↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界外交官クラリス ~魔法が無い世界で魔法が生まれる瞬間に立ち会ってしまいました~  作者: 飯山知 春。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/35

第10話 十人が消えた理由

夕暮れの街道を、二頭の馬が駆けていた。


西へ沈む陽が、長く伸びた二人の影を赤く染めていた。


クラリスは手綱を握りしめ、前方を見据えていた。


道には、草原馬の蹄跡が残っていた。


半日前に出発したプレアリアの商隊へ追いつくには、休まず進まなければならなかった。


それでも蹄跡が消えていないことだけが、まだ間に合うと告げていた。


「もうすぐ日が落ちます。」


ローウェンが馬を並べた。


「この先に川があります。」


「商隊が夜営するなら、その手前でしょう。」


クラリスは頷いた。


喉は渇き、手綱を握る指も痺れていた。


それでも速度は落とさなかった。


王都からの帰還命令には従わなかった。


今は、自分で選んだ道の先へ進むしかなかった。


やがて街道は緩やかな坂を下り始めた。


木々の間から、夕日を映す水面が見えた。


川だった。


その手前には、いくつもの天幕が並んでいた。


草原馬と荷馬車。


立ち上る焚き火の煙。


「いました。」


クラリスは馬を急がせた。


商隊の者たちも、近づく二人に気づいた。


数人が立ち上がり、腰の短剣へ手を掛けた。


その中央に、オルテムがいた。


彼はクラリスの姿を認めると、険しい表情を浮かべた。


「止まれ。」


低い声が飛んだ。


クラリスは商隊の手前で馬を止めた。


息を整え、鞍から降りた。


ローウェンも隣へ降り立った。


「帰れ。」


オルテムはそれだけ言った。


「話すことはない。」


クラリスは鞄へ手を伸ばさなかった。


調査命令書も、王都からの書状も取り出さなかった。


ただ、オルテムの前へ立った。


「ギル・ハルトさんを見つけました。」


オルテムの表情が変わった。


商人たちの間にも、動揺が走った。


「生きているのか。」


「はい。」


「深い傷を負っていましたが、治療師によれば峠は越えました。」


オルテムの肩から、わずかに力が抜けた。


だが、それも一瞬だった。


すぐに警戒を取り戻し、クラリスを見据えた。


「ギルは何を話した。」


「約束があること。」


「そして、あなたを追えと。」


「それだけです。」


オルテムは黙った。


クラリスも、その場から動かなかった。


「私は、秘密を話してもらうために来たのではありません。」


「では、何をしに来た。」


「謝りに来ました。」


オルテムの眉が、わずかに動いた。


クラリスは深く頭を下げた。


「私は、あなたの言葉を聞こうとしませんでした。」


「十人を救うためなら、自分のやり方を押し通してもよいと思っていました。」


「お父上との約束まで傷つけました。」


川の流れる音が、夕暮れの静けさへ響いていた。


「申し訳ありませんでした。」


オルテムは、すぐには答えなかった。


やがて低い声で尋ねた。


「謝るためだけに、王都の命令を無視してきたのか。」


クラリスは顔を上げた。


「いいえ。」


「十人を救うために来ました。」


「ですが、今度は自分の答えを押しつけません。」


「私に何ができるのか。」


「失踪した十人を救うために、何をすべきなのか。」


「あなたの言葉を聞かせてください。」


「外交局の命令を持ち出すつもりはありません。」


「王国の権限を使うつもりもありません。」


クラリスは胸元の外交局の紋章へ触れた。


「それでも、私はエストラドの外交官です。」


「国の責任から逃げることはできません。」


「同時に、今助けを求めている人を見捨てることもできません。」


もう一度、深く頭を下げた。


「力を貸してください。」


「そして、私にも力を貸させてください。」


長い沈黙が流れた。


商隊の者たちは、誰も口を開かなかった。


焚き火の中で、薪が小さく爆ぜた。


やがてオルテムは、商隊の向こうへ視線を向けた。


川の西側。


森と丘が重なる方角だった。


「十人は生きている。」


クラリスは顔を上げた。


「どこにいるのですか。」


「この先だ。」


オルテムの声には、先ほどまでとは違う緊張が混じっていた。


彼は沈みかけた太陽を見上げた。


「だが。」


「今も生きているとは限らない。」



商隊の焚き火が風に揺れていた。


オルテムは地面へ膝をつき、土の上へ一本の線を引いた。


「これが街道だ。」


指先で川と丘の位置を描き加えた。


「第三使節団が使った古い道は、この先で北へ分かれる。」


クラリスは土の地図と手元の街道図を見比べた。


街道図に、その分かれ道は記されていなかった。


「廃道ですか。」


「ああ。今は商人も使わない。」


オルテムは丘の奥へ小さな円を描いた。


「この谷に古い石小屋がある。」


「十五年前、使節団が身を隠した場所だ。」


ローウェンが尋ねた。


「現在の使節団も、そこにいるのですか。」


「ギルから知らせを受け、俺たちが移した。」


クラリスは息を呑んだ。


「では、使節団は襲われたのではなく。」


「襲われる前に姿を消した。」


オルテムは静かに続けた。


「王都を出た後、ギルが使節団へ接触した。」


「馬車へ、第三使節団を知る者からの警告が入れられていた。」


「警告?」


「このまま第二中継所へ向かえば、全員殺されるとな。」


ローウェンの表情が引き締まった。


「誰が警告を。」


「分からない。」


「だが、十五年前に決めた合図が記されていた。」


「第三使節団の者にしか分からない印だ。」


クラリスの脳裏に、街道で発見された馬車が浮かんだ。


荷は残され、馬だけが外されていた。


争った痕跡はなかった。


「あの馬車は……。」


「使節団が自分たちで降りた。」


オルテムが頷いた。


「ギルは十人を古い道へ逃がし、馬車だけを残した。」


「その後、連絡を受けた俺たちが谷へ食料を運んだ。」


クラリスは問いかけた。


「では、なぜ王国へ知らせなかったのですか。」


口にした瞬間、その理由が脳裏をよぎった。


外交局の文書は差し替えられていた。


閲覧記録から名前も消されていた。


使節団を狙う者は、王国内部にいるかもしれなかった。


「誰を信じればいいか分からなかった。」


オルテムが言った。


「使節団の中にも、ギルを信じない者はいた。」


「正体も知れない男の警告で予定を変えたんだ。」


「王都へ戻るべきだという者もいた。」


「だが、戻る道にも敵がいるかもしれない。」


「進むことも、戻ることもできなくなった。」


ローウェンは土の地図へ目を落とした。


「それで谷へ身を隠した。」


「ああ。」


「俺がプレアリアへ入り、安全な道を確かめるまで待つはずだった。」


オルテムは拳を握り締めた。


「だが今朝。」


「谷へ向かった仲間が戻らなかった。」


クラリスの胸がざわついた。


「ギルさんを襲った者たちが、谷の場所を知った。」


「そのために鞄を奪った可能性があります。」


ローウェンは静かに頷いた。


見張り小屋に残されていた空の革鞄。


焼かれた紙。


『十三人目』という文字。


敵が探していたのは証拠ではなかった。


生き残った者たちの居場所だった。


「谷まで、どのくらいですか。」


「馬なら一刻ほどだ。」


オルテムは立ち上がった。


「だが、夜の森は馬では進めない。」


「途中から歩く。」


商隊の者たちが静かに支度を始めた。


弓や短剣を確かめ、縄と松明を手に取った。


旅商人の顔は消え、草原を生き抜く戦士の目になっていた。


ローウェンは腰の剣へ手を添えた。


「私たちも同行します。」


オルテムは彼を見た。


「戦えるのか。」


「必要な程度には。」


続いてクラリスへ視線を向けた。


「お前は。」


クラリスは一瞬だけ迷い、首を振った。


「戦えません。」


「ですが。」


鞄から街道図と筆記具を取り出した。


「道と記録なら扱えます。」


「それしかできませんが、行きます。」


オルテムは小さく息を吐いた。


「役に立つかどうかは、谷へ着いてから決めろ。」


そう言って草原馬へ跨った。


商隊から六人が同行し、残る者たちは荷と馬を守るため川辺へ残った。


クラリスも鞍へ上がった。


夜の森は闇に沈んでいた。


その奥で、十人が救いを待っていた。


「出るぞ。」


オルテムの声とともに、一行は夜の森へ駆け出した。



日が沈むと、森は急速に暗さを増した。


松明の炎が、木々の幹を不規則に照らしていた。


一行は街道を外れ、獣道のような細い道へ入った。


枝が顔を掠めた。


馬の蹄が、湿った土を踏みしめた。


やがてオルテムが片手を上げた。


全員が馬を止めた。


「ここからは歩く。」


馬を木へつなぎ、一行は松明を手に森の奥へ入った。


足元には、土と苔に覆われた石畳が続いていた。


クラリスは屈み込み、石の表面を確かめた。


浅い溝が刻まれていた。


円。


その中へ伸びる三本の線。


銀鹿亭の預かり札と同じ印だった。


「これは。」


オルテムが振り返った。


「古い街道の印だ。」


「銀鹿亭のものではないのですか。」


「宿の主人が使っていたのは、この印を写したものだ。」


クラリスは苔を払いながら尋ねた。


「何を示す印なのですか。」


「知らん。」


オルテムは短く答えた。


「父も、銀鹿亭の主人も知らなかった。」


「ただ、この道を使う者は昔から同じ印を目印にしていた。」


クラリスは手帳へ手を伸ばしかけた。


だが、止めた。


今は記録よりも先を急ぐべきだった。


一行はさらに森の奥へ進んだ。


しばらくして、先頭の男が足を止めた。


松明を地面へ向けた。


泥の上には、いくつもの靴跡が残っていた。


オルテムは膝をつき、跡へ指を当てた。


「新しい。」


ローウェンも周囲を見回した。


「谷へ向かっています。」


クラリスが尋ねた。


「使節団の足跡でしょうか。」


オルテムは首を振った。


「違う。」


「使節団には谷を出るなと伝えてある。」


「それに、この数は多すぎる。」


一行は足を速めた。


やがて水音が近づき、森が途切れた。


切り立った岩壁に囲まれた谷が、暗闇の中に姿を現した。


谷の奥には石小屋があった。


だが、その入口は崩れた岩で塞がれていた。


入口の前には、一人の男が倒れていた。


「バルド!」


仲間が駆け寄った。


朝、谷へ向かったまま戻らなかった男だった。


肩を切られていたが、息はあった。


男は薄く目を開けた。


「中に……十人……。」


「無事か。」


「生きている。」


苦しそうに息を吐いた。


「だが……入口を崩された。」


ローウェンが岩を見上げた。


「ほかの入口は。」


オルテムは首を横へ振った。


「ない。」


「小屋の奥は岩山へ続いている。」


「空気穴はありますか。」


「昔はあった。」


「だが、場所は分からん。」


オルテムたちは岩へ手を掛けた。


力を合わせても、大岩は僅かにも動かなかった。


その時だった。


コン。


コン。


コン。


岩の向こうから、石を叩く音が響いた。


中に人がいた。


まだ生きていた。


クラリスは岩壁を見上げた。


崩された入口。


古い石小屋。


そして、ここへ来るまで何度も見た三本線の印。


道を示す印なら、この先にも残されているはずだった。


松明を掲げ、岩壁に沿って歩いた。


「クラリス。」


ローウェンが呼んだ。


返事はせず、岩肌を一つひとつ確かめていった。


指先に、小さな窪みが触れた。


苔を払った。


そこにも同じ印が刻まれていた。


だが、これまでとは違った。


三本のうち、最も長い線が岩壁の下を指していた。


視線を追った。


草木に覆われた岩陰。


そこから冷たい風が吹き出していた。


クラリスは草を掻き分けた。


人が一人、身を屈めれば通れそうな隙間が現れた。


「ここです。」


オルテムたちが集まった。


隙間の奥には暗い空洞が続いていた。


「空気穴ではありません。」


「通路です。」


「なぜ分かった。」


オルテムが尋ねた。


クラリスは印を指差した。


「この印だけ、一本の線が入口を示しています。」


オルテムは印を見つめ、短く頷いた。


「俺が先に行く。」


「私も行きます。」


「狭い。」


「だからです。」


クラリスは外套を脱いだ。


ローウェンが縄を差し出した。


「腰へ結んでください。」


縄を巻き、小さな油灯を受け取った。


地面へ膝をついた。


穴の奥から冷たい空気が流れてきた。


喉が強張った。


だが、その先には十人がいた。


クラリスは息を整え、暗闇の中へ身体を滑り込ませた。



通路は、人一人がようやく進めるほどの広さしかなかった。


岩肌へ肩や膝を擦りながら、クラリスは少しずつ奥へ進んだ。


油灯の炎が小さく揺れていた。


後ろからオルテムが続いた。


やがて通路は下り始めた。


湿った土。


古い木の根。


岩の隙間を流れる水。


それらを越えた先で、不意に空間が広がった。


石造りの細い回廊だった。


「人が造った道……。」


クラリスの声が暗闇へ反響した。


壁には見たことのない文字が刻まれていた。


その隣には、見覚えのある印があった。


円。


三本の線。


さらに、三つの山。


二本の川。


一つに重なる輪。


意味は分からなかった。


だが、ただの空気穴ではないことだけは確かだった。


「先だ。」


オルテムに促され、クラリスは歩き出した。


やがて回廊の先から声が響いた。


「誰かいるのか!」


クラリスは油灯を掲げた。


「エストラド外交局です!」


「助けに来ました!」


一瞬の静寂があった。


続いて、いくつもの声が返ってきた。


回廊を抜けると、小さな石室が現れた。


そこに、十人がいた。


使節六名。


護衛四名。


疲れ切った表情をしていたが、全員が生きていた。


一人だけ脚を負傷し、壁へ身を預けていた。


クラリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。


書類の上でしか知らなかった十人が、今、目の前にいた。


「クラリス・ヴァインです。」


震えそうになる声を整えた。


「皆さんを保護します。」


白髪交じりの男が立ち上がった。


「外交局長付きのハインツ・ローデンだ。」


名簿にあった使節団長だった。


「王都は。」


「皆さんを捜しています。」


「和平会談は延期されました。」


ハインツは目を閉じ、深く息を吐いた。


「そうか。」


その表情に安堵はなかった。


「我々は国を裏切ったわけではない。」


「分かっています。」


クラリスは即座に答えた。


ハインツは静かに首を振った。


「我々は警告を受けた。」


「王都へ戻っても、プレアリアへ向かっても殺されると。」


「誰からですか。」


「名はなかった。」


ハインツは懐から小さく折り畳まれた紙を取り出した。


「ただ、この印だけが描かれていた。」


紙には、円と三本の線が描かれていた。


クラリスはオルテムを見た。


オルテムも静かに頷いた。


「十五年前。」


ハインツは続けた。


「第三使節団が残した秘密の合図だと、ギル・ハルトは言った。」


「ギルさんは生きています。」


クラリスが告げた。


ハインツは目を見開いた。


「傷は負っていますが、命に別状はありません。」


石室に安堵の空気が広がった。


「皆さんが無事なことも、すぐ王都へ知らせます。」


「その前に。」


ハインツは懐へ手を入れた。


取り出したのは、細長い黒い石片だった。


表面には、見慣れない文字が刻まれていた。


「これは警告の紙とともに馬車へ入れられていた。」


クラリスは慎重に受け取った。


石は、不思議なほど冷たかった。


「何でしょう。」


「分からない。」


ハインツは首を振った。


「だが、通訳官が一部だけ意味を推測した。」


石片の中央には三種類の文字があった。


その下には、円と三本の線が刻まれていた。


「何と読んだのですか。」


石室の隅から声がした。


「精霊は。」


脚を負傷した通訳官だった。


男は苦しそうに息を整えながら続けた。


「精霊は、血へ応える。」


石室が静まり返った。


「そして。」


「その力は、命の年月を喰らう。」


クラリスは石片へ視線を落とした。


精霊。


命の年月。


古い物語でしか聞いたことのない言葉だった。


オルテムが通訳官を見た。


「その言葉を、どうやって読んだ。」


「すべてを読めたわけではない。」


通訳官は首を横へ振った。


「三国に伝わる古い伝承の中に、同じ文字の並びが残されている。」


「そこに記された意味から推測した。」


クラリスは息を呑んだ。


「十五年前。」


通訳官は石片を見つめた。


「第三使節団も、同じものを見つけた。」


クラリスは身を乗り出した。


「どこで。」


通訳官はゆっくり首を横へ振った。


「その場所を知る者が。」


「十三人目だ。」



夜明け前。


オルテムは隠し通路を引き返し、外で待つ仲間たちを呼んだ。


石室の内側と外側から崩れた岩を調べ、隙間へ縄を通した。


丸太を梃子に使い、何度も力を合わせた。


やがて、大岩が鈍い音を立てて傾いた。


さらに周囲の岩を取り除くと、戸板を通せるほどの隙間が開いた。


夜が明ける頃。


十人の使節団は、全員が谷の外へ運び出された。


負傷者は戸板へ乗せられ、商隊の者たちが交代で担いだ。


川辺へ戻ると、伝令役として一人の商人が宿場町へ向かった。


外交局と街道警備隊へ、使節団全員の生存を知らせるためだった。


クラリスは川のほとりで、手の中の黒い石片を見つめていた。


「終わりましたね。」


背後からローウェンの声がした。


クラリスは静かに首を振った。


「十人は見つかりました。」


「ええ。」


「ですが、事件は終わっていません。」


石片には見慣れない文字が刻まれていた。


円と三本の線。


そして、通訳官が推測した言葉。


精霊。


血。


命の年月。


どれ一つ、その意味は分からなかった。


ローウェンは頷いた。


「十人の失踪については説明できます。」


「警告を受けた使節団が、自ら馬車を離れた。」


「ギルとオルテムたちが彼らを匿った。」


「そして、何者かが居場所を探していた。」


「ここまでは事実です。」


クラリスは石片へ視線を落とした。


「ですが。」


「誰が使節団を狙ったのか。」


「十五年前、第三使節団は何を見つけたのか。」


「まだ何も分かっていません。」


「だから、調べるのです。」


ローウェンの声は穏やかだった。


クラリスは使節団へ目を向けた。


焚き火を囲み、水を分け合い、傷ついた仲間を支える十人。


もし王都へ戻っていたら。


彼らは、あの岩の向こうに閉じ込められたままだった。


「後悔していますか。」


ローウェンが尋ねた。


「いいえ。」


「責任は負います。」


「ですが、選び直したいとは思いません。」


ローウェンは小さく頷いた。



その日の午後。


一行は宿場町へ戻った。


ギルはまだ寝台の上にいたが、十人の姿を見ると、弱々しく笑った。


言葉はなかった。


それでも使節団の者たちは、一人ずつ彼の手を握った。


ギルが十五年間守り続けた約束は、ようやく十人の命を救った。



数日後。


王都アストレア。


局長室の机には、黒い石片と数冊の報告書が並んでいた。


エリアスは報告を聞き終えると、静かにクラリスを見つめた。


「帰還命令に従わなかった件と、今後の任務について伝えます。」


クラリスは背筋を伸ばした。


「申し開きはありません。」


「帰還しないことを最初に申し出たのは、私です。」


エリアスはローウェンへ視線を向けた。


「課長は。」


「最終的に承認したのは私です。」


「責任は私にもあります。」


「そうですか。」


エリアスは書類を閉じた。


しばらく沈黙が流れた。


やがて一枚の辞令を取り上げた。


「まず、現在の任を解きます。」


「クラリス・ヴァイン。」


「本日付で、十人失踪事件の調査補佐を解任します。」


胸の奥が小さく痛んだ。


覚悟していた。


「承知しました。」


深く一礼した。


「続いて、新たな辞令です。」


机の上へ、もう一枚の書類が置かれた。


「第三使節団特別調査官に任命します。」


クラリスは顔を上げた。


「特別調査官……。」


「十人失踪事件は解決しました。」


エリアスは石片へ指先を置いた。


「ですが、第三使節団を巡る事件は終わっていません。」


「この石について、王宮の歴史官へ確認しました。」


「現在使われている三国の文字ではありません。」


ローウェンが尋ねた。


「では、通訳官が意味を推測できた理由は。」


「三国それぞれに伝わる古い建国伝承に、同じ文字の並びが残されていました。」


エリアスは三冊の古い書物を机へ並べた。


エストラド。


プレアリア。


バルク。


異なる国の、異なる建国伝承。


だが、一節だけは共通していた。


『三つに分かれし民、古き誓いのもとに再び集う。』


クラリスは息を呑んだ。


「十五年前の第三使節団は。」


エリアスが静かに続けた。


「三国の成り立ちに関わる何かを見つけた可能性があります。」


「そして、その事実を隠そうとする者がいる。」


クラリスは辞令へ視線を落とした。


「十三人目が、その場所を知っている。」


「おそらく。」


「ですが、赴任先は分かっています。」


エリアスは一枚の名簿を差し出した。


第三使節団の原本だった。


最後の一行だけ、ほかとは違う色のインクで記されていた。


名前。


役職。


そして赴任先。


クラリスは、その最後の項目をゆっくり読み上げた。


「プレアリア大ハン国。」


局長室に静寂が落ちた。


エリアスは壁の地図へ歩み寄った。


指先が国境を越え、西へ伸びた。


「新しい任務です。」


「十三人目を捜しなさい。」


「そして。」


指先が広大な草原で止まった。


「十五年前、第三使節団が何を見たのか。」


「その答えを持ち帰ってください。」


クラリスは辞令を両手で受け取った。


王都へ戻れば、以前と同じ日常が待っている。


そう思っていた。


だが、その日常へ戻ることは、もうなかった。


「承知しました。」


窓の外には昼の空が広がっていた。


高い空に、白い月が浮かんでいた。


クラリスは静かにその月を見つめた。


西へ続く草原が、彼女を待っていた。

「続きも読みたい!」と思っていただけたら、ブックマークや★★★★★で応援していただけるとうれしいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。