第五十六陣 帝国のチェス、皇國の将棋
「くそっ……機体がいうことを効かない……!」
尋人は、急速に熱を失っていくクラウスの操縦桿を必死に握りしめていた。
漆黒の機巧武者【ヴェレス】が放つ黒蝕領域。その弱体化波動は、目に見えぬ足枷となってクラウスと桔梗を縛り付けている。計器の針は稼働限界まで落ち込み、再び機能停止に追い込まれるのは時間の問題だった。
眼前には、微動だにせず尋人たちを見下ろすヴェレスと、その後方に控える六機の無人機巧武者。
一方、背後では、散開していった十数機の無人機巧武者が刻一刻と皇都に迫っている。
皇都守備隊のほぼ全軍が、特務隊と共にこの戦場に展開している現状、一本木関門以外の皇都の要所を攻め込まれては、それを防ぐ手立ては、皇國軍にもはやなかった。
「フハハハ! 動けぬ駒に価値はない。これにて本当に終局だ。さあ、大人しく滅びたまえ!」
イワンの嘲笑が、二股口街道に響き渡る。
絶体絶命。尋人が歯ぎしりし、打開策を模索しようと思いを巡らせていた、その時。
「――まだ投了していない」
通信機に聞き慣れた落ち着いた声が聞こえた。皇國軍を指揮する大鳥居の声だった。
「誰だ? ――あ、君は先の皇都侵攻作戦の際、ずいぶん手こずらせてくれた指揮官か。君とは一度、チェスの相手をしたいと思っていたのだよ」
「それは光栄だが、この戦でお相手しよう」
「ん? 君ほどの指し手なら、状況が分からない訳ではあるまい。この勝負は、すでにチェックメイトした」
「西洋将棋ならな。……あいにく、皇國の将棋は――」
通信機の向こうで、大鳥居が不敵に、そして猛々しく笑う気配が伝わってきた。
「――取った敵駒を、自分の持ち駒として盤面に打てるんだよ!!」
ドンッ!! と割れるような重低音が、今度は「空」から鳴り響いた。
「な……に……っ!?」
イワンが驚きの声を上げる。
漆黒の機巧武者が仰ぎ見た上空――立ち込めていた黒煙と雲を乱暴に引き裂きながら、巨大な影が次々と姿を現した。
それは、重厚な鉄風船を膨らませ、無数の蒸気機関を轟かせる合衆国の巨大飛行船団だった。
その旗艦のブリッジから、聞き覚えのある高圧的で、しかしこれ以上なく頼もしい女性の声が無線に飛び込んでくる。
「あなたの計算に、合衆国と大秦国の加勢は入っているのかしら?」
「その声は、グロリアさん!?」
尋人が叫ぶ。合衆国の飛行船団からは、次々と特殊な蒸気落下傘を背負った陸戦兵たちが降下を開始していた。それは、合衆国の最新装備に身を包んだ、大秦国の特殊蒸気部隊。彼らは散開したイワンの無人機たちを阻むように、皇都の要所へ文字通り「新たな駒」として立ち塞がっていく。
「ば、馬鹿な……! 大秦国軍は帝国との国境戦線に釘付けにされているはず……。計算が合わん!」
「だったら数式が根本から間違ってたのね。次からは合衆国のフロンティアスピリットも計算に含めなさいな。ただ、人の情熱を計るのはなかなか難しくてよ」
グロリアの声に重なるようにして、今度は尋人たちのすぐ近く――二股口街道のバギーカーの無線からも声が響いた。
「グロリア! 相変わらず、タイミングのおよろしいことだ!」
「あら、その声はアーサーね。元気そうで何よりだわ。あとは紅茶でも飲みながら、ゆっくり観戦してなさい」
「ぬかせ! 合衆国だけに美味しいところを持っていかせるか。エレナ、行くぞ!」
「了解!」
黒蝕領域をその目で捉えた瞬間、二人の天才技術者は、真鍮のキーボードの上を踊るように指先を跳ねさせ、その反抗の糸口を紡いでいた。
「お父様、接続準備OKよ!」
「よし、エレナ! 二機に中和触媒を叩きこむぞ――いけぇッ!!」
ガキィィィンッ!!
クラウスと桔梗の足元のソケットに、金属同士が激突するような激しい接続音が鳴り響いた。
イワンの弱体化波動によって冷え切ろうとしていたボイラーに、ブリタニアの特殊触媒が強制的に注入される。次の瞬間、両機の排気筒から、目の覚めるような青白い高圧蒸気が噴き出した。
「出力が……戻ってきた! すげえ、停止を回避したぞ!」
「ありがとう、エレナ、アーサー公使!」
「ヒロト、凛! あいつの弱体化波動を完全に無効化できるわけじゃないけど、これで最低限の稼働は可能よ!」
「分かった! あとは任せろ!」
完全に火が消える寸前で、クラウスと桔梗の命脈は繋ぎ止められた。現場の技術者の機転と執念の後押しを受け、クラウスと桔梗が再び剣を構えた。
* * *
同時刻、一本木関門。
ゴオォォォッ!! と黒煙を吹き上げながら、二機の漆黒の無人機巧武者が関門へと迫っていた。
先ほどまでの無人機巧兵とは桁違いの質量と、最適化された無駄のない動き。それが、皇都へ通じる最短の玄関口へと牙をむく。
「……チッ、あのバカでかい移動要塞を倒したってのに、今度は機巧武者かよ……!」
蘭が満身創痍の体で、愛用の巨大な戦斧を構え直した。身に着けた機巧甲冑からは、オーバーヒートの白煙が上がっている。
「蘭ちゃん、泣き言を言う暇はないわよ。じき、ここにも大秦国の増援が来る。それまで、持ちこたえれば勝機はある!」
隣で朱塗りの具足を纏うお千代が、活を入れると、長大な大薙刀を鋭く一振りした。
その瞳には、怯えや諦めなど微塵もない。かつて戦場を震撼させた武神の炎が、激しく燃え盛っていた。
「足止め程度に二機、だったかしら? 随分と舐められたものね……。なりが大きくなっただけのからくり人形風情が、皇國武人を止めるつもりとは笑止千万!」
「おうよッ! ここは一歩も、一寸たりとも通さないんだからよぉぉぉッ!!」
お千代と蘭、二人の生身の傑物が、迫り来る漆黒の機巧武者に正面から躍り出た。
大薙刀の刃紋が激しく明滅し、巨大な戦斧が恐ろしいまでの執念を乗せて火花を散らす。
利害と恩讐が錯綜する各国の絆。
天才技術者の意地。
そして、前線を死守する戦士たちの不屈の魂。
イワンの描いた冷徹な盤面を叩き割るように、皇國とその仲間たちの限界突破の総力戦が今、幕を開けた。
昨日の敵は今日の友!
次回、あの機体が戦場に降り立ちます。
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