第34話 三国からの報告
東へ進むにつれ、人の往来は明らかに増えていた。
荷車が行き交い、街道沿いには旅人の姿が途切れなくなった。山の中では一日に数人とすれ違えば多い方だったことを思えば、ずいぶん遠くまで戻ってきたように感じる。
その日の午後、クラリスたちは公的な伝令が立ち寄る場所で馬を休ませた。
ローウェンが身分を示し、王都へ戻る途中であることを告げると、対応した男の顔色が変わった。
「外交局の方でしたか」
「何か?」
「王都から、該当する者がいれば伝えるよう指示が来ています」
男は奥へ入り、しばらくして封をされた紙を持って戻ってきた。
宛名は特定の個人ではない。
外地にいる外交局員へ向けた通知だった。
ローウェンが封を確かめ、クラリスとともに内容へ目を通す。
文章そのものは短かった。
各地から、既知の原因では説明困難な出来事について複数の報告が寄せられている。
現地にいる職員は、類似する事例を把握している場合、確認済みの事実と伝聞を分けて記録すること。
不用意な断定を避けること。
可能な限り速やかに情報を本局へ送ること。
クラリスは最後まで読み、鞄へ目を落とした。
自分たちが作った報告書と、よく似た注意事項だった。
「昨日会った伝令の話と同じですね」
「ええ。ただ、こちらの方が正式です」
ローウェンは通知をもう一度読む。
「私たちが山にいる間に、かなり話が進んだようです」
クラリスも同じことを考えていた。
岩が止まったのを見た時には。
世界でそんなことを知っているのは、自分たちと、その場にいた人々だけだと思っていた。
それからまだ、さほど時間は経っていない。
なのに王都ではすでに、複数の報告を前提とした指示が出ている。
クラリスは鞄から自分たちの報告書を取り出した。
「これも、ここから先に送れますか」
男が頷く。
「王都行きの公文書と一緒に回せます。ただし、ご本人たちは?」
「私たちも戻ります」
ローウェンが答えた。
原本をその場で渡すのではなく、写しを送ることにした。
何があっても、自分たちが確認した記録を一部は手元に残す。
クラリスは封をする前に、最後の頁へ目を通した。
山の町で起きたことが。
ようやく、自分たち二人の手を離れる。
その実感は、不思議と安心より緊張を連れてきた。
◇
手続きを終える頃、先ほどの男がもう一枚の紙を持ってきた。
「これも、外交局の方なら見ておいた方がいいかもしれません」
ローウェンが受け取る。
各地から寄せられている報告について、伝令や役所が同じものを重複して送らないための簡単な一覧だった。
詳細な調査書ではない。
発生場所。
報告された時期。
大まかな内容。
確認の有無。
それだけが並んでいる。
クラリスは上から読んだ。
動いていた物が、通常では考えにくい止まり方をしたというもの。
火や熱に関するもの。
水の動きについてのもの。
ほとんどは伝聞。
目撃者が複数いるものもあれば、本人しか見ていないものもある。
事故や故障の可能性が残るものも多い。
「これ……」
クラリスは頁の途中で止まった。
帰路で聞いた話と似ていた。
荷車。
火。
水。
もちろん同じ事件だとは限らない。
場所も人物も、クラリスが聞いた噂とは一致しているか確認できない。
それでも。
噂だけだと思っていたものに似た内容が、公的な記録の中にも存在していた。
「全部を同じものと考えるのはまだ早いですね」
ローウェンが言った。
「はい」
クラリスはすぐに答えた。
そこは変わらない。
似た話を集めたから、似て見えているだけかもしれない。
故障。
勘違い。
自然現象。
誰かの作り話。
一つずつなら、それで説明できるものもあるだろう。
だが山の町には、違うものがある。
石工が二度。
鍛冶職人が二度。
起こそうとして、起こした。
「王都は、再現できた例を把握しているでしょうか」
「この一覧だけでは分かりません」
ローウェンは紙を返した。
「だから私たちの報告には意味があります」
クラリスは小さく頷いた。
王都にはすでに多くの話が届いている。
けれど。
自分たちが持っているのは、ただ奇妙なことが起きたという話ではない。
どう試したか。
何が失敗したか。
どこで結果が変わったか。
本人が何をしようとしたのか。
その記録だった。
クラリスは、送る報告書の封を押さえた。
地味な違いだった。
しかし今は、その地味な違いこそが重要に思えた。
◇
翌朝。
出発の準備をしていた二人を、昨日の男が呼び止めた。
「追加が来ています」
夜のうちに到着した文書らしい。
今度は国内の一覧ではなかった。
外交上の照会を受けた記録が、短くまとめられている。
クラリスは最初の国名を見た。
プレアリア。
続いて。
バルク。
一瞬、手が止まった。
「両方から?」
ローウェンが尋ねる。
「昨日までにも来ていたようですが、こちらへ回ってきたのは今朝です」
内容は詳しくない。
プレアリア側からは、自国内で通常の説明が困難な事象について複数の確認が行われており、エストラド側に類似例があるか問い合わせが来ている。
バルク側からも、表現こそ違うものの、同じく既知の原因では説明しにくい事象について情報を求める連絡が入っている。
具体的に何が起きたのかまでは、この紙には載っていない。
クラリスは何度も読み返した。
「三国とも……」
思わず口から出た。
ローウェンが紙へ視線を落としたまま答える。
「少なくとも、三国とも何かを調べ始めている」
「同じ現象かは分からない」
「ええ」
そこを間違えてはいけない。
プレアリアで何が起きたのか。
バルクで何が起きたのか。
まだ二人は知らない。
ただ一つ分かるのは。
エストラドだけではない。
「それぞれ、自分たちで気づいたんでしょうか」
クラリスが尋ねた。
「今の資料を見る限りでは、そう読めます」
ローウェンはそこで言葉を止めた。
断定はしない。
クラリスも続けなかった。
三国が、互いに何かを教え合った結果ではなく。
それぞれの土地で。
それぞれ何かに気づき始めている。
もしそうなら。
山の町で考えていた「ここだけではない」という可能性は、もう少し大きなものになる。
クラリスは文書を返した。
昨日まで、帰る先にあるのは王都だと思っていた。
今は違う。
王都の向こうに。
プレアリアとバルクまで見え始めていた。
◇
街道へ戻ってからも、クラリスは先ほどの文書について考えていた。
三国とも何かを調べている。
それだけなら、まだ同じ現象が起きているとは言えない。
けれど、もう一つ気になることがあった。
「比べにくいですね」
クラリスが言う。
「何がです?」
「報告の書き方です」
エストラドで集められている記録と、プレアリアやバルクから届いた照会。
使われている言葉も、何を重要な情報として記しているかも、完全にはそろっていなかった。
そもそも、それぞれが同じものを調べていると決まったわけではない。
だから当然ともいえる。
「言葉だけ合わせても駄目なんですね」
クラリスは続けた。
「同じ言葉で呼ばれていても、起きたことが違うかもしれない。逆に、違う言葉で書かれていても、実際には似たことが起きているかもしれません」
「では、何を比べます?」
ローウェンが尋ねる。
クラリスは少し考えた。
「起きたことそのものです」
誰が見たのか。
本人が何をしていたのか。
何がどう変化したのか。
一度だけなのか。
繰り返せたのか。
どこまで直接確認されているのか。
山の町で報告書を作った時、自分はそういうことばかり書いていた。
精霊が起こしたとは書かなかった。
奇跡とも書かなかった。
分からなかったからだ。
「結果的には、あの書き方でよかったのかもしれません」
「あなたが散々『分からない』と書いた報告書ですか」
「はい」
クラリスは笑った。
分からないことを分からないまま残した。
そのおかげで、これから別の国の記録が届いても、最初から答えを合わせる必要がない。
自分たちが見たものと。
彼らが見たものを。
まず並べればいい。
「戻ったら、大変そうですね」
クラリスが言う。
「何が?」
「読むものが増えます」
ローウェンが笑った。
「それは間違いないでしょうね」
クラリスも笑ったが、その言葉は冗談だけではなかった。
これまで調べていたのは、一つの事件だった。
今。
机の上へ並べなければならないものが、三つの国から集まり始めている。
◇
その日の夕方。
休息のため馬を止めたクラリスは、鞄から手帳を取り出した。
一緒に父の地図の端が引っかかり、折り畳まれた紙が膝の上へ滑り落ちる。
拾い上げようとして、手が止まった。
十五年前。
エストラド。
プレアリア。
バルク。
三国から来た人々は、互いが集まっていることを知らないまま、同じ集落へたどり着いた。
そして話し合い、一つの隊列になった。
今日知ったことが頭に浮かぶ。
現在も、エストラドだけが動いているわけではない。
プレアリアも。
バルクも。
それぞれの側で、説明のつかない何かについて確認が始まっている。
クラリスは地図の上へ手帳を重ねた。
似ている。
けれど。
まだ、それだけだった。
十五年前に三国が何を知っていたのか分からない。
現在、プレアリアとバルクで何が起きているのかも分からない。
同じ理由で三国が動いていると考えるには、材料が足りなかった。
「ローウェンさん」
少し離れたところで馬具を確かめていたローウェンが振り返る。
クラリスは地図を示した。
「十五年前も、三国でした」
ローウェンは隣まで来て、地図を見る。
「そうですね」
それ以上は言わなかった。
クラリスも続けなかった。
今ここで線を引けば、簡単だった。
十五年前と現在は同じだ。
父たちも、今起きているものを追っていた。
そう決めてしまえば、すべてが一つにつながって見える。
だから決めない。
クラリスは地図を畳み、手帳だけを開いた。
『現在、エストラド、プレアリア、バルクの三国で、それぞれ説明困難な事象について確認の動きあり。』
そこまで書く。
十五年前については書かなかった。
今確かめられたことと。
まだ考えているだけのこと。
二つを同じ行には置かなかった。
クラリスは手帳を閉じた。
三国が動き始めている。
それだけでも、十分に大きな変化だった。
山の町で始まった問いは。
もう、一つの国だけで答えを探せるものではなくなりつつあった。
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