第五十八陣 運命を分かつ三分間
「くそっ……、もう、ボイラーの圧力が限界だ……っ!」
操縦桿から伝わる手応えが、目に見えて軽くなっていく。
漆黒の機巧武者【ヴェレス】の放つ黒蝕領域は、クラウスの心臓部を確実に凍らせつつあった。無人機巧武者の完璧な連携を捌くだけで精一杯だというのに、機体の出力そのものが失われれば、文字通り一巻の終わりだ。
「諦めろ、佐藤尋人。お前たちの敗北という未来は確定している」
イワンの冷徹な声が、耳障りなノイズのように響く。
ここまで来て、打つ手がないまま終わるのか――尋人が奥歯を噛み締めた、その時だった。
「――いいえ。その未来、私が変えてみせるわ!」
内部回線に飛び込んできたのは、力強い詩織の声だった。
「詩織さん……っ!?」
「尋人君、みんな聞こえる!? イワンが弱体化波動を展開した瞬間から、霊子演算器をフル稼働させて解析していたわ! 解除術式の外形はもう完成している! あとは、今この瞬間に天岩戸で弥生が捧げている祈り――その純粋な霊子波動と、黒蝕領域の固有波形を結合させるだけよ! ……あと『三分間』だけ、何とか凌いで!』
「三分間だって……っ!?」
尋人の背中に、冷たい戦慄が走る。
一瞬の交差、わずか数秒で生死が決まる機巧武者同士の戦闘の最中、出力を奪われながら一方的に押し込まれているギリギリの現状で、「三分間」戦線を維持し続けるなど、不可能にも思える長い時間だった。
「だったら、私がそのための時間を作ってあげる!」
絶望的な条件に反応したのは、近くのバギーカーで控えるエレナの声だった。
「エレナ!?」
「六花分隊の技術担当をナメんじゃないわよ! 尋人、みんな! 今からそっちの機体に、過負荷の術式を送り込むわ! もってちょうど三分間! 命を燃やして、詩織さんの術式転送まで凌ぎなさい!」
ガガガガガガッ!!
エレナが凄まじい勢いで霊子演算器を操り、実行キーを叩き割らんばかりの勢いで押した。
その瞬間――クラウス、桔梗、氷閃、鳳凰の霊子硝子盤に真っ赤な警告画面が表示される。尋人たち四人は、何のためらいもなく、ほとんど同時に承認ボタンを押し込んだ。刹那、眩い光と共に四機のボイラーが狂ったように圧力を増していく。
「おおおおおっ! 出力が……、一気に跳ね上がっていく!」
「ゴー、ヒロト! ブチかませーー!!」
エレナが絶叫した。
シュゴォォォォオオオッ!!
弱体化波動の闇を強引に吹き飛ばすように、四機の排気筒から凄まじい熱量が噴き出す。
クラウスの大太刀が、桔梗の打刀が、氷閃の青龍刀が、鳳凰の巨大な三節棍が、凄まじい出力を纏ってイワンの護衛機たちへと襲いかかった。自壊の恐怖など捨て去った、文字通りの限界突破。四機は圧倒的な猛攻で無人機巧武者たちを強引に押し返していく。
だが、無人機たちも即座に最適解を演算し、完璧な連動で尋人たちの攻撃を捌いていった。その隙の無い防御陣の前に、出力が上がったにも関わらず、徐々に押し戻される尋人たち。限界駆動を続けるクラウスの装甲の隙間からは、すでにパチパチと不規則な火花が飛び散り始めていた。
――残り、一分三十秒。
まだ半分もある。このままでは、ボイラーが破裂する方が先かと思われた、その矢先。
ヒヒィィィィンッ!!
激しい戦闘の轟音を引き裂き、一頭の白馬が街道の斜面を猛然と駆け下りてきた。
手綱を握るのは、重い機巧甲冑をすべて脱ぎ捨て、身軽な道着姿となった蘭。その後ろには朱塗りの甲冑を纏ったお千代が、大薙刀を構えていた。
「蘭っ! このまま敵陣に飛び込め!!」
「ま、まじっすか!? えーい、女は度胸だ!!」
蘭は額を馬の鬣に擦りつけんばかりに、頭を低く屈めると、激しく手綱を前後する。お千代は背後の馬の背で、腰を浮かして臨戦態勢に入った。
黒蝕領域の中に入っても加速し続ける人馬に、イワンのヴェレスが、わずかにたじろぐような挙動を見せる。
「ば、馬鹿な! 奴らの足止めには、無人機巧武者を向かわせたはず! いや、それよりも、私の黒蝕領域のなかで、なぜ平然と動ける……! ――まさかっ!! 周囲の蒸気機関や霊子機構の出力を強制低下させる我が波動……、何も纏っていない生身の人間には、減退させるべき出力そのものが存在しないというのか……っ!?」
完璧だったはずの計算盤面に突如現れた、原始的なバグ。イワンの冷徹な声が初めて動揺に大きく揺らいだ。
「アタシらを計算外にした報いだ、インテリ野郎っ!」
「からくり人形風情が、皇國武人を止められると思うな!」
お千代と蘭が同時に咆哮した。
想定外の事態に、無人機巧武者の連動がわずかに揺らいだ隙をお千代は見逃さなかった。馬から高く跳躍した彼女は、その一機の足元目掛け、流星の力を宿した大薙刀を渾身の力で振り下ろした。
ギシャァァァンッ!!
脚部が大破し体勢を崩す機体。すかさず阿吽の呼吸で、尋人のクラウスがとどめの大太刀を叩きつけた。一機撃破。
お千代と蘭がもたらしたこの混乱は、完璧だったはずのイワンの「断続的連動演算術式」を完全に狂わせた。
「今だ、畳み掛けるぞ!」
「応ッ!!」
「はあああッ!!」
勝機を見出した四機が連動する。暴発寸前のボイラーを唸らせ、氷閃の青龍刀が二機目を一刀両断し、鳳凰の三節棍が三機目を粉砕する。桔梗の打刀が四機目を貫き、クラウスの大太刀が一機を袈裟斬りに、返す刀でもう一機を逆袈裟斬りに叩き割った。
激しい爆炎と鉄屑が飛び散る中、ついに六機の無人機巧武者はすべて沈黙した。
残されたのは――イワンの漆黒の機巧武者、ヴェレスただ一機。
「くっ……!! だが、貴様らの機巧武者は間もなく駆動限界のはず!!」
イワンは時間を稼ごうと後退を試みる。
その時、無線から大鳥居の激しい怒号が響く。
「その動き、読めないとでも思ったか! 全砲兵部隊、目標、漆黒機の背後! 地形を破壊して奴の退路を断て!! 斉射、テーーーッ!!!!」
ドゴゴゴゴゴゴォンッ!!!!
イワンの背後で巻き起こる猛烈な爆炎と土煙。大きく陥没した街道に退路を塞がれ、動きを止める漆黒機。その一方で、尋人たちの機巧武者も限界が近づいていた。クラウスの機体が自壊の悲鳴を上げ、ボイラーが爆発寸前の臨界点に達した、まさにその瞬間――
「中和術式、構築完了! ただちに転送開始!! ――間に合えぇっ!」
詩織の緊迫した叫びと共に、送り込まれた術式がクラウスのコアへと流れ込む。その右手に握られた大太刀が、暗闇を払うような神々しい「七色の輝き」を放ち始めた。
黒蝕領域の禍々しい瘴気が、その七色の光に触れて霧散していくと同時に、清らかな霊脈が、暴走寸前だったボイラーの熱量を優しく包み込み、急速にその数値を安定させていく。過負荷による機体の自壊は、文字通り破滅の一歩手前で食い止められたのだ。再び、クラウスと桔梗を黄金に輝く「光の年輪」が包み込む。
「ありがとう、詩織さん!! これで、イワンと戦える!」
「ええ。これは弥生の、そして仲間のみんなの絆が紡いだ術式よ。――尋人君、未来をその手に!」
無線から響く詩織の声には、尋人への揺るぎない信頼に満ちていた。
勝機は、完全に揃った。尋人は七色に輝く大太刀を真っ直ぐに上段へと構え、怒りと焦燥に震えるイワンを正面に見据えた。
仲間の協力でついにイワンを追い詰めた尋人たち。
次回、イワンとの戦いが最終局面を迎えます!
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