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異世界外交官クラリス ~魔法が無い世界で魔法が生まれる瞬間に立ち会ってしまいました~  作者: 飯山知 春。


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第11話 西への道

王都アストレアを囲む城壁が、朝日に白く照らされていた。


南門とは違い、西門は旅人と商隊のための門である。


荷を積んだ馬車が列をなし、馬のいななきと車輪の軋む音が絶えない。


街道へ出ようとする者。


王都へ帰ってきた者。


その流れが、門の内と外で交差していた。


クラリスは馬上から、その光景を静かに眺めていた。


「緊張していますか。」


隣を進むローウェンが尋ねる。


「少しだけ。」


そう答えてから、小さく笑う。


「いいえ。本当は、かなりです。」


ローウェンも微笑んだ。


「それで十分です。」


「緊張しなくなった外交官は、思い込みで判断するようになります。」


「緊張は、人の話を聞くために必要なものです。」


クラリスはゆっくりと頷いた。


門を抜ければ、もう王都の外。


新人外交官としての日常は、そこに置いていくことになる。


「局長から預かった紹介状は。」


「こちらに。」


胸元の革筒を軽く叩く。


「旅券。」


「あります。」


「街道図。」


「こちらです。」


ローウェンは満足そうに頷いた。


「では。」


「最後に、一つだけ確認します。」


クラリスは姿勢を正す。


ローウェンは門の外へ視線を向けたまま、静かに口を開いた。


「第三使節団が王都を出発した日。」


「彼らは、この門を通りました。」


クラリスも城門を見上げる。


十五年前。


父も、この石畳を歩いた。


十三人の使節団も、この門をくぐった。


そして。


帰ってきた者はいない。


「局長がおっしゃっていました。」


クラリスが呟く。


「事件は、人から始まる、と。」


「ええ。」


「だから今回は。」


ローウェンはクラリスを見る。


「書類より先に、人を見てください。」


「プレアリアの人々を。」


「商人を。」


「兵士を。」


「族長を。」


「そして、旅人を。」


「彼らを知ることが、この事件を知る第一歩になります。」


クラリスは大きく息を吸った。


父の足跡を追う旅ではある。


だが、それだけではない。


これから出会う人々を知る旅でもある。


その時だった。


「門を閉めるぞ!」


門番の声が響く。


到着した商隊を先に通すため、一時的に通行を止めるらしい。


十数台の荷馬車が、ゆっくりと門をくぐってくる。


クラリスは何気なく、その列を眺めた。


積み荷は、羊毛。


乾燥肉。


革。


どれも西方から運ばれてくる、ごくありふれた品ばかりだった。


──いや。


一台だけ。


荷台が空の馬車があった。


荷を運ぶためではなく、何かを迎えに来るような馬車。


御者は俯いたまま、誰とも目を合わせようとしない。


その馬車が通り過ぎる瞬間。


ローウェンの表情が、わずかに変わった。


「……?」


クラリスは気付いた。


ローウェンが、あの馬車だけを見ている。


「知っている方ですか。」


ローウェンはすぐには答えなかった。


馬車が門を抜け、王都の中へ消えていく。


それを見届けてから、小さく呟く。


「いいえ。」


「ですが。」


「予定より、ずいぶん早い。」


クラリスは聞き返そうとした。


しかしローウェンは、それ以上何も言わなかった。


西から来た空の馬車。


その違和感だけを残して。



門が再び開き、街道はいつもの賑わいを取り戻した。


「行きましょう。」


ローウェンが手綱を軽く引く。


二頭の馬はゆっくりと西門をくぐり、王都の外へ踏み出した。


背後では城壁が朝日に照らされ、白く輝いている。


クラリスは一度だけ振り返った。


外交局。


王城。


見慣れた街並み。


あの中で過ごした日々が、急に遠く感じられた。


「もう後戻りはできませんね。」


「ええ。」


ローウェンは穏やかに答える。


「ですが、外交官の仕事に終わりはありません。」


「王都を離れても、それは同じです。」


二人は街道を西へ進む。


街道の両脇には黄金色の麦畑が広がり、その向こうには緩やかな丘陵が続いていた。


王都近郊らしい、穏やかな風景だった。


しばらく無言で馬を進めていると、クラリスが口を開く。


「先ほどの馬車ですが……。」


「気になっていますか。」


「はい。」


ローウェンは少しだけ考えるように視線を前へ向けた。


「街道では、空荷の馬車は珍しくありません。」


「荷を届けた帰り道なら。」


「ですが、あの馬車は違いました。」


「違う?」


「西から来たばかりでした。」


「それなのに荷がない。」


クラリスも思い返す。


羊毛を積んだ馬車。


革を積んだ馬車。


乾燥肉を積んだ馬車。


その列の中で、一台だけ何も積んでいなかった。


「迎えに来た……のでしょうか。」


ローウェンは首を横へ振った。


「分かりません。」


「分からないから、覚えておくのです。」


クラリスは静かに頷く。


確証はない。


だからこそ、決めつけない。


それが外交局で教わった調査の基本だった。



昼前になると、街道を行き交う旅人も少なくなってきた。


その頃、後方から蹄の音が近づいてくる。


商隊だった。


荷車は五台。


護衛の傭兵が六人。


最後尾には数頭の替え馬も連れている。


先頭の男が軽く会釈した。


「失礼。」


「西までですか。」


ローウェンが応じる。


「プレアリア国境まで。」


男は苦笑した。


「なら、途中までは一緒ですね。」


「最近は物騒でして。」


クラリスが尋ねる。


「盗賊ですか。」


「盗賊なら、まだ相手が分かる。」


男は困ったように笑った。


「最近は、それじゃない。」


「荷が届かない。」


「知らせが来ない。」


「理由は誰にも分からない。」


クラリスとローウェンは視線を交わした。


「街道が荒れているわけではないのですか。」


「ええ。」


「死体もない。」


「争った跡もない。」


「なのに、人や荷だけが予定どおりに着かない。」


男は肩をすくめた。


「商売人にとっては、化け物より始末が悪いですよ。」


笑ってはいた。


だが、その笑顔はどこか引きつっていた。


商隊は速度を上げ、二人を追い越していく。


その荷車が遠ざかるのを見送りながら、クラリスは静かに呟いた。


「十五年前だけじゃない……。」


ローウェンは答えなかった。


その沈黙が、何より雄弁だった。



昼を過ぎる頃には、王都の城壁は地平線の彼方へ消えていた。


見渡す限りの畑。


ところどころに林があり、その向こうには低い丘が続く。


街道は一本の帯のように西へ伸びていた。


「今日はどこまで進む予定ですか。」


クラリスが尋ねる。


「日暮れ前に、最初の宿場町へ入ります。」


「銀鹿亭ほど大きくはありませんが、街道の要所です。」


ローウェンは地図を広げた。


「商人も多く集まります。」


「西の話を聞くには悪くない場所でしょう。」


クラリスは頷いた。


「調査は、もう始まっているんですね。」


「ええ。」


「旅そのものが調査です。」



街道脇の小川で馬を休ませることにした。


栗毛は鼻先を水へ近づけ、静かに喉を鳴らす。


クラリスは水袋へ水を汲みながら、その様子を眺めていた。


「ヨルクさんのお話を思い出します。」


「馬を見れば、人が分かる。」


ローウェンも黒鹿毛の手綱を緩める。


「プレアリアでは、馬は財産であり、家族でもあります。」


「戦でも旅でも、一番長く隣にいる存在です。」


「だから、馬への接し方は、そのまま人柄になります。」


クラリスは栗毛の首筋を撫でた。


馬は気持ち良さそうに目を細める。


「私も、少しは信用してもらえたでしょうか。」


ローウェンは馬を見て、小さく笑った。


「その様子なら、大丈夫でしょう。」


クラリスも思わず笑みをこぼした。



再び街道へ戻る。


しばらく進むと、前方で旅人たちが立ち往生していた。


荷馬車一台。


向かい合う二頭の騎馬。


狭い道幅で、互いに譲れず困っているらしい。


「すまない。」


御者が頭を下げる。


「少しだけ下がってくれないか。」


「こちらも後ろが詰まっている。」


騎馬の男が困ったように答える。


険悪ではない。


ただ、動けない。


クラリスは馬を降りた。


街道脇へ歩き、足元を確かめる。


草は踏み固められていた。


車輪の跡も残っている。


「こちらへ寄せられます。」


御者が恐る恐る荷車を動かす。


車輪は草地へ滑り、十分な道幅ができた。


「助かった。」


騎馬の男たちが礼を言い、通り過ぎる。


御者も深々と頭を下げた。


やがて街道は何事もなかったように流れ始める。


ローウェンが静かに言った。


「よく見ていましたね。」


「以前にも荷車が通った跡がありましたから。」


クラリスは少し照れくさそうに答える。


ローウェンは小さく頷いた。


「争いは、始まる前に終わらせるものです。」


二人は再び馬を進めた。


街道には、旅人たちの穏やかな話し声が戻っていた。



午後の日差しが傾き始めるにつれ、街道の景色も少しずつ変わっていった。


整然と並んでいた畑は姿を減らし、代わって丈の低い草原が広がる。


羊の群れが草を食み、牧童が長い杖を肩に担いで歩いていた。


「ずいぶん景色が変わりましたね。」


クラリスが周囲を見渡す。


「王都の農地は、この辺りまでです。」


ローウェンは草原の向こうへ目を向けた。


「ここから先は放牧が増えます。」


「プレアリアに近づいている証拠でもあります。」


風が吹き抜ける。


草が波のように揺れ、さらさらと乾いた音を立てた。


クラリスは深く息を吸う。


「同じ国なのに、空まで違って見えます。」


ローウェンは静かに笑った。


「旅は、地図に描かれていないものを教えてくれます。」



しばらく進むと、小高い丘の上で馬を止めている老人がいた。


旅装は質素だったが、背筋は真っすぐ伸びている。


老人は西の空を見つめたまま呟いた。


「今日は風向きが違うな。」


独り言のようだった。


クラリスは馬を寄せ、軽く頭を下げる。


「こんにちは。」


老人も小さく会釈を返した。


「旅か。」


「はい。」


「プレアリアまで。」


「そうか。」


老人は短く答え、再び空へ視線を戻す。


「何か気になることでもあるのですか。」


クラリスが尋ねると、老人は草原の先を見渡した。


「鳥が少ない。」


クラリスも空を見上げる。


風は吹いている。


雲も流れている。


それなのに、鳥影はまばらだった。


「毎年、この時季なら、もっと飛んでいる。」


老人はそれだけ言うと、手綱を引いた。


「若い人。」


クラリスを見る。


「景色を覚えておきなさい。」


「景色は、人より正直だからな。」


老人は東へ向かって馬を歩かせた。


やがて、その姿は丘の向こうへ消えていく。



クラリスはしばらく空を見つめていた。


鳥は、やはり少ない。


西から吹く風が、外套の裾を静かに揺らした。


ローウェンは何も言わない。


クラリスも、何も尋ねなかった。


二人はそのまま、西へ馬を進めた。



夕暮れが近づく頃、最初の宿場町が見えてきた。


石造りの家々が街道沿いに並び、宿屋や鍛冶屋の看板が夕日に染まっている。


町の空には、鳥の姿がほとんど見えなかった。


「今日は、あの宿にしましょう。」


ローウェンが街道沿いの宿を指した。


二人は馬を預け、宿へ入る。


主人は二人を見るなり、申し訳なさそうに頭を下げた。


「部屋は空いております。」


「ただ……夕食は期待しないでください。」


「何かあったのですか。」


クラリスが尋ねる。


主人は苦笑した。


「西からの荷が来ないんですよ。」


「小麦も、塩も、干し肉も。」


「出発した知らせは届いているんですがね。」


「荷だけが着かない。」


主人は困ったように肩をすくめた。


「こんなことは初めてですよ。」



食堂には商人や旅人が集まっていた。


聞こえてくる話は、どれも西街道のことばかりだった。


「また荷が届かなかった。」


「商隊が三日遅れた。」


「国境で何かあったんじゃないか。」


誰も断言はしない。


それでも、不安だけは静かに広がっていた。


その時だった。


宿の外から慌ただしい足音が響く。


「伝令だ!」


誰かの叫び声に、食堂中の視線が入口へ集まる。


旅人たちが一斉に外へ飛び出した。


クラリスとローウェンも後を追う。



宿場町の西口。


一頭の馬が土煙を巻き上げながら駆け込んできた。


全身が汗で濡れ、脚は今にも崩れそうだった。


鞍の上には、王国伝令。


肩には折れた矢が突き刺さり、外套は血で黒く染まっている。


門番が駆け寄った。


「何があった!」


伝令は馬から転げ落ちる。


荒い息を繰り返しながら、門番の腕を掴んだ。


「西街道を……。」


息が詰まる。


口元から血がこぼれた。


それでも、最後の力を振り絞る。


「閉鎖……しろ……。」


手が力なく離れ、石畳へ落ちた。


辺りは水を打ったように静まり返る。


誰一人として動かなかった。


やがて、倒れそうになっていた馬が短くいなないた。


その声だけが、宿場町に響く。


クラリスは血に濡れた伝令を見つめたまま、言葉を失っていた。


西から吹く風が、静かに町を吹き抜ける。

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