第四十七陣 トゥールビヨンの神髄
華やかなティーサロンでの会談とドタバタ劇が終わった翌日。エレナたちは引き続き、特務隊の地下格納庫でクラウスの改修に没頭していた。決戦までの猶予はあとわずか。作業にも熱がこもる。
キィィィィィン――ッ!
格納庫には、耳を劈く金属を削る高音と、過熱蒸気の激しい排気音が鳴り響いていた。
アーサーは、そんな喧騒の渦中にある格納庫に再び姿を現していた。上部回廊の手すりに手をかけ、冷静な観察者として眼下の光景を見下ろす。その瞳は、未だ計算高い外交官のそれだった。だが、彼の視線が捉えたのは、想像を絶するほど泥臭く、凄絶な少女の執念だった。
「くっ、そ……! まだ、ミリ規格のシャフトとインチ規格の軸受クリアランスが甘いわ! 詩織さん、クラウスの霊子ジャイロ、あと二ミリだけ右へ寄せて!」
「了解! ――ですがエレナさん、もう連続作業時間が十二時間を超過しています。これ以上の無理は……!」
「私は大丈夫! ここで一分の妥協でもしたら、死んでも後悔する! クラウスの右腕は、私の手で完璧に噛み合わせてみせるわ!」
叫ぶエレナの姿は、およそブリタニア王国の貴族令嬢とはかけ離れていた。
作業用のオーバーオールは、油と煤で真っ黒に汚れ、髪は乱れ放題。度重なる無理な力仕事によって、工具を握りしめるその指先は震えている。それでも彼女は、疲労に顔をしかめることすら拒絶するように、大型の真鍮スパナを渾身の力で締め付け、クラウスの過酷な物理改修にしがみついていた。
「おい、エレナ! スパナを貸せ、そこからは俺が力ずくで――」
「バカヒロトは引っ込んでなさい! このミリ単位の感覚は、ボルトの気持ちが分かる私にしか調整できないのよ!」
尋人が心配して手を伸ばすが、エレナはそれを鋭く撥ね退ける。
一切の妥協を許さず、ただひたすらに仲間の命を守るため、クラウスの右腕へその魂を組み込もうとする娘の横顔。
(……ああ、そうか)
上部回廊からそれを見つめていたアーサーの胸に、不意に強烈な追憶が走った。
油まみれになりながらも、決してその眼光を曇らせないエレナの姿に――かつて、自らの不治の病を知りながらも、武士の娘としての高潔な誇りを最期まで貫き通して笑顔で逝った、亡き妻の鮮烈な面影が完全に重なったのだ。
「お前は……どこまでもあの人の娘だな、エレナ」
アーサーの唇から、微かな呟きが漏れる。
同時に、彼の冷徹な頭脳が、目の前の光景を材料にして、もう一つの「方程式」を急速に弾き始めていた。
これまでのブリタニア王国の蒸気演算機が出した予測では、皇國の滅亡は確定していた。しかし、それは要素が足りていなかったからだ。
佐藤尋人という、規格外の霊子力を持つ乗り手の器の「大きさ」。
エレナ・ウィリアムズという、ブリタニア王国と皇國の技術を力ずくで融合させる天才の「技術」。
そして、泥舟と知りながらも互いのために命を散らすことを厭わない、六花分隊の強固な「絆」。
これらはすべて、データという数値には置き換えられない不確定要素。
もし――この熱量を持った量りに、ブリタニア王国が持つ「最先端の蒸気技術」という決定的な重りを投げ込んだとしたら、どうなる?
カチリ、とアーサーの脳内で歯車が噛み合った。
外交官としての打算が、一つの仮説を弾き出す。
あの雷帝アレクセイの【アイアン・クラーケン】を打倒する勝算は、ゼロではない。そして、もしそれが実現したならば、帝国の野望をここで完全に挫くことができる。皇國の勝利に貢献したブリタニア王国の権益と発言力は、戦後、確かなものとなるだろう。
それは答えというには、あまりにも僅かな可能性だった。
「……やれやれ。希望的観測が過ぎるとは、私も焼きが回ったものだ。『ギャンブルは好みではなかったんじゃないかしら』と、合衆国のグロリア辺りに笑われそうだな」
苦笑しながらアーサーは呟く。亡き妻への消えぬ愛。そして目の前で必死でもがく愛娘。家族への秘めたる想いが、計算高い冷徹な外交官を伸るか反るかの大博打へと駆り立てていた。
コツン、コツンと、アーサーは階段を降り、格納庫の床へと歩を進めた。
その気配に気づいた尋人たちが、ハッとして振り返る。
「……お父様? まだなにか?」
エレナがスパナを握ったまま、警戒感を露わにして父親を睨む。
だが、アーサーはそんな娘の視線を受け流し、仕立ての良いフロックコートを流れるような動作で脱ぎ捨てると、近くの作業台へ無造作に放り投げた。完璧に糊のきいた白いシャツの袖を、迷いなく肘の上まで捲し上げる。
「エレナ。パーツを馴染ませるのに苦労しているようだな。どれ、少し見せてみなさい」
「え……? お父様、素人が手を出していいもんじゃ……」
エレナが呆然と答えた瞬間、アーサーは工具箱から一本の小さな細工用レンチを流れるような手さばきで抜き取った。そして、クラウスの剥き出しになった右腕の駆動部に割り込み、目にも留まらぬ速さで三個の微細ネジを調整していく。
カチチチチ……、と、まるで精密な高級時計が時を刻むような美しい金属音が格納庫に響き渡った。直前までエレナを苦しめていたミリとインチの致命的な摩擦振動が、嘘のようにピタリと収まる。
「嘘……、一瞬で芯出しを!? そんな神業ができるのって、本国でも『ブリタニア王国のトゥールビヨン』って呼ばれた、伝説の主任設計技師くらいしか……」
そこまで言って、エレナは息を呑んだ。
いつも誇らしげに自称していたその異名。その伝説の天才技術者こそが――目の前でレンチを握る、自分の父親だったのだ。
「フッ。その異名で呼ばれたのは何年ぶりのことか……。なに、外交官の仕事も中々大変でね。気晴らしに、少しばかり現場の空気を吸いたくなったのさ」
アーサーは不敵に口元を歪めると、懐から重厚な真鍮装飾が施された小型霊子演算器を取り出し、エレナの目の前に突きつけた。そこには、本国で開発中の次世代超弩級戦艦に搭載予定である、霊流位相の完全同調術式――すなわち「ブリタニア王国の至宝」たる秘匿情報が並んでいた。
「これ、本国の最重要機密……! お父様、他国に漏洩したってバレたら、ただじゃ済まないわよ!」
「お前たちが勝てば、後から言い訳はどうとでもつく。これは特命全権公使としての『決断』だ。――エレナ、突っ立っている暇があるならスパナを持ってこっちに来い。ミリとインチの壁を力ずくで超越するのだろう?」
父親のその言葉に、エレナの瞳に猛烈な歓喜の火が灯った。
「――あったり前じゃない! 舐めないでよ、元祖トゥールビヨン!」
そこからの光景は、特務隊の誰もが言葉を失うほどの、圧倒的な「天才親子」の独壇場だった。
アーサーがミリ単位の歪みを一瞬で見抜いて指示を出し、エレナがそれに応えて驚異的なスピードでボルトを締め上げていく。二人の間に言葉はほとんど必要なかった。金属の叩き合う音、過熱蒸気の呼吸、そのすべてが完璧に同調し、規格の異なる異国のパーツが、まるで最初からそう作られていたかのようにクラウスへ吸い込まれていく。
油と煤にまみれながら、真剣そのもののプロの顔で並んで笑う親子の姿に、尋人は胸の奥が熱くなるのを禁じ得なかった。
「すっげえ……。これが、本物の技術者……!」
「尋人君。見とれている暇があるなら、君もコックピットへ入れ。テストしたいことがある」
アーサーは手を動かしたまま、鋭い声を飛ばした。
「公使館の地下には、我が国が密かに建造した『超高圧蒸気供給プラント』がある。幸い、この特務隊の格納庫とは地下の古い坑道を挟んで目と鼻の先でね。有事の相互融通のため、我が国の技術者が高圧配管で繋いでいたのさ」
アーサーは不敵に笑うと、格納庫の片隅にある制御盤へと歩を進めた。
彼が制御盤に暗号を打ち込むと、ガチリ、と地下の奥底で巨大な安全弁が開かれる重々しい金属音が響き渡る。
「公使権限をもって、閉鎖隔壁の全バルブを強制開放する。こいつをクラウスに流し込めば、出力が二割は増すはずだ」
「本当ですか!? ありがとうございます、お父さん!!」
「お父さんか……。言質は取ったぞ、尋人君」
「へ?」
「ちょ、お父様! こんな時にバカなこと言わないで!!」
天然な尋人とアーサー親子のやりとりに、緊張に包まれていた周りの特務隊員がドッと沸く。
エレナが顔を真っ赤にしながらも、
「ヒロト、最高の調整をしてあげるから、絶対に勝ちなさいよ!」
と叫び、さらに作業の速度を上げた。やがて、ブリタニア王国公使館の地下プラントから超高圧蒸気が濁流となって地下格納庫へ流れ込む。
雷帝アレクセイを迎え撃つための、必要なピースはここに揃いつつあった。
アーサーの華麗なる手のひら返しが炸裂!
次回は、改修してさらにパワーアップしたクラウスが、迫り来る帝国軍を迎え撃ちます。
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