第四十六陣 午後の紅茶、侍の国
「よし……! 詩織さん、このブリタニア製の霊子圧力バルブ、インチ規格のネジ山を皇國のミリ規格に削り直すわ!」
「了解! 並行して、真鍮と強化合金の摩擦係数、および霊子の同調ズレを分析します!」
特務隊の地下格納庫。エレナが公使館から無断で持ち帰った最新パーツを広げ、六花分隊の面々が額に汗して作業を続けていた。限られた猶予期間で、この規格の全く異なる部品をクラウスに組み込まなければ、帝国の侵攻に対抗できない。一同が必死に知恵を絞っていた、その時だった。
「――ふむ。随分と泥臭い場所を根城にしているのだね、我が娘は」
コツン、と革靴の音が響き、格納庫の入り口に突如として人影が落ちた。
全員の動きが凍りつく。そこに立っていたのは、仕立ての良い山高帽とフロックコートを完璧に着こなした男――ブリタニア王国の特命全権公使であり、エレナの父、アーサー・ウィリアムズその人だった。護衛も連れず、まるで散歩の途中に立ち寄ったかのようにふらりと現れたのだ。
「お、お父様……!? 何故ここに……っ!」
先刻、公使館を大脱走してきたばかりのエレナは、驚愕の表情を浮かべる。
しかし、アーサーは娘のつなぎ姿や、加工中のブリタニア製パーツには一瞥をくれただけで、特に咎めず、すたすたと尋人の前まで歩み寄った。
「佐藤尋人君、だったかね。――少し、ティーでもどうかね。一対一で、静かに話がしたい」
「え……っ? 俺と、ですか?」
突然の指名に尋人が目を丸くする。アーサーは有無を言わせぬ優雅な微笑みを浮かべ、尋人を促した。尋人は戸惑いつつも、エレナの父親を無視するわけにもいかず、
「……分かりました、お付き合いします」
と頷くしかなかった。
二人が格納庫を去った直後、エレナは頭を抱えて叫んだ。
「あいつ、絶対にヒロトを脅す気よ! 本国に拉致するか、クラウスの機密情報を渡せって迫るに決まってるわ!」
「エレナ、御父上をあまり悪く言うものではない。何か考えがあるのだろう。気にはなるが……」
凛がそう言ってなだめる。その時、弥生の懐に抱かれたにゃん丸が、鋭く声を張り上げた。
「尾行するにゃ!」
その言葉に、一同は顔を見合わせ、無言で深く頷いた。
* * *
皇都の中心部、美しい欧風庭園に面した格式高いティーサロンのテラス席。
二人の前のテーブルに運ばれてきたのは、銀製の三段ケーキスタンドにスコーンやサンドイッチ、色鮮やかな洋菓子が並ぶ、本場ブリタニアの『アフタヌーンティー』だった。白磁のティーポットからは、最高級のダージリンの芳しい香りが立ち上っている。
尋人が、慣れない高級な雰囲気に少し気後れしていると、アーサーは静かに紅茶を口に運び、遠い目をして庭園を見つめた。
「妻がこの店が好きだった。実は私の妻、つまりエレナの母親は皇國人でね」
「えっ、そうだったんですか?」
唐突な告白に尋人は驚いた。アーサーの言葉はどこか切なく、かつての温かい記憶を辿るようだった。
「どおりでエレナさん、異国の風を感じさせる華やかな美人だけど、何か親しみやすい可愛さもあるなと思っていたんですよ!」
尋人がぽんっと手を叩き、納得したように笑顔で応じる。
その瞬間、数メートルほど離れた大きな庭木の木陰で、大きなつば付き帽子とサングラスで変装して聞き耳を立てていたエレナの顔が、耳の裏まで一気に真っ赤に染まった。
「な、何言ってるのよあいつ……!」
と、エレナはあまりの気恥ずかしさに動揺して、隣の弥生の両肩を激しく揺さぶる。弥生は弥生で、
「まあ、尋人様ったら、エレナさんのことをそんな風に……!」
と、頬を赤らめてそわそわしていた。
しかし、そんな和やかな空気は長続きしなかった。アーサーの目が、再び冷徹な外交官のそれへと戻る。
「……単刀直入に言おう、尋人君」
アーサーはティーカップを傾け、淡々と告げた。
「君が先日、新型無人機巧兵の軍勢を退けた実力は認めよう。だが、数日後に迫るインペトラル帝国の大型移動要塞――雷帝アレクセイの【アイアン・クラーケン】は、それとは次元が違う。あれは理不尽な暴力の塊だ。皇國の滅亡は、どの選択肢を選んでも変わらない」
アーサーの目が、尋人を真っ直ぐに見据える。
「今なら、私の公使特権を使って、エレナと共に、君をブリタニアへ安全に亡命させてやることができる。君ほどのパイロットなら、我が国でも破格の待遇を約束しよう。このまま、沈みゆく泥舟と共に消えゆくのか、それとも賢明な選択をするか。君の『判断』を見せてもらおうか」
その質問を受けた尋人には、目の前の銀のケーキスタンドが、まるで未来をはかる天秤のように見えた。彼は、静かにティーカップを置くと、正面からアーサーの視線を受け止め、はっきりと告げた。
「その提案、ありがたい話ですが、お断りさせてください」
「……ほう。命が惜しくないと?」
「そりゃ、惜しいに決まってますよ」
尋人は苦笑しながらも、真摯な眼差しをアーサーに向けて言葉を続けた。
「でも、ここでみんなを見捨てて自分だけ生き残るなんて、賢明でもなんでもないです。エレナは、お父さんと決別する気で、俺たちのところに戻ってきてくれた。その覚悟を見せられておきながら逃げ出すなんて、それこそ、エレナにグーで殴られますよ。……楽天的というか能天気と思われるかもしれませんが、これまで、幾つもの修羅場をみんなでくぐってきました。その巨大要塞がどれだけ理不尽に強くても、俺たちが紡いだ絆で、皇國の未来は真っ直ぐにこじ開けてみせます! それが、俺の『判断』です」
その言葉には、一切の気負いや虚勢は感じられない。ただ歴戦の経験と仲間への信頼から出た、揺らぐことのない彼の矜持だった。
アーサーはしばらくの間、押し黙っていた。尋人のその一点の曇りもない自然体の佇まい、それはかつて、どんな苦難を前にしても決して誇りを捨てなかった亡き妻の、武士の娘としての高潔な姿を、思い起こさせた。
どんな計算式でも測れない、人間の意志の強さ。アーサーはフッと短く、しかしどこか愛おしむように息を吐き出し、静かに呟いた。
「……サムライの国か。これだから、皇國という土地は計算が狂う」
男同士の、張り詰めた対峙が一通り終わった、まさにその時だった。
スコーンの匂いに釣られて飛び出したにゃん丸を、慌てて捕まえようとした蘭が、勢い余って木陰の大きな植え込みに派手につまずいた。
「うわあああーーーっ!」
「押さないでよ!?」
「きゃああっ!?」
ガサガサガサッ!! ドササッ!!!!
騒々しい音を立てて植え込みが割れ、変装した少女たちが文字通り雪崩を打って地面に転がり出た。近くの席で新聞で顔を隠していた凛や詩織も巻き込まれ、テラスの正面へと派手に折り重なる。
「……」
アーサーがティーカップを置く手を止め、冷ややかな視線をそちらへ向けた。
「……ふむ。静かにティーの香りを楽しみたいのだが、そこの木陰の果実は、いささか騒がしすぎるようだね」
アーサーは優雅に、しかし痛烈な皮肉を込めて冷やかした。
エレナはサングラスを跳ね上げ、顔を再び真っ赤にして「う、うるさいわねっ!」と叫びながら、這う這うの体で、凛たちの後ろに隠れて縮こまった。尋人は思わずプッと吹き出し、そんな仲間たちを見て楽しそうに笑っている。
アーサーは給仕から帽子を受け取ると、席を立った。
「お代は置いていく。佐藤尋人君、君のその揺るぎない覚悟と、我が娘が選んだ絆の温度……確かに肌で感じさせてもらったよ。ブリタニア王国公使として、一人の父親として、数日後の結末を楽しみにさせてもらおう」
端正な足取りで去っていくアーサーの背中を、尋人は静かに見送った。
アーサーの姿が完全に見えなくなると同時に、木陰からエレナたちが一斉に飛び出してきた。
「ちょっとヒロト! さっきの『可愛さがある』って何よ! バ、バッカじゃないの!?」
「尋人様!! 本当に格好良かったです! もう、弥生は感動いたしました!」
「いやぁ、冷や汗かいたね! それより尋人、この残ったサンドイッチ、あたしが食べていい!?」
「蘭、はしたないぞ。……しかし、ブリタニアの洋菓子は乙女心がくすぐられるな」
「……凛。このくだり、毎回、私がツッコまないといけないですか?」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすエレナに、目を輝かせる弥生、そしてすでにちゃっかり席に座ってサンドイッチに手を伸ばしている蘭と洋菓子をうっとり見つめる凛。そんな二人を見て呆れる詩織。
いつも通りの騒がしくて温かい仲間たちに囲まれながら、尋人は朗らかに笑い、迫りくる決戦へ向けて、胸の奥の闘志をさらに熱く燃え上がらせるのだった。
最後のセリフの応酬は、各ヒロインの個性がにじみ出ていましたね(笑)
さて次回は、再びクラウスの改修に取り組むエレナたち。
依然難航するブリタニア製のパーツ取り付けを解決するのは意外な人物……?
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