が、いつ、どの資料を閲覧したか。」


「その記録を守ることが、私の職務です。」


ローウェンは穏やかな表情のまま答える。


「だからこそ、局長命令なのです。」


マルクは許可証へ視線を落とした。


「……課長。」


「私は十八年間、この文書管理室を預かってきました。」


「その間、一度たりとも例外を認めたことはありません。」


静かな声だった。


しかし、その言葉には揺るぎがなかった。


「一度でも規則を曲げれば、それは前例になります。」


「次に同じ要求を受けた時、私は規則を守れなくなる。」


「規則とは、相手によって変えてはならないものです。」


部屋は再び静まり返る。


ローウェンは小さく息をついた。


「あなたらしい答えです。」


「ですが、この件は国家に関わります。」


「承知しております。」


マルクは真っ直ぐローウェンを見つめた。


「だからこそ、私は規則を守ります。」


その一言に、迷いはなかった。


クラリスは静かに二人を見比べる。


互いに譲る気配はない。


それでも、相手を否定しようとはしていなかった。


視線を落とすと、机の上には帳簿が整然と並んでいる。


閲覧記録。


貸出台帳。


保管記録。


昨日、エリアスは言っていた。


――相手も職務として文書を守っています。


――規則を破らせてはいけません。


クラリスは帳簿を見つめたまま、小さく息を吸う。


規則を破れないのなら。


規則の中に、道があるはずだ。


ゆっくりと顔を上げた。



クラリスは机の上の帳簿へ視線を向けた。


閲覧記録。


貸出台帳。


保管記録。


一冊一冊が整然と並び、長年積み重ねられてきた管理の重みを感じさせる。


その時、ある言葉が頭をよぎった。


――外交局の文書は、すべて文書管理室を経由します。


クラリスはゆっくりと顔を上げた。


「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか。」


マルクが静かに頷く。


「どうぞ。」


「貸出台帳も機密文書ですか。」


その問いに、マルクは少しだけ目を細めた。


「いいえ。」


「貸出台帳は管理記録です。」


「閲覧記録とは別に扱われています。」


クラリスは小さく頷く。


「では。」


一呼吸置いてから、静かに続けた。


「閲覧記録ではなく、貸出台帳を確認させていただくことはできますか。」


部屋の空気が止まった。


ローウェンがクラリスを見る。


マルクもまた、言葉を発さない。


やがて彼は机の上へ視線を落とした。


貸出台帳。


それは確かに規則の対象外だった。


しばらく沈黙が続く。


やがてマルクは、小さく息を吐いた。


「……できます。」


クラリスは思わず表情を緩めた。


マルクは静かに立ち上がる。


「少々、お待ちください。」


書棚の奥へ歩み寄り、一冊の帳簿を丁寧に取り出す。


慎重な手つきで机へ運ぶと、ゆっくりとページを開いた。


「こちらが貸出台帳です。」


ローウェンは静かにクラリスを見る。


その眼差しには、小さな満足げな色が浮かんでいた。


クラリスは帳簿へ目を落とす。


規則は破られていない。


誰の職務も損なわれていない。


それでも、調査は前へ進んだ。


帳簿の最初のページをめくる音が、静かな部屋に小さく響いた。



クラリスは貸出台帳を一ページずつ丁寧に追っていく。


年月日。


資料名。


貸出先。


返却日。


整然と並ぶ文字が、長年積み重ねられてきた記録であることを物語っていた。


部屋には、紙をめくる音だけが静かに響いている。


やがてクラリスの指が、一つの記録で止まった。


「……ありました。」


ローウェンが静かに身を乗り出す。


クラリスは記録を読み上げた。


「第三プレアリア使節団報告書。」


「貸出先は……外交局長室。」


返却日の欄には、確かに記録が残されていた。


ローウェンは帳簿を見つめたまま、小さく頷く。


「貸し出されていたことは間違いない、ということですね。」


「はい。」


マルクが静かに答える。


「貸出台帳に記録がある以上、その資料は正式な手続きを経て持ち出されています。」


クラリスはもう一度、帳簿へ視線を落とした。


貸し出された記録はある。


返却された記録もある。


それなのに、昨日確認した閲覧記録には空欄があった。


二つの記録は、どこかで食い違っている。


クラリスはゆっくりと顔を上げた。


「局長へ報告しましょう。」


ローウェンも頷く。


「ええ。」


二人は帳簿を閉じると、マルクへ向き直った。


「ご協力、ありがとうございました。」


クラリスが頭を下げる。


マルクも静かに一礼した。


「お役に立てたのであれば幸いです。」


文書管理室を出ると、廊下には昼の静けさが満ちていた。


クラリスは胸の内で、今見つけた記録を反芻する。


第三プレアリア使節団。


その報告書には、何が記されているのだろう。


二人の足音が、局長室へ向かう廊下に静かに響いていた。

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