第四十一陣 詩織の八重垣
カチカチカチカチカチカチカチ――ガガガッ!
カチカチカチカチカチカチカチ――ガガガッ!
飛行船の演算室を響いていたのは、耳を聾せんばかりの凄まじい真鍮の打鍵音だった。
二台の鍵盤型穿孔機の前に陣取るのは、詩織とエレナ。二人の指先は目視を許さぬほどの残像となり、厚手のカードへ次々と長大な数式の孔を穿ち抜いていく。
「エレナちゃん、全軍規模の広域戦術論理、骨子が固まったわ! これより個別の機体制御術式への落とし込みに移行します!」
「了解、任せて! 詩織さんが組み立てた全体の戦略マクロ、そのまま個別の各蒸気兵器に叩き込むわ! タイピングの速度、落とさないでよ!」
エレナは右指をパチリと鳴らし、不敵に笑いながら、詩織と完全に互角の速度で真鍮のキーボードを叩き続けた。
詩織が開発した新たな広域術式を、エレナが個別の蒸気兵器や機巧甲冑の具体的な連動制御術式へと変換していく。
これまでは詩織が一人で背負い、破綻しかけていた演算。しかし今、エレナというもう一人の天才技術者と、周囲でサポートする仲間たちの存在が、詩織の頭脳を未だかつてない冴えへと導いていた。
(帝国の「断続的連動演算術式」に足りないもの。それは、統計を超えた想定外……!)
詩織は術式の基本構成を固めながらも、さらに、その強度を上げようとしていた。
敵のシステムは美しい。だが、美しすぎるが故に不条理に弱い。最適解ではじき出された無人機巧兵の連動は、一機の死角を複数で埋めるが、その動きはすべて過去の戦闘記録を基にした予測に過ぎない。
(だけど、私たちの戦いは違う。六花分隊も、大鳥居司令率いる他の特務隊員たちも……既存のデータには絶対に収まらない――!)
詩織はこれまでの六花分隊の戦いの記憶を脳裏に呼び起こす。
尋人の、愚直な「型」をあえて外す即興の踏み込み。
凛の、ここぞという局面で見せる変幻自在の斬撃。
蘭の、直感だけで敵の陣形を叩き切る絶妙の間合い。
そして――死線を潜り抜け、互いを泥臭く庇い合いながら、限界を超えて引き金を引く特務隊兵士たちの執念。
機械から見れば「非効率な誤差」や「無駄なバグ」とされる人間の情熱、直感、そして命を預け合うが故に生まれる阿吽の呼吸。それこそが、冷徹な演算の最適解を叩き潰す、不確実で無限の可能性を秘めた最強の剣だった。六花分隊の突出した力だけでなく、特務隊全員の戦力を有機的に組み合わせ、幾重にも重なる絶対の防壁となって皇都を守る――その「垣根」のような陣形こそが、劣勢を覆す鍵となる。
「エレナちゃん、各蒸気兵器の『戦力数値』の項目に、前線に立つ兵士全員の『特性』を可能な限り数値化して組み込むわ」
「えっ、それって演算規模が桁違いになるけど……いや、そうか! 六花分隊はもとより、他の兵士の個性や能力も最大限に引き出せば、皇國軍丸ごと予測不能な『ゆらぎ』を生み出せる! 手間は倍じゃ利かないけど……詩織さん、そのアイディア、乗った!!」
「そうと決まれば、前線兵士の軍歴と戦闘記録を洗い出すわよ! 凛! 大鳥居司令から特務隊の兵士たちの特徴を聞き取りしてくれる?」
「心得た!」
「詩織さん、そういうことなら、あたしも特務隊には見知った顔がいるからさ、一緒にその取りまとめを手伝うよ!」
「蘭、助かるわ。なるべく生きた情報が欲しい。限られた時間だけど、可能な限り精度を上げたいの!」
「俺にも手伝わせてくれ。実機の挙動や間合いの細かな感覚なら、最前線で戦うパイロットの俺が、一番生きたデータをフィードバックできるはずだ。エレナ、そっちの機体制御術式のサポートに回るよ!」
「ありがと、ヒロト! あなたが現場の『癖』を噛み砕いて分類してくれたら、こっちのカード作成の効率も跳ね上がるわ!」
「よし、頼んだよ尋人君! それと、弥生。併せて霊脈の加護効果を最適化したいの。この戦場の地形図に特異点を落とし込める?」
「任せてください! すぐに取り掛かります!」
それぞれが、できるサポートをするために奔走するなか、詩織とエレナの指先はさらに加速していく。
夜の帳が深く降り、日付を跨いだ頃。
詩織の全神経は、限界を超えて覚醒していた。
頭が熱い。けれど、倒れる前のような焦燥の熱ではない。背後に仲間がいるという確かな信頼に裏打ちされた、体の奥底から力が湧き出る熱だった。
* * *
空が仄かに白み始めた明け方近く。
カチカチカチカチ――ガガガガガッ!!
ついに、最後の一枚の穿孔カードが叩き出された。
詩織は大きく息を吐き、机の上にそびえ立つ、山のようなカードの束を愛おしそうに見つめた。
「できたわ……」
「やった、終わったーっ!」
エレナが机に突っ伏し、歓声を上げる。
その声を合図に、演算室の隅で見守っていた尋人たちが一斉に立ち上がった。
詩織は、完成したカードを一枚手に取ると、目の前の仲間たち、そして真っ直ぐに自分を見つめる尋人に向けて、晴れ晴れとした笑みを見せた。
「ありがとう、みんな。これが、私たちの新しい術式。六花分隊だけでなく、この前線にいる全ての皇國軍を一本の精神的・霊子的パイプラインで接続し、互いの絆を有機的な霊流として同期・最適化する広域術式――」
詩織は自信に満ちた表情で、その名を告げた。
「全軍統括陣――『八重垣』よ」
その瞬間、窓の外の地平線から、一筋の鋭い金色の朝日が差し込んできた。
闇を切り裂く夜明けの光。
冷徹な機械の論理を打ち破る、人間の情熱を宿した鉄の防壁が、ついにここに産声を上げた。
仲間と協力して作り上げた新たな術式の完成です!
次回、帝国との再戦でその真価が試されます。
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