第四十四陣 巨大移動要塞 アイアン・クラーケン
海を隔てた皇國の北、インペトラル帝国不凍港に設置された対皇國侵略拠点。
その最深部で、頭を垂れるイワンの耳に、低く野太い声が響いた。
「……聞いたぞ、イワン。お前の無人機巧兵が、皇國で返り討ちに合ったとな」
「はっ。申し訳ございません……」
豪奢な毛皮を羽織り、玉座に深く腰掛けた男――雷帝アレクセイは、冷徹な眼差しをイワンに向けた。ただそこに佇んでいるだけで、周囲の空気をじりじりと圧搾するような、覇王の威厳が室内に満ちている。
「計算を過信したか。機械の弾き出す数字など、しょせん不完全な予測に過ぎん。この世界を統べるのは力のみ――すなわち圧倒的な暴力だ。有象無象の小細工など、儂の比類なき霊子力と巨大移動要塞の前にはすべて灰燼に帰す。それを、皇國とお前に教えてやろう」
アレクセイは重厚な玉座のひじ掛けを静かに握りしめ、重苦しく軋ませた。歴戦の経験に裏打ちされた、絶対的な自信を孕んだ言葉には、抗いようのない凄みが漂う。
その言葉を正面から受け止め、イワンは静かに一歩下がり、深く腰を折った。
「……御意に。雷帝の御力、しかと拝見させていただきます」
従順に深く頭を下げたイワンの瞳は、硝子玉のように感情がなかった。
どこか底知れない冷たさを孕んでいるその目を――彼は前髪の影に隠したまま、ただ静かに跪いていた。
* * *
一方、インペトラル帝国の侵攻をからくも退けた皇都は、次第に穏やかな日常を取り戻していた。
そんなある日のお昼時、尋人たちが集った「夕凪亭」は、芳醇なスパイスの香りで満ちていた。
「はい、お待ちどおさま! 最近、皇都で流行の『ライスカレー』ですよ。これはね、エレナちゃんに教えてもらったレシピに、うちの特製出汁を隠し味に利かせたものなのよ」
割烹着姿のお千代が、にこやかに微笑みながら、湯気の立つ大皿を次々とテーブルへ運んでいく。小麦粉で程よくとろみのついた黄金色のルーの中には、じっくり煮込まれた鶏肉や何故か大ぶりの長ネギが転がっていた。
その大皿は、いつもの六花分隊の仲間だけでなく、共に円卓を囲んでいた特務隊の総司令官――大鳥居景虎の前にも置かれる。
「景虎、あなたがこの子たちと食卓を囲むなんて珍しいわね?」
お千代が冗談めかして冷やかす。大鳥居はバツが悪そうに鼻の頭を撫でた。
「いや、これはどうしてもと凛たちに頼まれてな……」
「はいはい。総司令官として、しっかり滋養を付けてお仕事に戻るのですよ」
「あ、ああ……。お千代にはかなわんな」
すっかり幼馴染に頭が上がらない様子の大鳥居は、スプーンを取ってカレーを口に運んだ。が、なれない辛味にむせかえる。
「っ、ごほっ、ごほっ……! 美味いが、なかなかに刺激的だな、これは……!」
「大鳥居の旦那、大丈夫か!? わたしも、 いただきまーす! ――んんーっ! 辛いっ! けど手が止まらないよ! じわっと汗が出るのに、スプーンがどんどん進んじゃう!」
蘭が、目を輝かせながら豪快にカレーを口へ運ぶ。
「蘭、はしたないぞ。ふむ、この『かれー』という未知の辛味、最初は驚いたが……米の甘みと出汁の旨味が絶妙に調和しているな。お千代殿、早速だがおかわりを頼む」
「凛、人にはしたないと言いつつ、自分が食べるのが一番早いじゃないですか」
「し、詩織さんっ! これは、常在戦場という意識のためで!! ひ、尋人、何をニヤけている!!」
詩織の鋭いツッコミと尋人の生暖かい視線を受けて、凛の頬が朱に染まる。
「尋人様……。少し刺激が強い料理ですが、お辛いのは大丈夫ですか?」
隣に座る弥生が、自分自身が辛いのが苦手な様子で、少し涙目になりながら尋人の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫だよ、弥生ちゃん。俺のいた世界では、カレーが嫌いな奴は探す方が難しいくらいだったよ」
「……そうなのですか。私も精進します!」
弥生は表情を引き締めると、カレー皿に真剣な眼差しを落とした。一方、にゃん丸は、例によって焼き魚を夢中でつまんでいるところだった。
「ふにゃ〜。やっぱりお千代の焼き魚は格別にゃ。みんなが食べてる黄色いのは、匂いだけで鼻がムズムズするにゃ。猫に刺激物は禁物にゃん」
「ふふ、吾輩様にはちょっと香りだったかしらね」
お千代がにゃん丸の喉を優しく撫でる。その様子を見ていた詩織が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、この『らいすかれー』という料理は、ブリタニア王国から伝わったものだと聞いたことがあります。エレナちゃんがレシピに詳しいのも頷けますね」
「へえ、ブリタニアからね。てっきり、インドみたいな国から伝わったと思ってたよ」
尋人はスパイスの熱が身体に染み渡るのを感じながら、ふと隣の空席に目を留めた。
「……あれ? そういえば、そのエレナは? さっきから姿が見えないけど」
「あー、エレナなら、『ちょっと公使館に野暮用があるから、先に食べてて』って言ってたよ。なんか、お父さんに呼び出されたとか何とか……」
蘭が口元を拭いながら応える。美味い飯を食べながら、気の置けない仲間との何気ないやり取り。こんな平和で平凡な日常がずっと続けばいいと尋人はしみじみ思う。
――しかし、運命の時は容赦なく彼らの平穏を切り裂いた。
バンッ!!
夕凪亭の引き戸が、弾け飛ぶような勢いで開け放たれた。中に飛び込んできたのは、息を切らし、顔面を蒼白にした大鳥居配下の伝令兵だった。
「報告……! 緊、緊急報告! 閣下、大変です!!」
店内の空気が、一瞬で凍りついた。大鳥居の目が、瞬時に鋭い軍人のそれへと変わる。彼は即座に立ち上がった。
「落ち着け。何があった」
「皇海に……皇海に、インペトラル帝国の大艦隊が出現! 迎え撃った我が皇國の連合艦隊が……一刻と持たずに、壊滅しました!!」
「……何だと!?」
大鳥居の顔から一気に血の気が引き、尋人たちも言葉を失う。先のイワンの上陸戦の際に、温存していた虎の子の連合艦隊が壊滅。それは、皇國が制海権を完全に失い、外堀を埋められたことを意味していた。
* * *
――同じ頃。
皇都の一等地、重厚な石造りのブリタニア王国公使館。
公使館へ入るための儀礼として、不本意ながら着替えたエレナは、普段の煤と油にまみれたオーバーオール姿とは打って変わり、レースと刺繍が贅沢にあしらわれたブリタニア伝統のクラシカルなドレスに身を包んでいる。外の喧騒から完全に隔絶された静寂の執務室で、エレナは一人の男と対峙していた。
仕立ての良い上質なフロックコートを端正に着こなし、淹れたての紅茶から立ち上る湯気を優雅に見つめている男――ブリタニア王国の特命全権公使であり、エレナの父である、アーサー・ウィリアムズだ。
「……信じられないかもしれんがね、エレナ。これがたった今、我が国の諜報機関が捉えた『現実』だ」
アーサーは手元の薄い書類を、静かに机の上へと滑らせた。そこには、皇海で起きた凄惨な一方的蹂躙の記録が記されていた。
「インペトラル帝国の雷帝アレクセイが自ら御する、規格外の蒸気兵器――巨大移動要塞【アイアン・クラーケン】。その圧倒的火力による集中艦砲射撃の前に、皇國の誇る鉄甲艦群は抵抗空しく、次々と黒煙を上げながら、文字通り海の藻屑と消えたそうだ」
アーサーの声には、一切の感情が排されていた。ただ、計算結果を羅列するような、冷徹な説明。
「さらに帝国軍は、その巨大な移動要塞を積載した大型揚陸艦を海岸線へ堂々と座礁させ、無限軌道を装着した陸上移動要塞本体を皇國の大地へと上陸させた。雷帝直卒の精鋭とともに……。要塞の大きさから、踏破できる街道が限られることと足の鈍重さのため、皇都侵攻までは数日の猶予はあるだろうが……その先にある結末は明白だ」
アーサーは視線を書類からエレナへと移し、静かに、しかし反論を許さない口調で告げた。
「インペトラル帝国の勝利、すなわち大日本皇國の敗北は、もはや我が国の蒸気演算機に掛けるまでもない『確定した結果』だ。不皇同盟も、もはやこれまで。お前の度重なる命令無視には、今まで目をつぶってきたが、これ以上の深入りは国益に反する」
一国を丸ごと圧殺せんとする絶望的な凶報。
それに対する、冷静かつ的確な情報分析が、エレナの華奢な肩に重くのしかかる。
「――エレナ・ウィリアムズ。公使権限をもって命ずる。私と共に、直ちに本国へ帰還せよ」
冷たく突きつけられた撤退命令。
しかし、エレナは頷かなかった。彼女の胸の内は、尋人たちと運命を共にする、揺るぎない覚悟で燃えていた。
ついに過去最大の脅威、雷帝アレクセイが出陣!
そして次回、エレナの熱い想いがほとばしります!
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